異国であおぐ月―同志社女子大学の国際交流―

大島 中正(日本語日本文学科助教授)

『同志社女子大学125年』によると

おはようございます。昨年の11月29日(創立記念日)に刊行されました『同志社女子大学125年』には、国際交流について、次のように記されています。その一部分をよみます。

同志社女子大学の国際交流の原点は、創始者、新島襄の海外渡航にさかのぼるが、ウーマンズ・ボードの日本伝道によりアメリカの女性や子供たちによって寄贈された校舎によって開学が可能となった女学校は設立当初から国際性をもっていた。さらにその国際性は、アメリカン・ボードやその他の団体から送られてくる宣教師や教師、そしてアメリカに留学し帰国後教壇に立つ卒業生が他の教職員や学生と交わるなかで、さらに培われていった。
同志社女子大学全学生を対象とした海外夏期研修は1980年の夏に始まり、1999年では、(アメリカ合衆国6大学、カナダ1大学、イギリス3大学、ニュージーランド1大学、オーストラリア1大学、中国1大学、韓国1大学、)合計14大学と交流協定を結び、これまでに、141名の長期留学生を、また累計62の夏期研修プログラムを通じて二千人近い学生を海外に送り出してきた。(同書244頁より 三宅えり子先生執筆)

ここちよい孤独感

わたくしも、海外夏期研修の引率者としてイギリスと中国へ行き、また在外研究員として、中国での研修の機会を与えられました。そしてJSP(日本研究プログラム)の担当者としても、同志社女子大学の国際交流にかかわりをもつことができました。たいへんありがたく思っています。1992年の10月1日に国際交流センターが開設されました。その日の1時間目の日本語の授業(MBCの学生4名)を担当でき、たいへん晴れがましく思っていたことを今でもはっきりと覚えています。

わたくしは、1989年の4月に入社しましたが、それまでの6年間は、民間の日本語教育機関で日本語教師をしていました。実は、1994年度の夏期研修プログラムで、引率者の1人としてイギリスへ行くまでは、1度も海外へ出たことがありませんでした。自分の国で就学生や留学生と交わるだけでは、あるいは、書物を通して異文化にふれるだけでは得られなかったもの。少なくとも、このわたくしが、異国に身をおくことによってはじめて得たものがあります。それは、「ここちよい孤独感」です。

現在、学術交流協定を結んでいる大学の1つであります北京大学で在外研究員として1年をすごした時のことです。そのスタートは子供が病気になったために、海外でのひとりぐらしという形になりました。「春宵一刻値千金」と言われるとおり桃の花が美しく咲く北京大学のキャンパスで、ひとり静かにユーラシア大陸の夜空を見上げたことが、今、とてもなつかしく、しかもなぜか生き生きと思い出されます。夜空にかかる月は、病気の子供のことや船便扱いにした荷物のことなど、不安なことがいっぱいあったわたくしには、つめたく、つれないほど澄んで美しく見えました。しかし、日を重ねるうちに、家族が友が同僚が学生たちが遠くはるかな存在に思えてきました。きもちよく孤独になれたのです。それは、すなおに自分とむきあえること。つまりは、神さまと対話ができることなのだと思いました。

新島襄先生の短歌

旅にある者、とりわけ異国にある者にとって、月は「はるけさ」をしみじみと感じさせるものとして、中国・日本の詩歌にも多くよまれてきました。
 ・嗚呼吾に吾にかまふなけふの月隈なく照れよ武蔵野の人
 ・左なくとも秋は物憂きものなるに余所にてそ見るけふの月影
 ・名月に父母は如何と尋れば不言不答唯明々
いずれも新島襄先生が異国へむかう船の中でよまれたものです。歌人であり近代文学の研究者でもある安森敏隆先生は、これらの短歌について、

海の上では父母もいない、国家もどんどん離れていく。あるものは自分だけである。しかし自分だけでは生きてはいけない。その時に聖書がどんどん大きくなってきて、祈りの言葉がわいてきたのだろうと思います。(『新島講座 新島襄の短歌―和歌的発想と短歌的発想―』安森敏隆・著、学校法人同志社・発行 32-3頁)

とのべていらっしゃいます。新島襄先生がニューイングランドに着かれてからよまれた歌の中にも次のような1首があります。

胸のうちつもる迷ひの雲晴れて隈なき月を見るぞ嬉しき
(聖書にかきつけてあるそうです)
わたくしが、自分の、あまりにもめぐまれた体験から新島先生のお気持ちを推し量るのは、おこがましすぎるかと思いますが、おそらく若き日の先生も「はるけき思い」をいだかれているうちに「ここちよく孤独」になってゆかれたのだと思います。

125年をつくり出した力

異国にあれば、コミュニケーションがうまくゆかないのは当然のこと。その困難をうちやぶる力。それは、「ここちよい孤独感」から生まれてくる力だと思えてなりません。すなおに自分とむきあえてこそ、たとえば、自分を日本人、相手をアメリカ人・中国人などといったカラの中にとじこめてしまわないで、ひとりひとりとして向き合おうという気持ちになれるのだと思います。孤独になりきれないかぎり、真の出会いはない。そう思うのです。

「世界で一番良い国は日本、日本で一番良いところは京都、京都で一番良い学校は同志社、同志社で一番良いところは女子部」とまでおっしゃったデントン先生は、日米対戦中も帰国することなく、文字どおり身命を賭して女子部を愛しつづけられました。

新島先生・デントン先生をはじめとする多くの先輩たちの生き方を知れば知るほど、「民族や国家のカベは必ずのりこえられる。決してあきらめてはいけない」という神様からのメッセージを全身でうけとめなければとの思いがいよいよつよくなってきました。

125年を語りつぐ