こころよ では いっておいでしかし また もどっておいでね

小川 静枝(嘱託講師・英語コミュニケーション)

きょうは、私がこの大学で学生だったころにお教えいただきました、2人の先生について話をさせていただきます。1人は、哲学を教えておられたJ.O.先生、もう一人は、シェイクスピアを教えておられたM.K.先生です。

O先生には、1回生のときに哲学を教えていただきました。授業は、先生と生徒の質疑応答で進められました。先生があるテーマを出され、1週間後に学生はそれについて、レポートを書いて提出しました。先生はよく学生のレポートを授業中に取り上げて、他の学生の意見を求めました。私はどのような内容のレポートを書いたのかは、覚えていません。でも先生は、時々私のレポートを取り上げてくださいました。

あるとき、先生が研究室に来るようにとおっしゃいました。「あなたの一番仲が良い友達はだれですか?」と、先生は尋ねられました。私が友人の名前を告げると、先生は「その人と一緒に、3人で会いましょう」とおっしゃいました。
先生は寺町通りにある、「かわみちや」というおうどん屋さんにつれていってくださいました。畳の部屋に座って、おうどんをいただいた記憶があります。
突然、先生がその友人に頭を下げられました。「どうぞ、この人をよろしくお願いします」と、先生がおっしゃいました。

その後、3人で丸太町通りまで歩きました。先生は古本屋に寄って、きょうここに持って参りました、『八木重吉詩集』を買ってくださいました。詩集のあるページを開いて、「あなたも、このような詩を書いてください」とおっしゃいました。そのとき、開かれたページに西日が差し、古本屋の臭いが特別なものに思われたことが、今でも思い出されます。

八木重吉詩集の「序」に、次のように書かれています。

私は、友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

八木重吉の詩をご紹介しましょう。

心よ
こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで

(「心」と「行く」が、ひらがなであったり、漢字であったりしています。この不統一も、優しい感じがしていいでしょう?)

葉よ
しんしんと
冬日が むしばんでゆく
おまえも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかったろうな

葉よ
葉と 現じたる
この日 おまえの 崇厳

でも 葉よ
いままでは さぶしかったろうな

(八木重吉『八木重吉詩集』(東京:新文学書房、昭和42年)、第1巻より引用しました。)

私はこの詩を読んで泣きました。私は、故郷の北海道を思い出していました。家族を思う悲しみが、私の心に重い影を落としていたことに気付いていませんでした。昨年のチャペル・アワーで話をさせていただきましたが、私には、心を病んでいる妹がおりました。大学の庭で、季節の花を押し花にして、妹に郵便で送っていました。さくら、さざんかなど、そのときの花が今でも今出川校舎で咲いています。

O先生は私の気悲しみに付いて、友人に力になってくれるようにと、頼まれたのでした。私はO先生に詩集をいただいて以来、10数回にわたって引越しをしました。でも、いつもこの本を新しい土地に持って参りました。

K先生には、4回生のときにシェイクスピアを教えていただきました。先生は、学外から非常勤講師としていらっしゃいました。前期に『マクベス』、後期に『リア王』が教材として選ばれました。先生は、1日に2クラス、同じ授業を担当されました。私は2時間目に正規の学生としてK先生の授業を受講し、午後に友人のクラスに、いわゆる「もぐりの学生」として出席しました。1日に同じ授業を、2回受けたことになります。先生が力を入れて解説される個所が、それぞれのクラスで異なっていたために、2時間続けて受講することは、大変勉強になりました。

4回生の最後の授業が終了するとき、K先生は私たちに、はなむけのことばを贈ってくださいました。「50才の美人になりなさい。今は皆が美しい。でも人が本当に美しくなるのは、50才を過ぎてからです」とおっしゃいました。

私は、同志社女子大学の大学院修士課程に進みました。しかし修士課程を修了するころには、研究の展望を失っていました。「私が書こうとすることは、すでにイギリスのすべての研究者が言っていることだ。日本人の私が外国文学を研究しても、独創性を発揮できないのではないか」と、悩みました。

私がK先生に再会しましたのは、偶然のことでした。修士論文の完成が間近かったある日、楽真館のエレベーター前に、K先生がいらっしゃることに気が付きました。私は先生に駆け寄り、「卒業のお言葉をありがとうございました」と、お伝えしました。先生は私に、「勉強は進んでいますか?」と尋ねられました。私は「見通しが立ちません。自分が言おうとすることは、すでに他のだれかが言っていることばかりです」と伝えました。先生は、「シェイクスピアの言葉に、『こじきのポケットにも、いらないものが入っている』というのがある。『いらないもの』も、大事だよ」と、おっしゃいました。

「なぜ、人がシェイクスピアを読むか知っていますか?それは真実が書かれているからです。人は真実に触れたとき、感動して『すばらしい』とか、『いい』とか言うでしょう。あなたも感動した作品に、そう言っていいのだよ。その言葉は平凡であっても、あなたが語る唯一の言葉だ」

その後、K先生の言葉は私の支えとなりました。大切な人に、特別な気持ちを伝えたいとき、私は平凡な言葉を使うことを、恥ずかしいと思わなくなりました。いつも「私の心が伝わった」と、安心することができるようになりました。

八木重吉の詩に戻りますが、心は一体どこへ行き、どこへ戻ってゆくのでしょうか?家族の元を離れ、また家族の元に戻ってゆくのでしょうか?それとも、母校を卒業し、やがてまた心が母校に戻ってくるということでしょうか?

私たちは、多くの人から影響を受けて成長します。でも、その人に感謝の気持ちを抱きながらも、直接「ありがとう」と、伝えられないことが多いでしょう。ですからその感謝の心は、他の人に「では、いっておいで」と、「渡してゆく」ということなのでしょうか。

私もいつしか、詩を書くようになりました。言葉が稚拙で、皆さまに読んでいただくのには、勇気を要します。でも、母校のチャペルの時間に詩を紹介できますことは、私にとりまして無上の喜びです。英語の翻訳は、同志社女子大学で教えておられる玉木ダーナさんとともに試みました。

みんな

こどもは
土のちかくでいきている
おとなは
空のちかくでいきている

みんな

土と
空のあいだで
いきている

All of Us

Children
live near the soil.
Adults
live near the sky.

All of Us
live
between the soil
and the sky.

赤い夏のあさ

赤い夏のあさ
あなたに 花をあげたいな
一輪でもよいでしょう?
つゆにぬれているから よいでしょう?

Red Summer Morning

In the red summer morning,
I want to give you a flower.
I only have one. But you won't mind, will you?
For it is wet with dew.

(この2篇の詩を、今戦争で苦しんでいる人々に捧げます。)

125年を語りつぐ