家族ですから

うすき みどり (台湾基督長老教会国際日語教会宣教師)

挨拶は平和

平安(ぺんあーん)! 台湾の教会では、平安と書いて台湾語で「ぺんあーん」、中国語で「ぴんあん」と挨拶代わりによく使います。おはようございます、こんにちは、もしもし、さようなら、お気をつけて、などの代わりにこの一言で挨拶ができます。

イスラエルの「シャローム」、韓国の「アンニョン」など、いつも他の地に脅かされてきた国や地域では、平和を求める言葉を、挨拶となるほどに口にしてきたというようなことを聞いたことがあります。台湾の地でこの言葉を口にしたり耳する度に、そのことを胸に刻んでいます。

台湾は50年間も日本だった

少し台湾の状況をお話いたします。私たちの教会は日本語で礼拝をしていますが、世界各地にある他の日本語教会と大きく違うのは、礼拝出席者の3分の2以上が台湾人です。80歳前後以上の方々は日本人と変わりない日本語を話されます。それは1945年の終戦まで、つまり65年前まで台湾は日本だったからです。日清戦争で負けた中国が、勝手に台湾を日本に譲渡したために、50年間も日本でした。それは400年ほどのうちの50年なのです。
ですから台湾に行く前は、台湾は日本を嫌っているだろうなー、どう接したらいいのだろうかと思っていました。ところが、教会にはたくさんの台湾の方がいらっしゃいます。そして皆さん明るく「私は○歳まで日本人でした」と言われます。えー?と思いましたが、今ではいつもいろんな方に言われるので、良くも悪くも慣れてしまいましたが、初めは非常なショックでした。

この世代の方々は学校教育が日本語であり、生まれて十代まで続くのですから、日本語が「母語」なのです。台湾の中で、今なお、夫婦や同じ世代の友人間等で、日本語を日常的に使用されておられる方も少なくありません。 mothertongueとは、決して母「国」語でないことを知らされました。
テレビも24時間日本の番組ばかり流れているチャンネルが数局もあり、若者は日本のドラマやバラエティ番組をよく見ては、非常に日本の「今」について敏感で詳しいです。それほどに老いも若きも、日本を隣のように思ってくださっている方が多くいる台湾です。

東北大地震へ台湾から篤い思い

今回の津波や大地震のニュースを見て、3月11日の翌日には、台湾全土で募金活動や、教会等では徹夜祈祷など多くの祈りが捧げ始められました。大学生たちも街頭に集まってキャンドルを灯して、日本のために祈る姿が報道されました。ニュースを見ながら「我が同胞がこんな目に遭っている。自分のことのように痛む」と九州ほどの小さな台湾で、日本とは所得格差もありながら、大きな金額を皆気前よく献金、寄付してくださいました。同志社大学とも姉妹校である基督教の長栄大学は、東日本大震災を支援するために、学生委員会がチャリティーバザーを行い、全収入を日本被災地への義援金とし、全校の先生と職員も一日分の給料を献金したそうです。今後引き続き義援金を募集し続けるとのことです。

隣人愛とは

キリスト教はよく隣人愛だと言われます。皆さんも「隣人愛」という言葉を聞いたことがあるかと思います。「隣人を自分のように愛する」という、ノンクリスチャンの方も、なるほどと頭や胸に残りやすい言葉です。

私も台湾に行く以前もよく隣人愛のことをお話しながら、皆さんにとって「隣人」とはどなたを、またどの範囲の方を思い浮かべられますかと尋ねていました。ある方にとっては字義通り、隣にいる人、それはパートナーや家族、友達、近隣の方…などでしょう。今なら距離よりもメールなどで頻繁に連絡がとれます、そうした顔は知らないけれど、よくやりとりしているメル友…などでしょうか。全人類だと大きく答えられる方もいらっしゃいます。そうですね、まだ見たことない方、会ったこともない方、でもその人のことを胸にとめることができます。その方達も隣人ですね、と話していました。今日の聖書には、聖書の専門家たちが聖書に書いてある「わたしの隣人とはだれですか」尋ねるところです。

「行ってあなたも同じようにしなさい」

特にここで強盗に襲われた人を助けたサマリア人はあなたたちユダヤ人が嫌っている民族ですよ、と。最後に誰がその人の隣人になったと思うか、と聞かれて、律法の専門家は「その人を助けた人です」と得意げに答えるわけですですが、更にイエス様は言われます、「行って、あなたも同じようにしなさい。頭でわかっているだけでは意味がないよ、実際に行動に移しなさい」と。イエス様は、律法の専門家に試されたのですが、動揺せずにぴしっと大事なことを答えられました。思わず拍手したくなります。

では実際、どれぐらい何をしたらイエス様の言われる「同じように」という意味になるのでしょうか。

台湾で旅行中の日本女性が脳出血で倒れた

台湾に赴任して1年半した2008年2月のことです。大事件がありました。 日本と台湾合同でのキリスト教の修養会(国際平和アシュラム)が台北から車で高速で1時間半ほど離れた町、新竹で行われました。その二日目に日本から参加された寺まりさんという女性が脳出血で倒れられ、手術の成功率40%ということの了承を国際電話でご家族に確認してから、手術となりました。手術は成功しましたが、12日間意識がなくICUに入院でした。その後一般病棟へ移られ、ようやく時々目を開けられるようになりましたが、まだ意識はありません。

術後早くから聴力はあるようで、言葉かけに手足が反応する感じでした。そこでずっと面会時間に言葉かけや祈り、聖書を読み聞かせたり、讃美歌を歌ったりしてきました。お孫さんの声を携帯電話で聞かせると、固く閉じていた手が動いたり、初めて指が開いたりしました。また聖書朗読の声に反応するように、体が大きく動きます。ですから看護師にご協力いただいて、夜間以外はCDやカセットを流しっぱなしにしています。言葉かけは日本語で、ですが、ICUの看護師さんたちも「まりさん、指を動かしてください」「痰をとります」などの日本語をローマ字で書いたものをベッドの横にはって、それを見ながら日本語で話しかけてくださっています。

しかし病院との連絡には、日本から駆けつけられた息子さんたちにとって通訳が必要です。 そうした中で、日本語ができる産地民族の牧師が病院の近くにお住まいで、まりさんの息子さんを滞在させてくださったり、日本語ができる方々がニュースを聞いて、台湾各地から次々にお見舞いや日本語での言葉かけ、通訳に来てくださいました。

「家族ですから」

中でも、術後翌日にまりさんが参加していた修養会で、まりさんと同じグループだった80歳を過ぎておられる王采_さんが朝早くから病院で待っていてくれました。私たちや日本から一緒に来られた方たちもびっくりして、思わずお礼よりも先に、「王采_さん、どうしてここにおられるんですか?」などと失礼なことを言ってしまったぐらい驚きました。 すると王采_さんは笑いながら、「まりさんは家族ですから」という答えがすっとかえってきました。その言葉に、まりさんのご長男含め、私たち一同は強い感動を覚えました。 考えてみれば、ほとんどがこの2、3日内で初めて知り合った者同士で、しかも共同生活しながらまりさんを見舞いに通っている、ある意味不思議なつながりに強い絆を感じたのでした。

今回、まりさんは海外旅行保険やそれに代わるような保険に一切入っておられませんでした。もしそれがあったなら、高額な手術、ICU入院費、一般病棟での介護士の雇用代金、ご家族の渡航費や滞在費、そして何より、これから脳内出血した方の航空機搬送代金は特別機をチャーターするので、かなりの高額(台湾を普通なら100回往復できるぐらい)のそうした費用を心配する必要なく、最高の医療や方法を尽くせたかもしれません。もし保険でまかなえるのであれば、ご家族ももしかしたら「自分たちで対処しますから」とあっさり言われたかも知れません。しかし今回はそれは一切なしです。だからこそ、そのことを知った上で考慮くださっているキリスト教病院との協力体制や教会のつながりや支えに、クリスチャンでない息子さんは深く感じ始められました。頼るのは主イエス・キリストとそれにつながる方々との交わりであることを。

こともなげに「家族ですから」という王采_さんの言葉が何度も胸に繰り返され、日本人仲間でも流行(はやり)言葉のようになってしまうほどでした。

「皆でイエスさまの奇跡を見ましょう!」

王采_さんはICUで眠ったままの状態のまりさんの前で、ご長男さんに「あなたも教会へ行きなさいね」と何度も言われました。実はきっとそれは母まりさんがずっと願っていたことで、でも息子には直接言えなかったであろう言葉だったでしょう。黙って聞いておられた息子さんは、いつしか病室で一緒に主の祈りを祈り始められ、「お母さん、僕が聖書を読むからね」と言って母の耳元で読み続けられるようになりました。讃美歌も声を合わせられました。そして「台湾などに来なければこんなことにならなかった」と思われているのではというこちらの心配をよそに、「教会のつながりでよかった、ここが台湾でよかった、すごく台湾が好きになった」と言われ、「みんな神様の導きですよね」とも言われました。

まだはっきりとした意識のないまりさんですが、王采_さんの「さあ、みんなでイエスさまの奇跡を見ましょう!」との言葉に皆の顔が輝きました。

憐れんだから!

イエス様のたとえ話を聞いて、この中で隣人とは誰もがこの助けた人だと思います。しかしよく読むと、「隣人とは誰ですか」と律法学者達は質問したのですが、最後にイエス様は「誰が隣人になったと思うか」と聞き返されました。イエス様は敢えて「隣人になる」という言葉を使われました。どうしたら隣人になれるのでしょうか。

このサマリア人は、倒れた人を見て、憐れに思い近寄りました。他の人は面倒くさい、まずいことになると自分のことが優先されて、見過ごしていきました。しかしサマリア人にはただただ憐れむ心が働いたのです。意識したのです。そこから行動が起きました。私たちはついついこのサマリア人のように、傷だらけの体を介抱し、宿屋まで連れて行って、そして金を払い、不足しているなら翌日また追加して払わなければならない、と思うと足がすくみます。しかし実際このサマリア人がここまで動かされたのは「憐れんだから」と書いてあります。

「憐れむ」という聖書に出てくる言葉は、元々腸(はらわた)が痛む、という意味でした。 子宮とも言われています。自分の体が痛むように感じる、自分の事のように感じるということです。

台湾語で「愛」は「疼」

私たちを造られた主なる神は「憐れみの神」です。「愛」という漢字は中国語でも「あい」と発音します。台湾語でも○○するのが好きという意味で「あい」と使いますが、キリストの愛を表現する時には「疼」と書いてティアと発音します(うずく、いたむ)。まさにこの憐れむ、という意味です。

「家族ですから」と言いながら、王采_さんはじめ見舞いにきて、まりさんの意識を回復させようと日本語で呼びかけ祈られる方々は、まりさんの病室に集まる皆に互いに希望を持たせ合いました。光の見えている病室でした。一カ月後、まりさんはバイバイの意味で手をふられるまでに回復されて、特別に改造された航空機で運ばれ、日本へ帰国できました。

互いに隣人になることのできるように私たちは造られ、そして私たちの隣には必ず隣人が用意されているのです。一番のよき友がイエス様です。これからの皆さんの人生でどんな友やつながりが与えられるか、期待していてください。

今日この礼拝に、同じ場に招かれた私たちは皆、主の家族です。時=歴史、国籍、海を越えたつながりがあり、天災支援や旅行者への助けなど、海を越えて、今なお互いに憐れみ合っています。ここに、目に見えない主イエス・キリストの憐れみが私たちが注がれていることを確信しています。アーメン

135年を語りつぐ