今年で19年を迎えますー群馬県榛名郷のワークキャンプー

宮本 義信 (社会福祉学)

おはようございます。今朝の讃美歌「ちいさなかごに」は、滅入ったとき、わたしを励ましてくれる大好きな讃美歌です。

さて、みなさん、ワークキャンプって、知っていますか?わたしたちの大学では、毎年9月一週間の日程で(今年は9月5日(月)から11日(日)まで)、群馬県榛名にあります高齢者福祉施設、社会福祉法人(民間の非営利団体・NPOである)「新生会」というところで、ワークキャンプを続けています。1993年からはじめて、今年で19年を迎えます。

キリスト教を精神に実践する民間の社会福祉施設「新生会」は、榛名山のふもとの、あふれるばかりの緑の中に位置しています。窓からは、高崎市街が一望のもとに見渡せます。 ボランティア寮の縁先でお月見をしていると、ゆったりと静かな鈴虫の音が聞えてきて、涼しくすがすがしい風が、頬をかすめます。雨があがって、雲の切れ間から顔を出す太陽は、実に鮮やかです。ちょうど京田辺キャンパスほどの広大な敷地のなかに、それぞれ異なったタイプの居住施設が点在していて、そこに約550人のご高齢の方々が暮らしておられます。

キャンプというと、テントを張り野営するというイメージですが、決してそうではありません。ボランティア寮と呼ばれる、ゆったりとした美しい木造の家屋で10室の居室をベースに共同生活しながら、高年者開発センターと呼ばれるところで、毎日、調理師の方がこしらえてくださる、おいしい食事をいただきます。

ワークキャンプでは、約20名のグループを2~3名のサブグループに分け、8施設に分かれ活動(ワーク)します。それは、学生たちにとって、日常生活の場から遠く離れた非日常的な空間へと退去(リトリート)することであり、一方、学生たちを迎え入れる人びとにとっては、今までの自分の枠組みに無い世界に入っていくことである、といえるでしょう。

ワークキャンプは、入居している人びとの話に聴き入るところからスタートします。大正時代、昭和初期の時代の話をはじめて聞いて驚いた、という学生もいるようです。そこから、その人に興味をもち、好きになり、その人を丸ごと理解しようとします。時間的に制限された一瞬の出会いの中に、互いに、今を精一杯生きている「一人の、あたたかな、固有なあなた」を、一回限り、その場だけで感じ取る。こうした参加学生たちの、より大きな枠組みの中での相手への関心、素直で柔軟なあり方に、深い感動を覚えます。そして最終日には、榛名に隣接する新島襄先生の故郷、安中市へ移動して、新島襄先生に深く繋がる日本基督教団安中教会(新島記念会堂)の聖日礼拝に参加し、文化財として現存している新島家旧宅を訪ねます。

もう20年以上前のことですが、新生会のリーダー、原慶子先生の著作『装いのある暮らし』を読んだことが、私にとって、新生会の働きを知るきっかけとなりました。養護老人ホーム(老人福祉法に定められた施設で、経済的な困窮が入所要件の、公費負担型の施設です)と、比較的経済的に裕福な人たちが入所する有料老人ホーム(自己負担型の施設です)とをひとつの建物として一緒にして、食事の場とメニューも一緒、という発想と取り組みには驚きました。その本との出会いは、社会福祉の制度的な縦割りの規則に慣れきって、「入園者に差別なし」という当然の発想ができなくなっていた、いわば"当たり前の前"が通じなくなってしまっている"福祉専門家"としてのわたしには、実に新鮮なものでした。

新生会の鈴木育三先生(昨年秋、リトリートの講師として来ていただいた先生です)が、かつてわたしたちに言われた言葉、「老人ホームには老人はおりません。老人と呼ばれる存在はいない。そこにいるのは、山本さんであり、鈴木さんであり、松本さんである。」という言葉は、実に印象的な言葉でありました。 「老人」、「老い」、「古い」、「古びた」、古びた命などありません。いのちは皆新鮮。80歳、90歳であっても、今日のその人は命の最前線を生きている。新鮮な「いのち」と「いのち」の精一杯の向かい合い、これが19年続いているワークキャンプの精神ではないのかな、と思います。

ところで、先月(4月)、新生会の原先生から、「今日のキリスト教教育の可能性を問う」という主題の講演会(玉川聖学院創立60周年記念シンポジウム)で先生が述べられた摘録を送っていただきました。そこには、「キリスト教教育の真髄」という見出しで、次のようなことが書かれていました。

「『あなたのテストの結果が80点、だからあなたは80点』につながるというのが、今の人間観にあるじゃないですか。生徒の人間性や個性という人格的基準ではなく、数字のみが評価の基準になっているのは、これは絶対おかしいと思っています。それと対極にあるのがワークキャンプだと思っています。あなたはもしかして60点という点をつけられているかもしれない。でもここではそんな点はないの。あなたはあなたとしてやりなさい。あなたがどんな人とどう出会えて、どんな心の手応えが持てたのか、これが大事なの。
本当に生きていることの価値ということを、自分も含めて余命いくばくもない認知症になって、何のために生きているんだろうと思うお年寄りの中に、彼女たちは命の輝きを見つけるのです。これはね、理屈じゃない。」

ワークキャンプでは、自分の回りの形容詞、看板、属性、枠づけを互いにはずしたところで、自分らしく出会えることの大切さが強調されます。「あなたはあなたとしてやりなさい。あなたがどんな人とどう出会えて、どんな心の手応えが持てたのか。」ワークキャンプは、わたしたちにとって、そういうプロセスの中で、「いのち」に出会っていこうとする、非日常の空間です。

ワークキャンプへの呼び掛けを兼ねお話しました。宗教部では、本日ランチタイムに、スライドを中心にワークキャンプの説明会を行います。関心のある方はぜひご参加ください。

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