同志社女子大学とわたし

阿部 登茂子 (本学名誉教授)

京都は歴史と文化のある素晴らしい町です。そのすばらしい町にある同志社女子大学は、新島襄によるキリスト教精神が充満した伝統ある素晴らしい大学です。この大学で学ぶみなさんに今日はそのすばらしさの一端を知って頂ければと思います。

さて、今週は春の宗教教育強調週間でその初日、135年を語りつぐとなっております。 2011年の今年は、同志社の女子教育が始まって135年を迎えます。私はこの同志社女子大学で、学生時代からこの3月末まで約50年、半世紀にわたり過ごして参りました。

私の学生時代は、昭和34年(1959)からの4年間です。当時の日本は、今のような豊かな時代ではありませんでした。戦後の復興期とも言われ、ようやく経済が成長期に向かい、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を"3種の神器"と言って、大変にもてはやされ家庭に普及されだし、国民の生活が向上し始めた時期です。また、女子の大学への進学率も社会的活躍も低く、女性には良妻賢母が求められていた時代です。そのような時代でしたが、私は憧れておりました同志社女子大学で学ぶことができ、さらに引き続き長年お勤めさせて頂けたことを大変幸せに思っております。

私と同志社女子大学との繋がりの中で一番大きなものは、「キリスト教主義に基づく教育」と「よき師、よき友との出会い」です。

同志社の校章・マ-クは、逆3角形が3つ結びついていますね。これは教育の3原則である、知育、徳育、体育の3つのバランスがとれた人間教育を示し、その根幹にキリスト教主義の教育が置かれていることです。さらに本学ではリベラルア-ツを重んじ、現在では専門分野の知識や技術の修得が優先されがちですが、さまざまな分野の学びを通して、幅広い視野を養うこと、また他者を思いやる心と自立の精神を養うこと、国際社会に貢献できる女性の育成を目指していることです。 元学長で、今は故人の越智文雄先生は「同志社には何ものにも代え難い、目に見えない尊い魂の遺産がある。これを大切に受け継いで行きましょう!」と語っておられ、私はいろいろの場で実感しております。

次に、本学で多くのよき師、よき友に恵まれたことです。私が学生時代、またお勤めをしていた初期は、敬虔なクリスチャンの教職員が多くおられましたが、本日は、私が久次米哲子先生の栄養学ゼミに入りました時より、身近にご指導・お世話になった松下紀美子先生についてお話しさせて頂きます。
みなさんは松下先生を全くご存じないかと思いますが、先生は女子大学の前身である同志社女子専門学校のご卒業ですので、みなさんの大先輩になります。
先生は卒業後家政科の助手として残られ、生涯、同志社女子大学と歩を共にされました。先生は優しく、他者を思いやる心をもたれた敬虔なクリスチャンです。何事にも熱心に誠実に取り組まれ、同志社女子大学の発展のため、またご担当分野の管理栄養士養成のために精魂を傾け多大な貢献をされましたが、残念なことに現職中、55歳で急逝されています。現在の管理栄養士課程の基礎固めをして下さり、本学に無くてはならない先生でした。
私は先生の後を継ぎ助手時代から長年、師としてまた姉のように公私にわたりお世話になりました。ご一緒にラットの動物実験による研究に励み、学会に出かけたり、夏休みには信州に旅行を楽しんだり、沢山の先生との想い出がございます。そしていつも優しく支え、励まして下さったことに感謝しております。

退職前に研究室の整理をしておりますと、 多くの資料の中に「学内礼拝」の冊子(1971年~)が出て参り、懐かしい先生方のお名前に思わず手を休め、退職後にゆっくり読ませ て頂こうと大切にファイルに閉じ、持ち帰っております。この中に、私の敬愛する松下先生の礼拝でのお話し、2編掲載されておりましたので、その1部をご紹介させて頂きます。

1編は1980年6月、テ-マは「思いやりの心」です。複雑な難しい人間社会、人生には知識ばかりではどうにもならないことが沢山ありますが、相手に共感し、愛し、思いやることが大切、と真実の愛について語っておられます。

もう1編は1986年1月に「同志社への感謝 入院生活より得たもの」です。これはその2年前1984年に学内で、突然激しい頭痛と吐き気におそわれ、めまいで立つことも歩くこともできなくなり3か月の入院を余儀なくされ、不安、淋しさ、焦り、恐怖のなかにあった折りに、同志社に繋がる方々、学生、卒業生の方々を通して同志社の温かさ、力強さ、そしてその背後にある大きな愛の御手を感じられたことです。入院中は主治医の治療は勿論、心優しい説明、励まし、看護師さんの献身的な働き、病院給食での患者への配慮や行事食の大切さなどなどを感じておられます。また自分の身に起こる全ての出来事、迫害も、苦難も、悲哀も、孤独も、全てのことが相関連し合って1つの全体として益として働くという聖句、「全てのこと相働きて益となる」(ロ-マ書第8章)を挙げられ、聖書の御言葉は心を澄ませて拝読する時、不思議な力を私たちに与えてくれ、断片的に覚えていた聖句も大きな支えとなり、讃美歌の歌詞は弱っている心に一層しみ込みましたと述べておられます。さらに、病気の回復には病院の手厚い治療・看護と共に、病人に治ろうとする気力を持たせるために心のこもった励まし、祈りが必要です。私は同志社に関係した人々より大きな力を頂きました。同志社に関係した方々がこれほど温かく親切で、愛に溢れているか、離れてみてはじめてわかりました。人は愛によって生かされていることをと感謝の言葉を述べられ、その6カ月後に急逝されました。その後私は松下先生の研究室に移り、ご担当の教科・実習を担当することとなり、松下先生と私の間にはみえざる御手で繋がっていたように感じます。
そして私も今、先生と同じ気持ちを抱いております。

はじめに拝読して頂きました聖句ご存じの方も多いでしょう、Mt.7章7節から8節の「求めなさい!」は入学した頃聴き、心に留めた聖句です。2つ目のコリントの信徒への手紙Ⅰ 10章13節「どんなに大変な試練に対しても、それに耐え得るように道を備え与えて下さる」この聖句は、私の父が亡くなった時に、松下先生から頂いたお心のこもったお手紙に書かれていた聖句で、忘れられない句です。

私は、恵まれた同志社女子大学の中で過ごさせて頂きましたが、山あり谷ありでした。そのような折り先輩からの温かい励ましと共に、これらの聖句が常に私を支え、力となっておりました。無事に長年の勤務を終えられたのも、みなさんに支えられたお陰です。

素晴らしい同志社女子大学の学生さん、教職員のみなさんと共に学び、仕事ができ、今みなさんの心の温かさに感動し、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

135年を語りつぐ