同女 4/125+α

生田 香織里(卒業生・同志社女子中高聖書科教諭)

おはようございます。久しぶりにこの栄光館で、同志社女子大学でお話をさせていただく機会を与えられたことを感謝します。紹介にありましたように、私は同志社女子中高の聖書科の教諭として働いています。なぜ聖書科の教諭なんだと不思議に思われる方もあるかと思いますが、お話していきたいと思います。

このような立場でお話する機会があるということは、思いもかけませんでした。私自身は卒業生として、同女のチャペルでお話していることがとても不思議ですし、みなさんにとっても、聖書科の先生がなんでここで話をしているのかと思うかもしれません。でも確実に言えることは、同女に繋がっているからこそ私は今ここにいるし、この場で礼拝のお話を聞こうと思って来ている皆さんも同女で繋がっていて、今ここにいる。そして、私達はこの時を共有しているということです。

私自身、1994年3月にこの同女の日学を卒業して8年が過ぎようとしています。その8年という期間は同女での生活が土台になっていると思います。もともと九州のミッションスクールの高校を卒業して、クリスチャン推薦、ここではA項推薦という言い方をしますが、そのA項推薦で入学しました。自由な校風に圧倒されながら、友人たちはユーモアがあって、賢い人が多く、その中で不安を覚えながら女子大生活を始めたのを覚えています。もともとは大人しい性格で、言われたことはきちんとこなすタイプです。自分から積極的に何かやろうという所まではいきませんでした。それでも同じ日学の友人だけではなく他学科、他学年の人と知り合えたというのは、言われなければやらなかったであろう宗教部のお手伝い、例えば今日して下さっている礼拝の司会や、今ここで立ってお話しているような学生礼拝、リトリートの実行委員をしたことなどが影響しています。日学ではフレッシュマンキャンプのリーダーもしていました。

そういったことで、クリスチャンの友人も増えましたし、学科や学年を越えての友人がたくさんできるようになりました。学生の友人だけではなく、先生や職員の方とも親しくお付き合いをさせていただくようにもなりました。

女子大時代の友人関係、人間関係というのは私にはとても大切な宝物です。同女の生活があって、初めて今の私があるのではないかと思います。ここにおられるみなさんも、この題名を見て来て下さったのか、礼拝をいつも聞きに来て下さっているのかわかりませんが、何かのきっかけで集まっていると思います。皆さん自身は学生という立場ですが、私は社会人という立場でこの場にいます。学生のときはまさかこの場所で社会人としてお話をする機会があるとは思いませんでした。

同女を卒業して、日学でしたので、国語の先生になりたいという思いがあって、本当にラッキーなんですけれども、九州にある自分の母校で国語科の教師をやっていました。その中でいろんな子どもたちと接して、そして自分自身を振り返りながらずっと悪戦苦闘といいますか、初めは、「うるさい」、「静かにしなさい」、「言うことを聞きなさい」という教師生活をしていました。そのうちに、本当に大切なことってなんだろうと考えた時に、もちろん国語でもいろんなことを語ることが出来ます。でも国語科というのはある程度カリキュラムが決まって、文法を教えなければならないとか、現代文はこれを教えなければならないというのがあります。その制約の中で、自分のことを伝えたい、大切なことを伝えたいと思うと、いろいろと難しい面もあって、私自身これでいいのかなと考えながら、生活をするようになりました。前の職場で4年経ったときに、改めて自分自身を振り返ったほうがいいんじゃないかということで仕事を辞める決心をしました。とても大変な決心だったのですが、迷いながらも、でもここで一つ決心をしなければ、次へは進めないという思いがあって辞めました。

それから、同志社大学の神学部へ入りなおしました。なぜ同志社の神学部なのかというと、ここでも実は同志社女子大の生活が関わっています。私はリトリートに、実行委員として毎回休むことなく、春・秋と全部で8回出席しました。4年生の時はもうお客さんだったのですが…。その集大成、3年生の秋のリトリートでは、実行委員長という大役をまかされました。そこで出会ったのが同志社大学の神学部の先生です。

講師で来てくださったその先生は、私にとってはとても不思議な魅力を持った人でした。それまでキリスト教というとなんだか堅苦しいイメージがあったのですが、それを取り払って、「そんなに肩肘を張らなくったっていいんだよ」、「あるがままの自分でいいんだよ」、「それを神さまは受け入れて下さるんだよ」と、先生が身をもって体験したことを、私たちにお話して下さいました。そんな先生の生き方をふっと思い出して、そういう生き方ができればいいなぁと、そういう思いをいろんな人たちに伝えられたらいいなぁと、私自身も振り返ってみたいなぁという思いで同志社の神学部に入りなおしました。

そのあと大学院に進み、自分の中でキリスト教がどんな影響があるのかということを勉強していました。教師という仕事をしていた後に学生に戻るのはとても大変なことでしたが、ある意味勉強するにはとてもいい環境でした。仕事をしていた時に悩んでいた問題を学校生活の中で、神学部の中で、解決していくというやり方ができたのがよかったと思います。それと同時に、学生をやっていると、また仕事に就くのは困難なことではないかと、いう気がしていました。でも、いろんな人たちとの出会いがあって、そしてあれよあれよという間に、私の思いがけない方向に進んで、この同志社の中で女子中高の聖書科の教師として、この場所に立っています。

でもよくよく考えてみると、原点はこの同志社女子大だったと思います。初めは同女の日学で国語の勉強をして、仕事をし、そしてまたやり直そうと思った時にリトリートで出会った先生を思い出し、そしてここで、こうやって話をしている。宗教部の方々とも関わりがありますし、同女の先生方とも関わっていっています。

もちろんこれだけではなく、この仕事のほかにも、同女の繋がり、友人がたくさんいますし、その友人たちは様々なところで活躍をしています。いろんなタイプの人がいて、いろんな個性を認めあっていく、この同女の素晴らしさは学生の時もいいなぁと思っていましたけれど、卒業してからはもっともっといいなぁと思えるようになりました。それはきっと、他の人たちが関わって下さって、自分がそれに対して応えていったということもあるでしょうし、その応えていったことが周りの人に波及、影響していって、さらにもっともっといい関係が作られていったのではないかというふうに思っています。

ここには、大学の1年生から4年生、あるいは、先生、職員の方もいらっしゃいます。この同女で学生の間に学生生活を楽しむという状態にある方、仕事として同女に関わっている方、そして卒業しながらも私のようにたまにふっと、こうやってお話をしにくる人間。いろんな時代があって、世代があって、移り変わっていく中でも、同女に繋がっているというのは、変わりなく私たちに共通した部分ではないかと思います。そのようにこの同女に繋がっている私たち一人一人が、同女を通していろんな人と関わって、そして同女が繋がっている神さまやイエス・キリストに関わっていくことができるのではないかと思います。ほんとうに今を大切に生きてください。

私が今回題名であげた、同女125分の4+αというのは、もうみなさんお分かりだと思います。同女の歴史125周年、125年の中の学生生活は4年。そしてその同女で過ごした125分の4に皆さん自身の人生のあり方+αというのがあると思います。どうかその同女125分の4+αをこれから生きていって欲しいと思いますし、この今共有している時間、場所を大切にし、一つ一つを大切にして生活をしていって欲しいと思います。この今の出会い、もしかしたら何年後かにまた違った形で再会するかもしれません。また違う方向で種が蒔かれているかもしれません。それを楽しみにして、今日のお話を終わりたいと思います。

125年を語りつぐ