心を尽くし

杉野 徹(本学名誉教授)

みなさんおはようございます。連休も終わり、新学期の勉強も忙しくなってきていることでしょう。夢を叶えるようにどんどんと勉強にチャレンジして頂きたいと思います。この学校は140年前、神を信じた人たちによって創設され作られ、多くの人たちの祈りと働きによって世のために働く人々を生みだそうと継続され、今日に至っております。

みなさんも人には言えないような辛いことがきっとあるでしょう。人は誰でも人生の重荷を負って生きているものです。人生の華の盛りの皆さんも例外ではないでしょう。

しかし、辛い経験がどれだけ私たちに洞察力と優しさと人間としての度量を与えて、神に喜ばれる人間になれるでしょう。みなさんの一人ひとりの大切な命がいよいよ磨かれて、神と人とに喜ばれる人生を送られることを切に願っております。自分が悲しみの極みにいると思う人のために、ヘレン・ケラー(1880~1968)の話をしましょう。

同志社栄光館に来たヘレン・ケラー

ヘレン・ケラー(1880~1968) をご存じでしょうか。今出川の同志社の栄光館に三度来ました。昭和12年57歳の時、昭和23年68歳の時、昭和30年75歳の時でした。

この方を知らない人がいるかもしれませんね。健康な普通の女の子で生まれてきましが、生後19ケ月の時、重い病気にかかり、眼が見えず、耳が聞こえず、喋れなくなりました。意識が芽生えるころは闇の中です。目の見えない方とか、耳の聞こえない偉人たちを、私たちは知っています。古くはホーマー、ミルトン、ベートーベン、辻井伸之君、同志社の私の後輩にも目の見えない田中先生がおられました。学生時代から母上に連れられ、辞書を覚え、ついに同志社大学で英文学の先生として勤められました。みなさん健康上の悩みがある人がいるかもしれません。ヘレン・ケラーの姿や、喋る様子は、YouTubeで見ることができます。また、「奇跡の人」(1962年)という映画で、多くの人が感動したものです。7歳のとき、サリバン先生(1866年~1936年 満70歳没)という若い先生が 家庭教師として家にやってきてはじめて教えを受けました。サリバン先生が21歳のとき、皆さんと同じ位の年齢です。闇のなかにいる7歳の女の子を教え始めました。奇跡を起こした人miracle worker、三重苦を背負った少女を光の世界に導いたのはサリバン先生です。ヘレン・ケラーをこう手紙で書きました。

「常闇の中を手さぐりつつ、さ迷うているこの小さな魂は、ただ不安に駆られているのです。かつて教育されたこともなく、絶えず、不安と不満に落ち着きのない手は、その触れるものを片っ端から破壊してしまうのです。まさに野獣です。暗闇から光を求めている野獣。不満の塊です」。サリバン先生は、この野獣と格闘し、光を暗闇の魂に注ぎこみました。「光は 闇のなかで輝いたのです」(ヨハネ1:5)。

身の周りのものに名前のあること、名詞、動詞、そして眼に見えない抽象概念まで、ヘレン・ケラーに教えました。ヘレン・ケラーにとって、一つ一つは驚きでした。サリバン先生は、口に指を入れさせ、唇にふれさせ、鼻の息の仕方で言葉を教え、文字を手の平にひとつずつ教えていきました。指で手のひらに文字を記せるのは一分間に80文字だそうです。パソコンで早打ちの方は皆さんどれくらいでしょうか。40文字打てば早い方ではと思います。

この20歳のとき、ハーバード大学の女子部ラドクリッフ大学に入学しました。
英語のほかに、ドイツ語、フランス語、ギリシャ語、ラテン語、等の語学を修得し、哲学、神学、文学物理、化学、歴史、地理、などを、サリバン先生の指話を頼りに授業で学び、それを頭に入れ、記憶して、家に帰ってタイプライターでノートに点字で記したそうです。「この絶えざる努力をしてこそ今日の驚くべき記憶力が発達の原因になったのでしょう。

「どの学科目が一番好きでしたか」の問いに「文学でした」と答えました。ラテン語とギリシャ語とどちらが好きかと問われ、ギリシャ語の方が音楽的であって、詩的情操に富んだ言葉で、好きだといっております。

ヘレン・ケラーの愛読書

ヘレン・ケラーが栄光館に一緒に来たのは、サリバン先生とではなく、ポリー・トムプソンという秘書とでした。栄光館の壇上で、「(聖書台の聖書を手触りつゝ、)これは多分バイブルでしょう。私の最も愛している本です」「バイブルはあなたに大きな意味をもたらした本じゃありませんか」「聖書こそ私の闇より流れ出た光の川です」。そして、「あなたは幸福ですか」という日本人(ヘレンケラーを日本に招聘したご自身盲目の岩橋武夫氏)の質問に答えて「私は幸福です。私は神に絶対の信頼を置いております」といい、続けて、栄光館にいる学生たちに向かって話しました。

「私は前途洋洋たる未来をもっていらっしゃる若い、特に女生徒さん方にお話しすることを非常に嬉しく思うものであります。あなた方の前には二つの道が開けている。一つはあなた方を低い低い下に導いていく道、痛ましい嘆きの声が聞こえます。もう一つはその反対であります。高く高く、心の高原にあなた方を導いていきます。そこでは人類の頌歌が聞こえまして、神に永遠の喜びをもたらします。この二つの道のどちらを選ばれるか申し上げる必要はないと思う。なぜならば、あなた方は英雄的な日本民族の娘であられるから、この二つの道を選び、あなた方の責任を全うして下さると信ずるからであります。あなた方は自ら勇気と理想をもってあなた方の人生を求めて下さるでしょう。そして人々を文明に導き人々を啓蒙する、人々の心を明るくする道をお取りになって頂けるでしょう。そうして私はあなた方に一人、その道に行かせない。私も一緒にその道のお伴を致しましょう。」(『同志社新報』昭和12年6月15日)

勝利の人生観

聖書はヘレン・ケラーの生活の指針となり、慰めとなりました。「私は読んで読んである個所などはもう文字が消えてしまった位です。というのは私の指先で点字のぽつぽつをこすり取ってしまったのです。」

皆さんも一生懸命勉強をなさっているでしょう。頑張ってくださいね。闇の中で光を見つけたヘレン・ケラーのように勉強をなさってください。悩みや辛さ、悲しみの解決は温かい愛によって、励ましによって、導きによってほぼ解決できます。ヘレンケラーが日本に三度きたのも戦争中、戦後でした。同じ目の不自由な人たち、社会福祉のために力を添えるために来ました。「私は光の中を一人で歩くより、暗闇の中にいる友と一緒に歩きたい」(“I would rather walk with a friend in the dark, than alone in the light.”)「悲しんでいる人は幸いである。その人たちは慰められるであろう」とはイエスの言葉ですが、ヘレン・ケラーは栄光館で「私はあなた方に一人、その道に行かせない。私も一緒にその道のお伴を致しましょう」と言いました。目も口も耳も不自由なヘレン・ケラーの何と云う言葉でしょう。

皆さんは、自分を愛してくれる人がいますか。友人、両親。恩師。愛してくれる方が居る方は、幸いです。その人は、愛することを身につけて行くでしょう。人が成長に欠かせないのは、辛いことですが、苦悩、困難で、その負荷で初めて忍耐や思いやりが生まれてくるという定石があります。まさに真珠貝の真珠と同じです。貝の中の異物の石を、貝が痛さに耐えきれずに粘液で異物を覆ってできるのが真珠でしょ。貝の涙というか、その辛さが酷いほど立派な真珠ができるというのと、人間の成長も変わりません。幸いなことに誰もがこの道を歩んでいます。孤独な道を歩まなければ悩んでいる友の気持ちも分からない。皆さんも友の相談相手になったり、聞き役になったりして、あなたの愛を実践してみて下さい。

自分の命を投げ出してくれる愛を示してくれたのは、皆さんがアクセサリーなどに用いている十字架にかかられた神の御子キリストです。「人がその友のために命をすてるというこれよりも大きな愛はありません」(ヨハネ15章13)。神が私のために十字架にかかられたという愛を知る人は、勝利の人生観を持ったと言えるでしょう。

栄光館や京田辺のgreen chapel の礼拝の度に、私のために命を投げ出して、救おうとした方がいる、しかもそれは「あなたをみなしごにはしない」(ヨハネ14章18)と言われる神である、ことを想うことはどれほど、皆さんの人生を慰めるでしょう。人生の闇の中で出逢った友はどんなに嬉しいことでしょう。「心をつくし、想いを尽くし、神を愛し、隣人を愛せるように」、との今日の聖句はヘレン・ケラーが愛した聖句です。みなさんが苦難のなかにある時、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。私はあなたの神だから」("Don't be afraid, for I am with you. Don't be discouraged, for I am your God")(イザヤ41章10)を味わってください。きっと慰めになるでしょう。愛されているほど、心が安らぐことはありません。長い歴史のこの学校で、人生の一時期を過ごしてきた学生さんたちが、悩みの中で神が共に居て下さることを知って、どれほど忍耐を学び、人を愛することを学んできたことかと思います。皆さんもヘレン・ケラーに折に想いを馳せ、勉学においても、人生観においても豊かな祝福があるようにと、祈ってやみません。

 

140年を語りつぐ