誰も神を見た者はいない

宮川 成雄(嘱託講師・アメリカ地域研究 A)

利己と利他を結ぶ神の愛

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神は私たちのうちにとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」この聖書の一節は、私の好きな聖句の一つです。なぜ好きかというと、聖書自体に、「まだ誰も神を見た者はいない」と書かれていることへの驚きと、信仰の押しつけがましさがないことです。そして、神とは何かについて考えるというより、感じる手がかりを与えてくれているからです。「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。」という聖句があります。私たちは、自分のことがかわいいですから、自分のことばかりを考えがちですが、その行動指針として、自分を愛するのと同じように、他者に接するということが示されています。利己主義(エゴイズム、egoism)と利他主義(アルトルイズム、altruism)という相反することが、同じであることが示されています。二つの対立することを結び付けるのが愛です。

教育という活動も、利己的な行動と利他的な行動を統一するもののように思います。教師は、学生のことを思って教育活動をします。同志社の女子部は、今年で140周年を迎えます。その一環として今日私はお話をさせていただいています。また、個人的なことですが、今年は私が大学という場で教師になって30年になります。現在私は、早稲田大学の法科大学院、ロースクールで教えていますが、私の教員としてのスタートラインは、1986年に同志社女子大学の短期大学部に専任講師として着任したときです。

「学生を丁寧に扱うこと」と知的刺激を与えること

教師になって、いつも心掛けてきたことが二つあります。一つは、新島先生の遺言にある「学生を丁寧に扱うこと」です。もう一つは、学生の皆さんにもう一つ別の世界を垣間見るような、知的刺激を与えることです。これら二つは、教師が果たすべき役割として共通していることだと思います。私は英米法、特にアメリカ法を教えています。この分野の勉強に入っていったのは、同志社大学法学部の3年生のときに英米法ゼミに入ったことが大きな理由となっています。ゼミの恩師は藤倉皓一郎先生です。英米法ゼミに入った動機は、その年にちょうど、アメリカ人弁護士のジュリアン・グレッサー先生と藤倉先生が環境法についての合同ゼミを持たれたことです。同志社大学に入ったのだから一度くらいはアメリカ人の先生に習う機会を持ちたいと思ったわけです。

藤倉=グレッサー・ゼミでは、アメリカ法について学びましたが、アメリカ法についての知識というよりは、グレッサー先生の行動様式そのものが大きな刺激を与えてくれました。あるとき、藤倉先生のお宅で、ゼミの懇親会が開かれまして、そのときにグレッサー先生が、楽器のオーボエを取り出してクラッシックの曲を一つ演奏されました。今では、多くの日本の家庭でお子さんに小さなときからピアノなどを習わせておられますから、日常に家庭でクラッシック音楽に親しむ機会は多くなったと思いますが、今から40年ほど前には、必ずしもそのような環境にはなかったように思います。ましてや、ゼミの懇親会で、楽器を取り出して演奏を披露するということはまずなかったことです。

学部4年生の秋に、学内の掲示板に、青焼きコピーの一つの掲示を見つけました。青焼き感光紙を使ったコピーなど今となっては、お目にかかることはまずありませんが、私の学部学生当時は、大学の掲示版に一般的に使われていました。そのB5判の小さな掲示を見つけて、新島奨学生として2年間のアーモスト大学での留学経験を持つことになったのも、藤倉=グレッサー・ゼミに入っていたことが大きなきっかけとなったと思います。

その奨学金は、新島先生がアーモスト大学で勉強され、日本人として初めて欧米の大学を卒業されたことを顕彰して作られた奨学金です。その金額も記憶に残る額で、5千ドルでした。その当時は、既に1ドル360円の固定相場制は終わり、変動相場制になっておりましたが、1ドル300円くらいの時代でした。5千ドルという金額を記憶しているのは、その額は新島先生がアメリカを出発して日本に帰国する直前に、バーモント州ラットランドのコングリゲーショナル・チャーチで、帰国後に日本にキリスト教主義の大学を創りたいとスピーチをして、寄付を募って得ることができた金額が同じ5千ドルであったからです。貨幣価値は、スピーチの行われた1874年当時と、私の留学した百年後の1975年では大きく異なりますが、数字は同じですから記憶に残っています。

女子教育の意義-平等な機会だけでなく、あらゆる機会を提供-

私がアーモスト大学の3年生に編入した1975年は、アメリカで最後の男子大学であったアーモストが男女共学になった年です。アメリカは第二次世界大戦に勝ちましたから、日本のように戦後直ちに社会変革が進行することはなく、大学レベルの男女別学は長く残っていました。アーモストが共学になるというので、近隣の有名女子大であるスミス大学やマウントホリヨーク大学も共学化すべきかという議論が起こっていましたので、女子大学の存在意義ということにも、その当時に関心を持つようになりました。私が帰国後、同志社女子大学に奉職するようになってからも、お隣に共学の同志社大学がある中で、同志社が女子大学を別に設置していることの意義について、折に触れ考える機会がありました。

教師が教える機会は、同時に学生の皆さんから教えてもらう機会でもあります。短期大学部の英米語科で私が担当していた授業で、学生の皆さんに英語の新聞雑誌から自分が興味を持った記事を選んで、報告してもらう課題を出したことがあります。一つのグループが、ニュース週刊誌 TIME の記事に、カリフォルニアのミルズ大学という有名女子大が共学化するかどうかの議論をしているという記事を選んで報告してくれたことがあります。その記事の中に、女子大の存在意義として、「女子学生に大学教育の平等な機会(equal opportunity)を提供するだけではなく、あらゆる機会(every opportunity)を提供することが可能であること」が言及されていることを報告してくれました。

教育、とりわけ大学教育は、学生の個性、特性に沿って、それを引出し、育てることが重要です。共学の大学では、学生個人の個性、特性を男女の別なく引出し育てることができます。しかし、女子大学では、女子の特性、女子学生の個性を引出し、あるいは苦手とすることを克服する力を育てるという共学の大学にはない機会があります。単に平等な機会だけでなく、あらゆる機会が保障されています。

学生礼拝・奨励をパブリック・スピーキングの機会とする

例えば、同志社女子大学では、毎日の礼拝が行われています。この礼拝の時間には、牧師の方の曜日を決めた継続礼拝だけでなく、専任教職員・嘱託教員による奨励、音楽学科教員や学生による賛美礼拝、在学生による学生礼拝など多彩な内容があります。なかでも、学生礼拝は、このように大きな講堂で、まとまった内容のお話を聴衆に語りかけるというパブリック・スピーキングの力を養うまたとない機会であるといえます。共学の同志社大学ではこのような機会は学生には与えられていません。この栄光館、ファウラー・チャペルでは、著名な多くの方が講演されています。例えば、奇跡の人といわれる三重苦を克服したヘレン・ケラーさんは、三度にわたってこの壇上に立ちました。その同じ場から、学生の皆さんがパブリック・スピーキングをする機会があることは、同志社の伝統を感じるだけでなく、自分のものとすることができる素晴らしいものです。今日の聴衆の中におられるあなたも、是非、卒業までの間に一度、学生礼拝や学生奨励をして同志社の伝統につながってもらいたいと思います。

140年を語りつぐ