女子部と私の出会い

太田 信幸 (同志社女子中学校・高等学校長)

親鸞聖人750回大遠忌法要

「135年を語り継ぐ」、という共通テーマと理解しましたので、まず時間のことから。何か重要な事柄から何周年という、時代に節目を設けることはどこでも行われているようです。例えば、今年は辛亥革命100周年です。京都に関連して言えば、本願寺の前を通りますと、親鸞聖人750回大遠忌法要とあり、色とりどりの幟がはためいています。親鸞が亡くなって750年経ったのかと思い調べましたが、750回忌は来年のようです。50年ごとに大規模な法要を複数年にまたがって行うようです。それにしても750周年とはさすがに仏教は時代が大きいと感心していましたところ、一昨年2009年、ある戦いから2000年を記念して結構大規模な行事が行われた場所があったことを思い出しました。 2000年前と言えば、イエスの誕生をもってAD1年ですから、誕生直後の時代です。日本列島はまだ弥生時代です。

トイトブルク森の戦い

私は歴史、西洋史、特にローマ史を学ぶ人間です。 ローマの全盛期はイエス誕生の頃から約200年間ですが、その中で、1つ、ローマが大敗北を喫した戦いがあります。AD9年、「トイトブルク森の戦い」と言いまして、現在ではドイツ国内ですが、オランダとの国境線近く、ゲルマンの地域に攻め入ったローマ軍約2万名が全滅した戦いです。ローマの歴史で言えば重要な事件ですが、2000年後の今日、それほどでもと思うのですが、実はこの戦いに負けることにより、ローマの支配領域はおおざっぱに言って、ライン川以東には拡大出来なくなり、ライン川がローマ帝国のエッジになったわけです。ラインの東はゲルマン、ジャーマン、ドイツであり、西側はガリア、今のベルギー・フランスとなります。このことは今にまでおよぶ大きな節目をつくることの発端なのです。フランスとドイツの文化的差異、あるいは同じネーデルラントと言っても、完全にローマの支配下に入ったベルギーと不完全なオランダの微妙な差異、大きく言えば、ラテン的雰囲気とゲルマン的雰囲気でしょうか、その差異の発端をここに求めることが出来るようにも思います。
ローマの話を続けたいですが、「135年を語り継ぐ」に戻りましょう。

ヒバード先生との出会い

デイヴィスが借りていた屋敷、柳原邸ではじまった女子教育がここにまで発展して行くとは当時の誰も考えなかっただろうと思います。ともかく使命(召命)感をもって始めたこと、その初心を忘れずに歩み続けた結果が今であるということ、覚えておきたいことです。

私に引っかけて話をさせていただきます。 当時は全く思ってもいませんでしたが、同志社が100周年を迎えた1975年、私は同志社大学文化史の修士課程に学ぶ一人でして、翌1976年(女子部100周年)に同志社高校の講師として教えはじめ、その翌年に女子中高に勤め始めました。同志社教育に使命(召命)感をもって教え始めた教員ではありません。反対に、何の使命も考えず、ただ歴史を学ぶことが好き、その一点で生きてきた人間です。 ですが、勤め初めて、毎日栄光館で否応なく礼拝に参加し、何年もそれが続く中で、実はずっと前から、自分はここにこのようにあることが決められていたかのように思うときがしばしばありました。

1965年、同志社創立90周年を迎えた年、私は愛知県の小さな町の高校一年生です。兄がその年に同志社に合格しまして、下宿を訪ねて何回も京都に来た年です、が、私にとっては悲しい年にもなりまして、その年の12月に兄が突然亡くなったのです。兄は洗礼を受けてはいませんでしたが、同志社教会の礼拝に参加して、女子大学の初代学長ヒバード先生にお世話になっていたようです。翌年の春、私は母に連れられて、あまり来たくない京都にやってきて、この栄光館に初めて入りました。そしてその夏でした。父の運転する車で誰を迎えに行くのかも知らず名古屋まで行き、品の良いおばあさん(と私には映りました)をお乗せして、自宅に帰り、両親はその方と夜遅くまで話をし、泊まっていただいたことを覚えています。ただそれだけのことです。その数年後に私も同志社に入りまして、なぜか、その8年後には女子中高に勤めはじめ、それから30数年が経って今となるわけです。

そこに何も劇的な(自覚した)変化は一切ありません。でも、思い返してみると、あの当時、ヒバード先生に出会ったこと、もちろんそれのみではないのですが、少なくともその経験がなければ、今はないようにも思うのです。

ヒバード先生、あるいはデントン先生等々、同志社女子部はリベラルアーツ教育を実践した先達によって今があることを再確認したいと思います。更にその出発点に着目すれば、新島襄と八重、デイヴィス、スタークウェザー等々、牧師を中心とするキリスト教が土台にあると言うこと、いまさらのことです。キリスト教主義・それに基づくリベラルアーツ教育、この建学の理念を忘れないように進むこと、これしか今後の路はないと考えます。

一言いってこの話を終わりますが、たかだかまだ135年なのです。新島は200年のスパンで同志社の将来を考えたと思います。基本は絶対に忘れず、それを譲ることもしないが、時に大胆な発想転換をする、必要ならば(言葉は悪いですが)妥協もする、そして、幅が広く、長い時間的経過の中でものごとを考えて行く姿勢を忘れない、それも同志社の精神だと言うことを確認して、つたない話を終わります。有り難うございました。

135年を語りつぐ