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The Roots 志の章 美しき伝統の余韻 Vol.1

高い志を掲げた同志社創立者 新島 襄 1843年~1890年

激動の時代を駆け抜け、
信念を貫き通したハンサム・ウーマン

1845年12月1日(弘化2年11月3日)、八重は会津藩の上士山本権八の三女として誕生した。幼少期の記録は皆無に近いが、13歳の頃には60kgの米俵を担げるほどの力持ちであった。母佐久は先進的な考えの持ち主で、ためらわず子供達に種痘を受けさせている。

砲術師範の家に育ったことで、八重は自然に鉄砲や大砲の操作を修得した。20歳の頃、兄覚馬を頼って居候していた川崎尚之助と結婚したらしいが詳細は未詳。22歳の時に戊辰戦争が勃発し、幕府側の会津藩は鶴ヶ城に籠城して戦った。八重は鳥羽伏見の戦いがもとで亡くなった弟三郎の形見の装束を着用し、スペンサー銃をもって官軍と闘った。

敗戦後の消息は不明だが、1870年(明治3年)8月には米沢の内藤新一郎方で暮らしていた。翌1871年(明治4年)10月、京都で戦死したと思っていた覚馬から手紙が届いたことで、京都に移住することを決意する。覚馬は薩摩藩に幽閉されている時、今後の日本のあるべき姿を『管見』にまとめて提出したことで京都府の顧問となり、槙村正直に協力して京都の復興に尽力していた。

1872年(明治5年)4月、八重は京都に新設された新英学校及女紅場(にょこうば)の出頭女(権舎長並教導試補)として働くことになる。1873年(明治6年)8月、小野組転籍事件で東京に収監されていた槙村を救出すべく、覚馬に付き添って上京。当時80㎏あった体の悪い覚馬を担いで活躍した。

1875年(明治8年)4月、運命的に新島襄と出逢う。八重が英語を習いにゴードン宅に行ったところ、玄関で靴を磨いている男がいた。八重は下男と思って挨拶もせずに通り過ぎたのだが、後でそれが襄だと知らされた。実はその1ヶ月前の3月20日、前夫川崎尚之助は東京の病院で寂しく息を引き取っていた(享年39歳)。

新島襄と八重(1876年)★

八重はクリスチャンになるべく修業し、翌1876年(明治9年)1月2日に洗礼を受けて、翌3日に襄と結婚式をあげた。以後14年間、襄の健康面を気遣い続ける。八重は西洋料理を覚え、襄のために肉やスイーツ中心の食事を作っている。それだけでなく襄は校長であり牧師でもあるので、八重は校長夫人・牧師夫人としての務めも果たしている。また女紅場での経験を活かし、同志社女学校設立に向けて積極的に行動している。

結婚当初の写真(30歳頃)を見ると、八重は和洋折衷であった。その服装に対して熊本から出てきた徳富蘇峰は、「新島襄先生夫人の風采が日本ともつかず、西洋ともつかず、いわゆる鵺のごとき形をなして」(『蘇峰自伝』)いると辛辣な感想を述べている。これによって「鵺(ぬえ)」は八重のあだ名となった。もっとも蘇峰の本音は、八重の奇妙な服装以上に、八重の襄に対するなれなれしさにあった。蘇峰の襄尊崇の裏返しとしての八重批判なのだろう。

1882年(明治15年)には夫婦で安中や会津若松を訪れている。また1887年(明治20年)には仙台に行ったついでに、北海道まで足を伸ばし、一夏を過ごしている。そこで幼馴染みの日向ユキと再会したり、大島正健の長男正満(みつぼう)との楽しい時間を持った。

1890年(明治23年)1月に襄と死別した八重は、襄を失った穴を埋めるべく社会奉仕の道を歩む。その年の4月には日本赤十字社篤志看護婦人会の正社員となっており、1894年(明治27年)に日清戦争が勃発すると、広島の病院で献身的に看護活動を行っている。それが認められて1896年(明治29年)には民間女性初となる勲七等宝冠章を授かっている。それと同時に裏千家茶道にも打ち込み、13代家元・円能斎の教えを受けて女流茶道家としても活躍している。

篤志看護婦姿(1905年)

1900年(明治33年)には甘糟初子を養女とし、その初子は襄の教え子広津友信と結婚。以後、広津家とのかかわりが続いている。1902年(明治35年)には義理の孫襄次が誕生。八重は実の孫のように可愛がった。

1928年(昭和3年)、旧会津藩主松平容保(かたもり)の孫・勢津子姫と秩父宮殿下の御成婚により、ようやく朝敵とされた会津の汚名が、返上された。八重は祝賀会出席のため単身上京している。

1932年(昭和7年)6月14日、86歳で永眠。完成したばかりの栄光館で同志社葬が行われ、2千人の参列者があった。八重の遺産は広津家に相続された。

八重は丈夫な体に不屈の会津魂とキリスト教精神を合わせ持ち、自分の信念を貫き通した生涯を送った。まさに襄が望んだ「?儻不羈(てきとうふき)」(才能が並はずれていてなにものにも拘束されない)のお手本と言えよう。

(吉海直人)

写真提供
同志社女子大学史料室
同志社大学 同志社社史資料センター(★印)

2015年4月1日更新

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