ミス・デントンが残したパンプキンクッキーのレシピ-荒木和一との交流の中で-

日比 惠子(嘱託講師・英語学概論)

最近、同志社同窓会の新卒業生歓迎会ではパンプキンクッキーが出されるとお聞きしています。これはミス・デントン直筆のレシピに基づいて同窓会の方が準備されるものですが、今日はこのパンプキンクッキーのレシピがどこにあったのかについてお話したいと思います。

今から5年程前、同志社女学校の卒業生で荒木幸(旧姓:松田)という方について調べておられた坂本清音先生から、私の恩師である小田幸信先生を介して、荒木和一という人の書いた『英和俗語活法』というものの存在を知っているかというお尋ねがありました。英学史や英語教育史に興味があるからなのですが、その著者や書物について私は全く知らなかったものですから、調べてみることにしました。何も手掛かりがなければ、手をつけなかったかもしれませんが、ご子息の荒木元秋氏がご著書『鏡の中に映った戦争と平和』(近代文藝社、1992)の中でご両親のことを書いておられるということを坂本先生が教えてくださいました。それによって荒木和一という人は、同志社女学校の歴史の中に大きな足跡を残した宣教師ミス・デントンと家族ぐるみの交流があったということを知りました。

今日は荒木和一その人についてお話するのが目的ではありませんので、荒木和一という人については、"旧制第三高等中学校を出ると実学の道に進んだが、ここで、後に同志社総長となる牧野虎次と同級であった"ということ、そして"現在同志社大学の今出川の図書館に収蔵されている「荒木英学文庫」と「荒木文庫」の蔵書の持ち主であった"という同志社との関わりだけに止めておきます。

この荒木和一が、ミス・デントンとの交遊をいつ頃始めたのかはわかりません。元秋氏によれば、牧野虎次を通じてミス・デントンと知り合い、再三訪問して、英会話に興じていたとのことです。一方、同志社女学校普通科第11回卒業生(明治27年)の松田幸という人は、ミス・デントンが鳥取伝道に同行させ、後には音楽の勉強のためドイツに留学させたほどの秘蔵っ子だったようで、ミス・デントンと近しい付き合いをしていたということが荒木和一と松田幸との縁結びとなったのだと考えられます。

直接的には荒木和一という人物について調べるためにミス・デントンに関する文献を読み始め、それによって私はミス・デントンと関わり始めたということになるのですが、中村貢先生のご著書『デントン先生』(同志社同窓会、昭和50)によって、戦時中と思われる時期に二人の間に手紙のやり取りがあり、荒木和一宛ての手紙をミス・デントンの死後、和一は同志社女子大学に寄贈したということを知りました。これは女子大の史料室に保管されているはずだと思い問い合せたところ、史料室のご厚意で、その手紙を読ませていただくことができました。

残っている手紙は36通で、この中には、メモ書きのようなものや今日お話するレシピも一通として含めています。封筒はわずか3枚が残るのみで、中身は出されています。消印は昭和15年のものです。手紙に日付が入っているのは「1943年8月12日」の一通のみ、月日が書いてあるのが一通、あとは全く日付が書いてありません。内容から見て恐らく1940年~43、4年頃に書かれたものではないかと思います。

手紙の内容は、物資の乏しくなってきた時代に不自由を忍んで生活するミス・デントンを助けようと、頃合を見計らっては食料品や衣料品類を差し入れたと思われる荒木和一に対するお礼から始まるものが多いように思います。晩年のミス・デントンは、献身的に身の回りの世話をした星名ヒサをはじめ、同志社関係者に見守られて毎日を過ごしています。史料室に保存されているデントン日記にはそれらの人々にたいする感謝のことばがあふれていますが、荒木和一からの贈り物への言及、感謝もその日記の中に見られます。手紙は1対1のやり取りですから、もっとミス・デントンの生の心情がぶつけられているように思います。話題としては、本に関するものが一番多いようです。二人の間では本の貸し借りが頻繁に行なわれたのではないかと思います。ミス・デントンが読書家であったことはよく知られていますが、手紙でも荒木和一に「この本は読みましたか」とよく聞いています。また古本屋で本を探して欲しいという依頼も多くあります。

そんな中で、時々料理について書いていることがあります。ミス・デントンはよくデントン・ハウスで客人を遇していたようですが、手紙には、荒木和一が持ち込んだ材料で久しぶりのご馳走を楽しんだこともあったのではないのかと思わせる節があります。また料理の本にも触れていて、未だ特定できずにいるのですが、"Boston Cooking Book"というものがでてきます。

そして「6月24日晴れ」と月日のみ入った手紙の中で、昔"Saturday Evening Post"に、有名なシェフによる料理に関する記事があったけれど、もし見つけられたらもう一度その記事を読みたいと書いたあとで、"I hope Mrs. Araki will try these pumpkin cookies. Very good for grandchildren."という文がでてきます。多分この手紙に同封されていたと考えられるのが、今日話題にしているレシピです。一番上には"for Mrs. Araki"と書かれていて、"Pumpkin Dropped Cookies"となっています。これがミス・デントンのオリジナルのレシピなのか、それとも昔こんなのがあったなあと思い出しながら書いたのか、あるいは偶々手元にあった本からの抜粋なのか、興味のあるところですが、それは今のところ私にはわかりません。

レシピといっても、材料は何、作り方はこうといわゆるレシピの体裁になっているものではなく、材料と作り方が混ざりあった書き方になっています。でも読んでみると、南瓜の裏ごししたものを入れ、くるみやピーナッツなどのナッツ類やバターをふんだんに使い、想像するだけでもおいしそうだったのです。そこで友人の小林弘美さんにお願いして、試しにこのクッキーを作ってもらいました。小林さんがそのまま商品になるぐらい見事に焼き上げてくださったので、それを史料室にお持ちしたら、そこから同窓会の方に伝わり、その年に行なわれたミス・デントン永眠50周年記念会でこのレシピとクッキーが紹介されました。

原文では分量はグラムではなくカップで示され、オーブンの温度や何分焼くかなどは全く書かれていないのですが、同窓会の方が材料はグラムに換算し、オーブンの温度や焼く時間なども含めてきちんとしたレシピを作り上げて下さいました。そのレシピはすでに3年前、『同窓会報』38号で紹介されています。

日本を、京都を、同志社を、女子部をこよなく愛したミス・デントンは、戦時中も帰国を拒否、そのため敵国人ということで軟禁状態の中での生活を強いられるようになります。そんな中で、荒木和一との交流はつづいたようです。また一時資産凍結令に従わざるをえないこともあったのですが、それが特別措置で解かれた際、その手続き万端に荒木和一は関わったようです。ご子息の荒木元秋氏は"ミス・デントンに祖母のような親しみを感じていた"と私信の中で述べておられます。同志社の直接の関係者以外でミス・デントンを精神的、物質的に支えたひとりに荒木和一という人がいたと言えると思います。この二人の交流が一枚のレシピを残してくれたということになります。

約60年前に書かれたと思われるこのレシピによって作られたクッキーが女子部の卒業生を毎年迎えています。今後も卒業生を迎え続け、同志社女子部の味として、後世にまで伝わっていくことを願っております。

最後に、今日、私は女子大に入学した昭和41年に入学記念としていただいた「賛美歌集」を持ってこの場に臨みました。今日このような形で、母校の歴史を語る上では、なくてはならない人、ミス・デントンに関わることをお話できる機会が与えられましたことに感謝いたします。ありがとうございました。

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