主を待つ心

近藤 十郎 (本学名誉教授・日本基督教団城陽教会牧師)

新島が見た夢

今から数えて137年前の1874(明治7)年10月9日、アメリカン・ボードの第65回年次大会において、新島が語った演説について紹介しましょう。ヴァーモント州ラットランドのグレイス教会が、この大会の会場でした。時間は僅か15分あまりだったと伝えられています。同じ年の10月15日付のレポートに、この時の新島の演説の様子が記されています。日本におけるキリスト教主義大学の設立のために、寄付金を募った演説です。「私はキリスト教主義の大学を建てる金なしに日本に帰ることができません。それを得るまでこの演壇の前に立たせていただきます。…」新島、時に31歳。彼がみた夢はじつに壮大でした。明治期の若者たちがこぞって見たであろう、立身出世の夢などでは決してなかったのです。この新島が見た夢こそ、わが同志社のスタートとなりました。日本の同胞3,300万人の未来の歴史に確固たる道筋を整えるために、夢のある若者、人格識見に優れた有為の若者を真のリーダーとして輩出できるような学校、高等教育機関を、と彼は夢見ました。その教育理念の根底に、新島がアメリカの地で触れたキリスト教の精神があったことは、言うまでもありません。

新島が見た夢、その夢は単なる一過性の儚い夢ではありませんでした。新島の心のイメージに刻まれた夢は、それが夢見られた瞬間にすでに彼の魂の内側において、一つのリアリティーになっていたのです。

預言者イザヤが見た夢

預言者イザヤの時代、闇と混沌が彼の時代を包み込んでいました。かつての荘厳かつ華美なエルサレムの町はすでに、バビロニアの大軍の侵攻により廃墟と化し、人々は荒れ狂う戦火の中を逃げまどい、不条理と虚無感が、人々の魂を貪り尽くしていました。 底なしの虚無と絶望、ニヒリズムの脅威が人々の心を容赦なく打ち砕いていました。そのような時代状況の中で、預言者イザヤは、闇と暗黒の世界を光へともたらす新しい歴史が創造されること、そのような希望の光が、すでに照らし出されつつあることを信仰のうちに見い出していました。彼の心のうちには、新しい創造の働きが神様の救いの証しとして始まっていました。彼の心のイメージには、すでに描かれた夢が一つの明確なリアリティーとして映像化されていたのです。

アドヴェントに思う

この季節を、私たちは「アドヴェント」(待降節)の季節として過ごしています。今年のアドヴェントの期間は、11月27日から12月18日までとなっています。同志社女子大学では、11月25日の金曜日の夕方、今出川、京田辺の両キャンパスで、クリスマス・ツリーの点灯式が行われましたね。メディアの報道もあったと聞いています。アドヴェントという言葉は、もともとラテン語の動詞・advenio・から派生していて、「近づく」「迫る」という意味です。イエス・キリストの降誕の日、クリスマスを待望して待つ、ということでしょう。クリスマスが世俗化して、その原意が失われつつあることは否定できませんが、私たちとしては、クリスマスやアドヴェントのもつ意味を、原点に帰って確かめたいものです。メシア・イエスの誕生の日を、心を集中して、全開にして待つ、ということです。私たちにとってのアドヴェントは、救い主イエスの到来を信じて、そこから新しい時代の夜明けを「夢見る」期間です。その夢は、決して実現不可能な幻想としての夢ではありません。クリスマスは、イエスがその全生涯をかけて実現された和解と平和、愛と希望の夢を証しする日です。

夢と現実

現代人にとっての「夢」は、ともすれば非現実的、否定的、消極的な意味合いでとらえられがちです。しかし、私たちの聖書の信仰においては、「夢」は、必ずしもそのような儚さと一体化されていません。そうではなく、むしろ「夢」そのものが、ある種のリアリティーを含んでいたことが、種々のテキストにおいて示されています。旧約聖書の「ヨエル書」には、次のような言葉が記されています。「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。」(ヨエル書3:1)「その後」というのは、言わば神の救いの歴史が完成する時、といった意味合いです。神の救いの歴史が完成する時には、夢を失った老人たちも鮮やかな夢を見ることができ、夢を見ることに絶望しがちな若者たちも、確固たるリアリティーによって裏打ちされた幻を、心の中に抱くことができる、ということです。

不確実性の時代を生きる私たちです。この時代に確実なものを求めようとするあまり、形あるものを手で触って、目で見て確かめることのできるものにだけ、心を注いで、結局は何も得られず絶望することの繰り返し、蟻地獄の世界に陥ってしまう危険性は常に私たちの身の回りに潜んでいます。何が信頼に足るべきものか、真に心を注いで求めるべきものなのか、本物と偽物とをしっかりと見定めることのできる認識能力、幅広い識見と心の弾力性が求められる時代です。

夢を見ることにチャレンジ

同志社英学校の開業は、1875(明治8)年、11月29日のこと。生徒8名からのスタートでした。新島はこの時、弱冠32歳でした。わが同志社女子大学の出発は、その翌年の1876(明治9)年のこと。新島があの「夢」を、日本にキリスト教主義の大学を、と「夢見る」ことがなければ、今日の同志社はなかったのです。彼の見た「夢」は、夢に終わることはなく、「夢」を見たその瞬間にすでに、一つのリアリティーとして実現されていたのです。

現代という時代は、若者たちから、否、私たちすべての者たちから、容赦なく「夢」を奪い去っていく厳しさをはらんでいます。夢を見ることさえ許さない過酷さを、この時代は示しています。しかし、このような厳しい時代、暗い時代の中にあっても、大胆に、しかも壮大な夢をみる勇気を持ちたいものです。 アドヴェントの季節には、このような心のチャレンジを試みることも必要なのではないでしょうか。

135年を語りつぐ