からし種とパン種の話

近藤 十郎 (本学名誉教授)

からし種とパン種の話

今から2千年も前のこと、聖書のイエスはこのたとえ話を巧みに用いて、弟子たちを教育しました。物事の真理を極めるためには、必ずしも難解な用語や言い回しは必要ありません。イエスは、ごく身近な、誰にでも理解可能な日常的な言葉で、人が生きるための真理について解き明かし、彼の弟子たちがこれからたどるべき道のりを示そうとしました。物理的、相対的な尺度によっては人生の真理は測りがたい、ということを、イエスは「からし種」と「パン種」のたとえによって示そうとされたのです。微小なるもののもつ無限の可能性を信じ、そこに日々の生き方の指針を見出すことが重要だと、彼は説いたのです。私たちは今、大学という学びのなかで、改めて「何を、どのように学ぶか」ということが問われています。青春の日々に学ぶべきテー マを定め、そのテーマに向かって心を注ぎ出す、ということが求められているのです。

「一粒の麦」との連想

昨日、私は今出川でのチャペルでの奨励を担当させていただきました。礼拝が始まるまで少々時間がありましたので、久しぶりに同志社大学のキャンパスへも足を延ばして散策しました。図書館あたりの、あまり目立たない場所に「一粒の麦」と彫られた古い岩がありました。もし機会がありましたら皆さんも探し出してみてください。聖書に出てくるイエスの有名な言葉の₁ 節です。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)と語られます。いわばイエスの遺言とでも言うべき言葉ですが、ご自身 の死をもって人を神にとりなす和解の働きを果たした、という宗教的真理を表す言葉です。一粒の麦が地に落ちて多くの実りをもたらす、そのような働きや生き方が求められている、ということのたとえです。今日の「からし種」「パン種」とのたとえと連動する部分が顕著です。

たとえ話の意味と真理

からし種は、当時知られていたすべての種のうちで最も小さなもののひとつです。その微小なる種が、いったん地に蒔かれるとやがて信じられないほどの大きさに成長して葉を茂らせ、空の鳥が葉の陰に巣をつくるほどになる、という話です。パン種も同様。イースト菌(酵母)のことですが、粉を膨らませるのに大量のパン種は必要ありません。ほんの僅かなパン種によって、3サトンの粉を膨らますことができる、というのです。今日の度量でいえば、およそ40リットルにあたります。どのような真理がこのたとえ話のなかに秘められているのでしょうか。物量的な尺度に振り回されて自分を見失いがちな人間の世界を、イエスは時代の人々と共に、またそのような時代にあって厳しく批判している、ということでしょうか。そのような批判は現代に生きる私たちにも同様に、当て嵌まるのではないでしょうか。

讃美歌412番

先ほど皆さんと一緒に歌った讃美歌は、日本人作詞家の由木康氏によるものですが、まさに私たちの聖書のテキストをそのまま讃美の歌に表現したものにほかなりません。

昔主イエスの蒔きたまいし、
いとも小さき いのちの種。
芽生え育ちて、地の果てまで
その枝を張る 樹とはなりぬ。

からし種の持つ無限の可能性と約束を、この讃美歌の作詞家は自らの信仰のうちに確信していたのでしょう。聖書のたとえ話は、「神の国」の真理にかかわるものです。私たちの世俗の度量衡、相対的な尺度では推し量れない、全く次元を異にした世界があるということ、その世界の無限の広がり、深み、そして意味を探り求め、究めること、それに向かって全身全霊を注ぎ出す、ということがすべての学問の基礎になければならない、ということでしょうか。
大学で何を学ぶか。ここには、入学されて間もない学生諸姉、先輩諸姉、同志社女子大学に奉職されておられる教職員の皆様方、多様な方々が参加しておられることと思います。大学で何を学ぶか、何を教え、伝えようとするのか、それは決して自明なものではなく、容易な課題ではない筈です。しかし課題から決して目を逸らすことなく、真正面からその課題に向き合い、挑戦するという姿勢は、この大学にかかわるすべての人々にとって何よりも大切なことだと思います。

祈りからスタートした同志社

同志社は祈りの会から始まった、と伝えられています。同志社の創立は、1875年11月29日、新島の私邸で行われた、僅か8名の学生、2名の教員による祈祷会を起点とするものでした。この時に、どのような祈りが捧げられたのでしょうか。そもそも「祈る」ということはどういうものなのでしょうか。欲しいものがたやすく手に入るように、自分の利益が労せずして充たされる、といった祈りは真の祈りではない筈です。創立者新島の祈りは、日本の現在と未来の歴史を背負い、神の御心に従って切り拓くことをもって使命とする若者たちの育成と輩出、ということにありました。文字通り、「良心を手腕に運用する人物」を養成し社会に送り出す、ということこそ、新島の祈りの中心でした。そのように新島は祈られた、というのが私のイメージです。

新島の祈りを共有すること

あの日の祈祷会から140年を過ぎようとする今日、同志社は巨大な(?)学園に成長発展を遂げました。今出川も京田辺もキャンパスは広大です。施設も十分すぎるほど充実しています。学生たちの数も膨大です。しかし、新島私邸でのあの日の祈りが今日の同志社に、どれほど確実に堅実に継承されているか、あの日の涙の祈りが、今日の私たちの学び舎にどれほど具体的な形で共有されているか、ということがもう一度吟味されなければならない、という思いがしきりです。私たちの可能性は無限、未来は約束に満ちたものと、信じて歩みたいものです。姑息で自己満足的な生き方を脱却して、「からし種」と「パン種」の持つ象徴的な広がりに身をゆだねて、神様から与えられたチャレンジに応答していきたいものです。

140年を語りつぐ