同志社女子大学生らしい学生

森下 直明(経理部長)

「125年を語りつぐ」というシリーズに相応しい内容の話になるかどうか心もとない限りですが、過去を振り返りながら今思っていますことをお話させていただきます。

今年も残り少なくなりましたが、私は、毎年70人ほどの同志社女子大学の卒業生の方からクリスマスカードや年賀状をいただきます。そして、その中の多くの方とは、年に一度の会で出会いますし、また、時々卒業生が我家を訪ねて来てくれたり、時には卒業生の家族と一緒に旅行に出かけたりすることもございます。教員でもない私が、なぜこれだけ多くの卒業生の方達と親しくお付き合いを続けているかと申しますと、1969年に同志社女子大学に奉職致しましてから約15年間、仕事とは別に本学のある運動部の監督として指導に携わったからであります。従いまして、長い人とはもう30年を超えるお付き合いをしていることになります。

私は、学生時代、男だけの体育会に所属していたこともありまして、監督に就任するにあたり女子学生、しかもお嬢さん学校のイメージが強い同志社女子大学の学生が、体育会系のクラブ活動に真剣に取り組むだろうか、そして厳しい練習に耐えられるのだろうかと懸念し、不安を隠し切れませんでした。しかし、実際に学生達に会い、指導を始めますと、たちまちそのような心配は払拭されました。今と違って当時は練習の施設も不充分で、部員の数も少なく、高校時代の経験者もほとんどいないため技術的にも低いレベルでしたが、個々人がクラブ活動の意義や目的をしっかりと認識し、練習も実に熱心で、活き活きと活動に取り組む姿勢が伺えたからであります。そして、指導を始めて4年目を迎える頃には部員の数も増え、試合での成績も関西だけでなく全国でも上位を維持するレベルに達したのであります。このように活性化した背景には、「心身ともに強くなりたい」、「クラブの伝統を守り、発展させたい」といった部員達の厚い思いがあったからに他ならないと思います。そのため学生は、全員で協力してクラブの運営にあたり、厳しい練習を続ける一方で、新入生に対する入部の勧誘は勿論のこと、いろんな高等学校の生徒などにも声を掛け、時には受験勉強の指導などもしたりして、選手を確保することにも熱心でありました。しかし、彼女達はクラブだけの生活ではなく、当然ながら先ず学業を優先し、そしてクラブ活動にも真剣に取り組み、さらに他の何かにも挑戦しようという欲張った目標を掲げていましたので、大変忙しい毎日を送っていたように思います。それでも互いに刺激し合いながらクラブ活動を続ける一方で、例えば日本舞踊の名取になったり、エレクトーンの教師の資格や書道の師範の免許を取得したり、あるいは英会話や茶道、華道などの練習に励むなど、それぞれが充実した学生生活を過ごし、大きく成長して卒業していきました。特に私が感心しましたのは、忙しい毎日を送りながら、難関と言われる教員採用試験に10人近い部員が合格し、今も中学や高校の教員として頑張っていることです。その他の卒業生もさまざまな分野で活躍していますが、私は、このような学生や卒業生と共に過ごしてまいりまして、監督として教えることよりも、教わることのほうが多かったように思います。目標を持って努力すること、頭や気持を切り替えること、協調すること、相手の立場を思いやることなど、数え上げれば切りがないほど多くの大切なことを彼女達から学び、そしてそれらが今も私の教訓として心の中に生きています。

先ほど申しましたように、私は同志社女子大学に対して、一般的に言われるお嬢さん学校というイメージを持っておりました。しかし、彼女達とのクラブ生活を通して、また仕事を通して一般学生の皆さんや卒業生の方達と接するうちに、すっかりそのイメージが変わりました。確かに恵まれた環境で育ったことが伺える、いわゆるお嬢さんタイプの学生が多かったのは事実でありますが、決して置かれた環境に甘えることなくしっかりと自分の考えを持ち、意欲的で、礼儀正しく、誠実、そして真面目に努力する学生が多いことに気付き、このような学生が同志社女子大学の学生のタイプであり、同志社女子大学生らしい学生なのではないかと思うようになりました。そして、同志社女子大学には、そのような学生を育む制度や環境が整い、長く受け継がれてきたと思うのであります。

ところで、昔は、学生を一目見ただけでどこの大学の学生か大体見分けもつきましたが、最近は、なかなか区別することが難しくなっているように思います。このようになったのは、近年は、受験する大学を偏差値や難易度を優先して選ぶからとか、若者の没個性のあらわれだ、などと言われています。勿論そういうことも考えられるでしょうが、私はその他に、学生がそれぞれの大学のカラーあるいは雰囲気といったものになかなか染まらなくなっていることも、原因になっているように思えるのです。そしてそれは、大学側の建学の精神や歴史・伝統など伝える姿勢あるいは熱意と、それらを学び取る側の学生の意欲が、共に希薄になってきていることに因るのではないかと思うのです。大学間の競争が益々激しくなる今日の状況を考えますと、大学が様々な改革に取り組むことは大変重要です。しかし同時に、建学の精神などを常に意識し、実践して行くことも、極めて大切なことだと思います。本学におきましても、昔と比べて学生数も増加しているために大変難しいとは思いますが、大学の個性化が問われている今こそ、同志社が100年以上掲げ続けている人格教育をいかに進め、新島精神をどのように伝え、啓発していくかを考えることも必要なのではないでしょうか。そして、学生の皆さんもキャンプやイヴなどの学校行事、あるいはクラブ活動や礼拝などに積極的に参加し、また大学の施設・設備やプログラムなども大いに利用して学生同士また教職員との交流を深め、同志社の歴史や伝統、同志社女子大学イズムなどを感じ、学び取っていただきたいと思うのです。

私は、かつて就職課の仕事をしておりましたが、企業の人事の方から、同志社女子大学の卒業生は、「謙虚だけれども自己をしっかり持っている」とか「誠実で協調性がある」、「礼儀正しい」、「努力家が多い」などと言う言葉をよく耳にしたものです。本学あるいは本学の卒業生が社会で高い評価を得ている一例だと思いますが、今後も本学の教育理念や精神、あるいは校風が学生の皆さんに浸透し、円満な人格と教養を備えた同志社女子大学生らしい学生、また同志社女子大学に相応しい学生が多く育つことが、このような社会的な評価となり、21世紀における同志社女子大学の発展、充実につながって行くものと確信する次第です。

125年を語りつぐ