人と人とを繋ぐキャンプ

仲佐 輝子 (基礎栄養学)

おはようございます。135年を語り継ぐというシリーズで、何か話して下さいといわれました。何を話そうかと迷いましたが、今、学生部長でもありますので、学生部としてずっと守り続けてきた大学の伝統行事の一つ、キャンプについてお話しさせていただきます。今も3月2日からのスプリングキャンプに向けて準備中です。今年で3回目となる沖縄キャンプですが、今年は募集人数の40名を超える申込者があり、大変うれしく思っています。

 

さて、現在は年2回、春と夏に行っているキャンプですが、そのキャンプがいつから引き継がれているかというと、初めて行われたのは1953年(S28)です。新制同志社女子大学が開設されたのが1949年のことですから、わずか4年後にはもう実施されていたことになります。今から58年前のことです。記録によると、琵琶湖の唐崎ハウスで行われ、参加者は60名となっていました。この頃のキャンプはどちらかというと修養会、現在の宗教部主催で行われているリトリートのような性格を持っていて、あるテーマを中心に講義を聴き、討論するなどがプログラムの中心だったようです。

 

このようなキャンプ形態が数年続いた後、1957年頃よりYWCAからキャンプディレクターとして谷川和子先生がこられ、その先生の下で組織的な、教育的な本学のキャンプの基礎が築かれていくことになります。

 

1960年以降は、キャンプはリーダーシップを養う訓練を一つの重要な目的であると決め、キャンプに参加するものには、あらかじめリーダーシップ養成講座を受講することが義務づけられました。キャンプの強調点は一貫して「良きリーダー、良き協力者、良き友となる」ことでした。そして、良きキャンプとは、準備2分の1,現地4分の1,その他4分の1、そしてプラスアルファがあって初めて成就されるものと指導さ れました。谷川先生の下でキャンプのいっそうの充実が図られたことにより、キャンプへの参加を希望する学生も増加し、記録によると、184名、161名の年もあるほどで、3期に分けて3泊4日の夏期キャンプを実施しなければならない年もあったようです。キャンプの性格も明確になり、それまでは、「静的、受容的、知的教養的」であったのに対し、「動的、創造的、経験的」なものへと特徴付けられていました。その頃の記録として、キャンプに参加した人達の文集がありましたが、それぞれにキャンプを通して多くのことを学んだ喜び、感謝が綴られていました。谷川先生が1970年に退職されてからは、キャンプ参加者が激減し、一時期は20名、21名となった年もありました。

 

1979年からは新ディレクターとして小坂賢一郎さんが関わられることになり、キャンプ地も当時人気の高かった清里高原ということもあって、参加者が一度に増加し、キャンプは再び活気づいていきます。キャンプに行く前に作るしおりは、この年から毎年作られています。今回お話しするにあたり、そのしおりをずっと繰ってみました。キャンプは準備段階から始まります。いくつもの班があり、キャンパーの一人一人が何かの班に加わり、リーダーを中心にいろいろ準備をします。どうしたら愉しんでもらえるだろう。皆をビックリさせたい。喜んでもらいたい。そのためにどうすればと。それぞれの班で集まってキャンプを成功させるためにいろいろ小道具を作ったり、進行を考えたりと、皆一生懸命です。 その過程で、学部学科の違う初めて顔を合わせた人とも1つの目的に向かって一緒に努力することで、素晴らしい人間関係が生まれます。それは今も昔も変わりません。初めの頃のしおりには、「キャンプだホイ!」、「星かげさやかに」、「燃えろよ燃えろ」など、キャンプソングがたくさん載っていて、思わず懐かしさで口ずさんでしまいました。この頃のキャンプは、動ファイヤーが大きなイベントで、火を点火して,皆で踊り、スタンツをしたり、歌を歌ったり、最後は消えゆく火を見つめて静かな時間を過ごしたものでした。

 

1984年のしおりからサマーキャンプイメージソング「夏のうた」が登場します。作詞は東泉純子さん、学生時代キャンプが好きでよく参加し、卒業後、臨時職員として学生課に残られた方です。作曲は音楽の中村滋延先生、もうお辞めになられましたが、NHKの朝ドラの作曲もされた先生です。この歌は今でもキャンプで必ず歌います。この年のことは、私が本学に専任として着任した年で、キャンプにも参加しましたので、とてもよく覚えています。実は私自身はこの時に大学のキャンプに初めて参加しました。

私は皆さんと同じく本学の出身なのですが、学生の時にキャンプに参加した経験はありませんでした。学生時代には、ワンダーフォーゲル部に所属していて、週末ともなればキスリングにテント、コッフェル、飯盒などを詰めて山に登っていましたし、夏休みは北アルプスや南アルプスの方へ行っていましたので、その頃は大学のキャンプに参加することは考えもしなかったのです。

また1986年から、冬のキャンプとして妙高高原池ノ平スキー場で5泊6日のスキーキャンプが始まりました。この頃はスキーブームでもあり、毎年100名近い申込みがあったようです。先着順ですので、申込みに朝から列ができていたのを覚えています。その人の技術に合わせて10名ずつのグループに分け、体育の先生が懇切丁寧に指導して下さるし、夜もビデオを見ながらフォームのチェックもして下さったり、宿泊所の食事が大変美味しかったのも覚えています。初めて、スキーを履いた人が、最後の日には全員で山の上から滑ってこられるようになるのですから,それは感激でした。

80年代、90年代まではこのような状態が続きましたが、年々夏、冬、とも参加者が50名を切るようになり、2000年からますますその傾向は強くなって、2005年のサマーキャンプは最小催行人数に達せず中止になってしまいました。

2006年からは形を少し変えて、トヨタ白川郷自然学校というところでキャンプを実施しています。残念ながらズーと続いていた動ファイヤーは、施設の事情でなくなってしまいましたが、自然学校のインタープリターさんによるいろいろなプログラムで、普段はできないような体験ができます。もちろんそれだけではなく、本学独自の静ファイヤーや親睦会などは伝統の火を絶やさず、守り続けて行っています。また、スキーキャンプも2007年を最後とし、2008年からは初めにお話しした沖縄でのスプリングキャンプへと移行されました。

 

約60年に渡るキャンプの歴史を辿ってみて思うことは、行く場所やその形態が変わっても、キャンプを通して人と人とが関われる場、機会が与えられるということです。 大自然の中で新しい自分を発見したり、友人の思わぬ一面を発見してより親しくなったり、学部学科を越えて新しい友人ができたり、日頃教室でしか接することができない先生と親しくお話ができたり。しかし、これらは全て自分で行動し、経験することによって得られるものです。「キャンプは経験です。行動しながら学ぶものです。キャンプは参加することに意味があり、そして経験したことを生かしてゆくことが大事です。」と谷川先生は仰っています。

キャンプに参加することで得られる人と人との繋がりは、先輩から後輩へと受け継がれ、同志社女子大学キャンプは絶えることなく続いてきました。皆さんもこの伝統あるキャンプを一度は経験してみて下さい。

135年を語りつぐ