この人をなぜ?
大島 中正(近代日本と同志社)
募金運動の挫折
新島襄は1889年10月12日、母とみの看病を妻の八重にたくして関東へと旅だちました。同志社大学をつくるための募金運動をおしすすめるためです。およそ3か月後の1890年1月23日に神奈川県大磯でなくなりました。同志社のある京都の土をふたたびふむことはなかったのです。この旅は衰弱した心臓をかかえての命がけの旅でありました。
募金運動はおもうにまかせず、襄自身胃腸カタルにかかってしまいます。そのときの心情を次のような漢詩によみました。
秋風粛粛渡刀川
欲去尚看両野天
新雁不知孤客意
声々鳴到赤峰辺
不破ユウにかたった襄のことば
身も心もよわりきった襄の看護のためにかけつけた女性がいました。不破ユウという女性です。不破ユウは、襄たちがつくった京都看病婦学校の卒業生です。 襄の八重への手紙にも、「幸いなる事には、 不破の奥様、日々看病に御越し下され、食べ物一切の御世話致し下され候ゆえ、不都合はなく、(略)また、室内に気をつけ、昼夜共、火をたき、暖かになしおり候間、手当に何も落ち度はこれなく候」としたためられています。
不破ユウが襄・八重夫婦なきあとに、こんな襄のことばを紹介しています。
結婚と云ふものは始めは人々がお目出度うと八方からあびせるかけるが、年月の過るうちには非常に大きな困難がおこつてくるものだから、お目出度う処のさわぎではない。なぜ神がこんなに反対の性格の人間を夫婦にしたかと考へさせる程性格に於ても相反してゐる事に後になつて発見して悩む事がある。然しこれも神が各々の性格を磨かしむる為になし給ふ御手のわざであるから益々相忍ばねばならぬ。(『同志社校友同窓会報』83号5頁、1934年2月)
これは、不破ユウに心をゆるした襄が、あたたかいスープや牛乳を口にしつつ吐露した心情であったのでしょう。不破ユウはこの言葉がわすれられず、他家の結婚式にまねかれた際にはこの話をするようにしていたといっています。
神の御手のわざ
「神が各々の性格を磨かしむるためになし給ふ御手のわざであるから益々相忍ばねばならぬ。」人生のパートナーにかぎらず、ごくかぎられた時をともにすごす相手であっても、利害が対立することもあれば、おもいがすれちがうこともあります。とりわけ、相手をにくくおもってしまうとき、わたくしは、不破ユウによってつたえられた、この襄のことばをおもいだし味わうようにしています。「神がなぜこの人をこの自分におあたえになったのだろうか」と問うてみることにしています。何をしれ、何に気づけ、何をまなべと神がおっしゃっているのか。おそらく、己をもっとしれ、己の弱さとともに己にたまわっているものに気づけ、相手の弱さ、己にない相手のもつ賜物からもまなべとおっしゃっているのであろうとおもいます。
その相手というのは、いきている人ばかり ではありません。なくなった人たちについてもおなじです。わたくしは、あと2年たらずで還暦をむかえます。年々この世で二度とあうことのできない人がその数をましていきます。今はなき両親、病にくるしみながらなくなった恩師、自らその命をたった同級生、消息がたえてしまってその生死もわからない竹馬の友など。あの人からわたくしは何をまなばなければいけなかったのかと自問し己をかえりみる時がおおくなってきました。たとえ、その人にあうことがかなわなくても、その人がわたくしにのこしてくれたもの、有形・無形をとわず、それらをよすがとして、しずかに目をとじ、背筋をのばして呼吸をととのえると、あの人この人の姿が声がよみがえってきます。あの人からまなぶべきことは、もしかしたら、こういうことだったのかもしれないと気づく一瞬がおとずれます。あえなく なった人からもいきる力をもらった! と感じる瞬間がおとずれます。
めぐり逢い
本学の英文学科を卒業された小説家の鳥越碧さんに『めぐり逢い 新島八重回想記』という作品があります。
その「序章」で齢84をかぞえようとする主人公の八重はかたります。
一人の人間が一生の間に出会う人や事物は限られています。その出会いをいかに大切にするか、なおざりにするか。人は知らず識らずのうちに、大変な落とし物をしているのかもしれませんし、思わぬ宝物を手にしているのかもしれませんね。今にして思えば、カッと目を見開き、お腹に力を入れて捉えるべき出会いがいくつもあったような気がいたします。さりとて、それが玉か石か。いえいえ、どんな出会いであろうとも、無意味なものはないのではないでしょうか。八十四年のこれまでの人生で、さまざまな出会いがありました。が、私にとって夫とのめぐり逢いほど複雑なものはなかったように思われます。いずれのご夫婦を結ぶ糸にも多少の縺れはございましょうが、私どもの糸の縺れは、それは絡まり合っておりました。
まことの愛の心をもって襄のケアをした不破ユウとその夫の唯次郎は、あの若王子山の頂に襄・八重夫妻とむかいあってねむっています。
けさは、新島襄、不破ユウ、鳥越碧という同志社に縁のある人たちのことばをよすがとして、神の御手のわざというおおいなる愛におもいをいたすことができました。