同志社で培われたもの

中田 幸恵(同窓会副会長・卒業生)

今年2001年は同志社女子大学創立125周年で新制大学としては50年余りを過ぎました。その様な長い長い歴史のある一時期、私は新制大学6期生ですので「女子大学の初期・搖籃期」と言われる時に学生時代を過ごしたわけです。私の今生きている現在の生活の原点は同志社で過ごした学生生活にあったと思うのです。そこで、この同志社女子大学で体験したこと、感じたこと等が私の人生にとってどんな関わりをもち、影響を及ぼしたかを振り返り、それらを通して同志社から得たもの‐‐‐私の「人間観」と申しますか「人生観」「価値観」が如何に育てられて今なお繋がっているのかをお話したいと思います。このことが皆様の学生生活に、そして【125年を語りつぐもの】を考える時に何らかのきっかけとなるのであれば嬉しく思います。

私は現在カウンセラーとして幾つかの団体・組織に関係をしておりますが、私がカウンセリングに関心を抱き、この仕事を選んだのは「人間関係」という教科との出会いにあります。大学1年生の時でした。1954年入学ですから今から47年前です。Liberal Artsとしての特色である教養科目の一つでした。【高い人間性を培い豊かな精神を養う、いわゆる人間教育を目的】とした教科でした。残念なことにこの教科はおよそ20年程前に廃止されたそうですが、その「人間関係」の担当は福原春代先生でした。その関連資料が今出川キャンパスの楽真館の史料室に展示してありますね。

ご存じのように同志社はアメリカ人宣教師をはじめ、大変国際的であり、私の学生時代にはアドバイザー制度とかビッグシスター制度といったものができました。この女子大学はその方面では先駆者的役割を果たしていたと思います。その制度は今もあるようですが私のlittle-sisterは、一人はジュネーブに、一人は和歌山県のある教会の牧師夫人となっておられますが、主にある姉妹としての絆のもと今も親しくお付き合いをしております。

さて、私が【同志社】の名前を初めて耳にしたのは小学校の一年生の時でした。私の出身地、群馬県は新島先生のお生まれになったといわれる「安中藩」があったところです。その小学一年生の時、今ではビデオなのでしょうが教育委員会からの巡回紙芝居で【新島裏】の話を聞いたのでした。幼名が[七五三太]ですがこれはお祖父(弁治)さんが、男の子誕生で、思わず「シメタ!」と膝を打ったからだと言ったことなどを記憶しておりました。これが縁なのでしょうか、女子大学に入学してからキリスト教並びにキリスト教文化に触れたのです。そして【神は愛】ということを学び、全身に染み込みました。「人間皆きょうだい」ということでしょう。このことが私の生涯の基盤となりました。

その後仕事上の必要に応じて2つの大学と大学院で法律と児童心理学、社会心理学を学びましたが、しかし私の精神生活に根本的に影響を与えたのは、この【同志社女子大学】での4年間の学生生活でした。

現在、女子大が毎年夏この群馬県の榛名町で"Work-camp"を行っている様ですが、実は私も学生時代の夏休みに"International Work-camp"に参加し、今で言いますボランティア活動をしました。千葉県の小学校の校庭を拡張する作業で、肉体労働でそれは、本当にハードなワークキャンプでした。山を崩し、その土を一輪車で運んだり、夏の炎天下、真っ黒になりました。夜は各国のキャンパー達といろいろの問題についてディスカッションを持ちました。またPlay-dayでは地域の方々との交流会、地元の方が作ってくれた料理に舌鼓を打ち、それぞれの国の民族衣装で盆踊りをしたりゲームやフィリピンのバンブーダンス等をしたりして国際交流を楽しんだのでした。

Week-endには京都市内の養護施設の止揚学園や滋賀県の近江学園等でのワークでした。塀、壁のペンキ塗り、草引きや或いは子供と一緒に遊んだりもしました。特に記憶にあるのは、近江学園での食事です。その食事は茶色の玄米ご飯と黄色い沢庵のお漬け物でした。如何に当時が経済的にも大変だったかが推察できます。

大学4年生の夏休みには東京「教文館」主催のユースキャラバン[農村伝道]というプログラムにも参加しました。これにもいろいろのエピソードもあるのですが時間の都合で後日機会があればお話ししたいものと思います。

学生時代、当時、寮は学内だけでも9つ程、学外にも5つもありました。地方出身の私は勿論、寮生活をしました。日曜日の礼拝後の午後は同志社の近くの親愛保育園のある[母子寮]に行き、子供と一緒に2時間ほど、キリストや聖書の話の紙芝居をしたり、讃美歌を歌い、ゲーム等もしました。時には寮に連れてきてお茶を飲みながら、ルームメイトを交えて遊んだりしました。

私は現在京都市伏見区にあります[向島学生センター]でカウンセラーをしております。この女子大の外国からの先生や学生が住んで居られます。自分の国との文化差、精神的問題等いろいろのことでカウンセリングルーム(相談室)を訪れてくれます。その他は国土交通省のカウンセラー、労働局・雇用均等室のセクシュアルハラスメント・カウンセラー、そして家庭裁判所の家事調停委員をしております。これらの仕事の共通点としてはカウンセリング・「心の問題・ケア」でありますが、年齢、性別、職業を問わず、相談内容の如何を問わず、相談に来られた方のことを受け入れる、それには何らこちら側の解釈、評価を加えずにその人が話すことをその人の身になって聴く、その人を信じるといったものです。カウンセリング用語で言えば、「受容」「無条件の肯定的関心・配慮」「共感的理解」という言葉で表せられていますが、それは「人間は上も下もないみんな対等・等しい」というところからの出発だと思います。この様な考えは私は【同志社で培われた】何ものでもないと思うのです。

Doshisha Women's College of Liberal Artsのこの標榜は初めに申し上げましたように専門的或いは職業的な学問のそれらの根本にあって、キリスト教主義の人間観に基づいた【高い人間性を培い、豊かな精神を養う人間教育】が目的であります。これは125年ほど前、建学の志に燃えた新島先生が【心から望み、心に抱いた壮大なヴィジョン】の一つであると思います。新島精神でもあります。創立記念日の式典には必ず朗読されますが【同志社設立の始末書】に掲げられている理念であります。そしてこれは【同志社の精神的遺産】だと思います。脈々と伝わっている【精神的遺産】だと思います。ここで精神的遺産にもう一人加えなければならない方があります。それはこの女子部をこよなく愛し【世界で一番良い国は日本である。日本で一番良い所は京都である。京都で一番良い学校は同志社である。同志社で一番良い学校は女子部である】と言う信条をお持ちのデントン先生も私たちにとりましては大いなる存在で、女子部が存続する限りは「心の遺産」であると思います。

 この様な新島精神、ミスデントンの愛情など同志社の豊かな精神的土壌にあって、人格形成時に【寮生活】という集団生活をおくることが出来たのは私には非常に意義のあることだったと思っております。キリスト教の雰囲気に自然と触れることが出来ましたし、家庭を離れ、家族から離れて[自分一人]という体験は[自分]を見つめ[自分と社会との繋がり]についても考えることが出来たからです。そして【相互扶助】ということも学びました。Solidarity‐‐‐当時聖書担当の片桐先生が聖書の時間によく口にされた言葉ですが[相互扶助][連帯]ということです。私は現在、同志社同窓会の副会長をしております。【同志社】という同じ学舎で過ごした先輩・後輩と太い絆で繋がっていることの喜びを感じています。そして日々生かされていることを感謝しております。

スペースシャトル:デイスカバリーのグレン飛行士はそのデイスカバリーから【何かするのは年齢ではない。その何かしょうとする人のPower・力・情熱である】とメッセージしておりました。[生涯学習]~life long study~という事だと思います。現在もそしてこれからも生涯学習の気持ちで頑張っていきたいものと願っております。

人間の寿命が延びたからと言いましても、宇宙の悠久さに比べれば、ほんのわずかなこと、自分の人生に「納得」して生きていきたいものと思っております。悔いのない様な人生を送りたいと願っております。

カウンセリングの考え方に【いま・ここ】というのがありますが、この【いま・ここ】の気持ちを大切にしたいと思います。そして皆さんも【いま・ここ】でのあなたを感じて下さい。現在選ばれてこの【同志社】に繋がっていることの意味を考えてください。そして、十分味わって下さい。私は今、この様にあらためて学生時代を振り返り、そして現在を見つめ【考える】ことが出来ましたこと、そしてこの機会を与えて下さったことに感謝を申し上げます。

125年を語りつぐ