信念に生きる人たち

小山 薫(学芸学部助教授・英米文化研究)

おはようございます。このような奨励の機会は、わたくしの場合そう多くはありませんが、でもその度に、とても爽やかな、清々しい気持ちがいたします。とくに今朝は、21世紀のスタートラインに立って、しかも「125年を語りつぐ」というチャペル・トーク・シリーズのひとつとしてお話しするように、と聞いておりますので、なおさら身の引き締まる思いです。学生さんの中には、まだご存知ない方が多いかと思いますが、昨年の年末に『同志社女子大学125年』という記念写真誌が発刊されました。学校法人同志社全体の記念誌は、これまでにも色々と出版されておりますが、女子大独自の歴史に的をしぼったものとしては、これが最初です。この3年間、編集委員として関わり、とくに第6章冒頭にある「田辺キャンパス開学」という箇所の執筆を担当したことで、本日のご指名を受けました。たいへん光栄に存じます。

ところで、この女子大の125年という長い歴史の中で、わたくしたちは今ここで、時間と場所を共有しているわけです――すごいことだと思います。わたくしはクリスチャンではありませんが、自分自身がこの大学で学び、キリスト教主義の雰囲気にどっぷり浸ってまいりましたので、やはり「見えざる神のみ手に導かれて」と実感します。実はわたくしは、入学の前には、この大学について、とくに深い知識があったわけではありません。でも、入学式で、わたくしなりに<同志社精神>に触れて、「いい大学に入れた」と直感しました。この大学が<単なるアカデミズムの場>に留まらず、人間の精神性を大切にし、ひとりひとりの人間を育てていく姿勢を実感して、共感したのです。先ほどご一緒に歌った讃美歌452番は、(たぶん、多くの学生さんも同様だと思いますが)わたくしも入学直後に覚えて、大好きになりました。以来、数え切れないほど歌ってきましたが、「ただしく清くあらまし」、「おおしくつよくあらまし」と歌う度に、「これこそ、この大学のめざす、教育の根幹だ」と再認識します。

世の中には、いわゆる<頭のいい人>、<知識人>は沢山おられますが、その頭の良さ、知識に謙虚さが伴わなかったり、あるいは、せっかくのその資質(賜物)を行動に移す強さがなければ、高等教育の意味がない、と思うのです。新島先生が説かれた「良心を手腕に運用する」人々、「一国の良心とも謂う可き人々を養成せん」という教育目標は、この女子大でも継承され、多くの関係者によって実践されてきました。かつて同志社女子部には、デントン先生というアメリカ人宣教師がおられて、第二次世界大戦の間も日本に留まられるほど、この学校を愛された、ということについては、学生の皆さんも聞かれたことがあると思いますが、この学校の初期には、アメリカからの女性宣教師たちの献身的な働きがありましたし、デントン先生を介して莫大な寄付をして下さったジェームズ氏、ファウラー氏(今出川キャンパスの、ジェームズ館、栄光館ファウラー講堂に名を残す)を始め、外国の方々からも多くの支援があったということを、感謝と共に覚えておきたいと思います。つまり、わたくしたちの大学は、海外の心ある方々からの期待も担って、スタートしたわけです。誇るべき歴史だと言えるでしょう。

さて、始めにも申しましたように、わたくしは今回の記念誌で、「田辺キャンパス開学」という箇所を担当しました。それはわたくしが、まさに田辺キャンパスの開学(1986年)の時に、新設の短期大学部の専任教員となり、当時の雰囲気を実際に体験したからです。本文にも書いておりますので、「機会があれば、ぜひ読んでいただきたい」と思いますが、当時の学内の熱気は、本当にすさまじいものでした。広いキャンパスには緑もなく、建物も現在の3分の1ほどでしょうか、(昨年できた友和館はもとより)この新島記念講堂も、図書館棟も、課外活動センターもなくて、知徳館でさえ、わずか3棟(現在は7棟)でした。そして学生さんも短期大学部第1期生と音楽学科だけ(合わせて800名たらず)でスタートしたわけです。けれども、教職員と学生がそれこそ「一丸となって、新天地をつくっていく」というエネルギーと信念がありました。あの経験ができたことは、わたくしは「教員としても、人間としても、自分の人生の宝だ」と思っています。若い時代に理想を信じて、邁進できたことを幸せに思います。

今回、記念誌の仕事のおかげで、わたくしなりに、女子大の歴史について知識を増やすことができました。また、わたくしは同志社女子大学史料室にも関わっておりますので、その関係で、たとえばデントン先生の関係者の方々、あるいはかつての女専の卒業生の方々ともお目にかかる機会に恵まれ、この大学の歴史の重みを実感できる、素晴らしい経験をさせていただいてまいりました。その度に印象づけられるのは、「この学校が、いつの時代にあっても、人の誠意と信念に支えられてきた」ということです。卒業生とお話しする機会がありますと、「人生の試練に遭ったとき、この学校で培われた精神性によって、乗り切れた」という言葉をよく耳にいたします。その度に、わたくしも心励まされます。

本日は聖句として、コリントの信徒への手紙二の第4章16-18節を選ばせていただきました。繰り返しますが、ここに記された「わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」とか、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます(・・・・・・)見えないものは永遠に存続するからです」(聖書 新共同訳)というメッセージが、125年という長い歴史において、その時どきに、この大学に連なる多くの人たちを励まし、苦難にあっても光を与えてきたことは確実です。わたくし自身、この言葉を忘れずに、今後も過ごしてまいるつもりですし、「在学生の皆さんにも、ぜひとも、この精神を継承していきたい」と願っております。どんな時も信念をもって、「ただしく清く」「おおしく」生きていければ、と思います。

125年を語りつぐ