震災と介護百人一首

安森 敏隆 (特任教授・卒業研究)

ただいま「聖書」を読んでいただきましたように「創世記」の初めには、アダムとイブの話やカインとアベルの兄弟の話や、この「ノアの方舟」の話がでてきます。ここに登場する「ノア」は、この時600歳で、私の10倍、皆さんの30倍くらい生きています。何とも時間がゆったりしていてゆたらかで、気持ちいいですね。まだまだ「聖書」には、もっともっと何百年も長生きした人や、百歳こえても子供を産んだり、恋愛したりする話があって人間の無限の可能性が話されていて、読むとゆたらかになりますね。
今日は、「震災と介護百人一首」という話をします。

 

震災の歌

昨年の3月11日、東日本大震災のとき、直ぐには「こゑ」が出ませんでした。テレビのリアルタイムの映像や、新聞の記事の即物性や即時性に続いて、だが、沈黙していた1300年の伝統を持つ「短歌」(和歌)が先ずは「いのち」の「こゑ」を発しはじめたのです。「歌」とは、「可は祝檮の器である口(サイ)に対して、柯枝を以て呵責してその成就を求める意。その祈る声を呵・訶といい、その声調のものを謌・歌という」(白川静『字通』)と、中国文学者で文字学者の白川静先生は言われています。先ずは、口を大きく開けて、その「口」にあたる「サイ」と言う器に祝詞に当たる最も美しく良き言葉を入れて神に向かって力強く「拍つ」ごとく「訴え」るのです。

このように、「歌」とは、根源なる願いを「訴える」ところに発生したものですから。 まずは、俳人の長谷川櫂さんが、震災後の一月半後に「震災歌集」(200首くらい)を出されました。長谷川さんは「俳人」ですが、この時ばかりは「575」の俳句では言い切れず、「57577」の短歌になったのだそうです。

津波とは波かとばかり思いしが
さにあらず横ざまにたけりくるう瀑布
                 (長谷川櫂)

巻頭の歌です。下の句に当たる最後のところの「横ざまにたけりくるう瀑布」と言いたかったのでしょうね。短歌は、こういう時でも「無力ではない」と言っておられます。
続いて最近、春日真木子さんが昨年の9月に『百日目』という歌集を出されました。 「百日目」とは、何からの100日目のことだろうか。しかし、この「歌集」の届いた9月の末、ためらわずに「東日本大震災」から100日目が立っていることが即座に浮かんだ。この時しかない「百日目」がある。この時にしか出来ない「歌」があり、この時にしか付けられない「歌集名」がある。そうした一冊がこの歌集であり、そこに「いのち」が結晶してあるのだと思いました。

揺るる瞬床柱に寄り縋りゐつ
老いのわが身のいまだ素早し
                 (春日真木子 87歳)

と、「大震災」に「わが身」の87歳を対峙させて力づよくうたわれています。関東大震災の折も与謝野晶子、佐佐木信綱、斎藤茂吉、尾上柴舟らがいち早く「こゑ」を発してうたっている。窪田空穂は、

新聞紙に腰をまとへるまはだかの
女あゆめり眼に人を見ぬ

と「眼」そのものになって、この現実を「こゑ」にしてうたっている。そして、昨年の11月にあった「第26回国民文化祭京都」の「短歌」の学生の部の第一位に次のような歌があり、元気をもらいました。

「この春」も「あの春」になる震災の
地割れにひとつタンポポの花
         (澤邊綾 中学3年生)

「この春」とは東日本の震災のあった「春」であり、「あの春」とは、それにつづいて迎える新しい「春」のことだと思われます。地割れした大地の中からでも「タンポポ」が新しいいのちの芽を出して、たくましく生きていくのですね。

 

「介護百人一首」の震災の歌

次に、「いのち」最前線の「命」の現場の歌の話をします。
今年の「介護百人一首」は、全国から9,730首の歌が寄せられた。「老々介護」などの歌が多くなってきた中で、80歳、90歳になってもケータイ電話やパソコンに挑戦する歌などあって元気をもらったことである。そうしたなかでこんな歌があった。

会えぬ日はグーグルアースで探します
母のベッドの見える窓辺を
                 (菊池真理)

「グーグルアース」とは、パソコンなどで衛星写真を自由に閲覧できるソフトのことで、母に会えない日は、それを駆使しながら「母」のベッドの見える窓辺を探している歌である。 現代が直面する介護の実態や現実がうたわれていて大変内容の濃いものになっている。先日放映された「介護百人一首」のテレビ放送(NHK Eテレ9月21日・22日)は、東日本大震災と介護短歌を中心にして放映された。茨城県の渡辺良平さんと奥さんの「たか」さんの2人でNHKのスタジオまで来てくださって毒蝮三太夫さんを交えて話したことである。

片足を無くした吾れをみてくれた
倒れた妻に"恩"かえす日々
             (渡辺良平)

渡辺良平さんは、40年前に交通事故にあわれ右大腿部を切断され、その後は奥さんの手厚い介護でクリーニング店を続行された。その奥さんが13年前に、脳卒中で倒れられ、今度は良平さんが奥さんを介護しながら今日まで来られた心境を下の句の77の「倒れた妻に"恩"かえす日々」とうたわれたものである。これはまさに「二重介護」とでも呼んだらよいもので、体の不自由な者が、もうひとりの不自由な人を介護しながらそのことを詠っているのである。しかしこの歌の良さは、嘆きや愚痴が57577の短歌の中で浄化されて「不自由だが不幸ではない」というメッセイジが聞こえてくるところにある。スタジオでお会いしてみるとまことにあかるいお2人であった。

揺れる度悲鳴をあげる麻痺の妻
逃げる術なく死ぬとき一緒
             (渡辺良平)

渡辺良平さんと奥様のタカさんが東日本大震災にあわれた直後の歌です。お2人とも「車椅子」の生活であり、「逃げる術なく死ぬとき一緒」と締めくくった言葉は、まさにお2人の命の結晶の声としてひびいてくるのです。「死ぬとき」とうたっておられるものの「2人で生きるんだ」という力づよい「生」へのメッセイジが聞こえてくるのです。同志社女子大学の「135周年」を記念してこんな現代の「いのち」の根源の話をさせていただきました。

135年を語りつぐ