日常の中にある伝統
甲元 洋子(学芸学部教授・英文学)
今年は同志社女子部の創立130年あたり、「130年を語りつぐ」というテーマで何人もの先生方のお話がチャペル・アワーでなされています。私には特別な話などはできませんが、自分のささやかな経験をふりかえって、平凡な毎日の生活の中で感じた伝統について述べたいと思います。
学生を大切にする教育
大学院を修了し、研究助手として私がこの学校に勤め始めたのが1976年。今から30年前の、ちょうど創立100周年の年でした。慣れない仕事に右往左往している私を見て先輩の先生たちは色々とアドヴァイスをして下さいましたが、特に「学生を大切にして丁寧な教育をせよ」ということを何度も言われました。それは、甘やかすと言う意味ではなく、自他ともに厳しい姿勢で授業に臨む、ということです。このやり方で授業をすれば、学生からは嫌われたり、恨まれたりします。しかし妥協せず厳しい姿勢を貫くことによって、結果的には質の高い卒業生が世の中に出てゆくことになるのだ、と教えられました。
私自身も、入学した矢先にとても厳格な先生から英文学を習いました。同志社女子大学の卒業生で、とても熱心な厳しい教え方をされる先生でした。教室に入ると、始業のチャイムもなっていないのに既に先生が教壇で待機されているのに先ずびっくり。授業が始まるとこれがまた大変で、予習をしていないことを白状したりしようものなら、警察の取調べさながらに根掘り葉掘り尋問され、大恥をかかされるのです。一つの章が終るたびに試験があり、返却は得点順という念の入れ様です。皆、戦々恐々として勉強し、居眠りやおしゃべりなど勿論皆無でした。本当に恐しい授業でしたが、一言一句を疎かにせず、文の構造をきちんと理解して足元を固めながら読む、という基本を叩き込まれた気がします。入学して1年目は、いわば大学での勉強の土台作りの時期です。手を抜いていたのでは基礎固めにならないので敢えてこの先生は厳しくされていたのだと思い、今はとても感謝しています。
勿論、当時の授業が全て、震え上るほど怖かったわけではありません。温厚な先生が優しく教えて下さるクラスもたくさんありました。しかし共通して言えることは、どの学年のどのクラスでも、学生を大切にする教育がきちんとなされていたということです。この伝統を私たちも守ってゆかねばと思います。
知恵と努力と熱意
学生時代の後は教員として勤めながら、私はこの学校の落ち着いた雰囲気の中で過ごして参りましたが、その中で、多くの教職員の方々が女子教育について、あるいは女子大学の存在意義について、真剣に考え、議論し、少しでもこの大学を発展させようと努めておられる姿を目の当たりにして来ました。女子大学の伝統というものは、多くの方々の地道な努力や継続的な熱意の上に築かれてきたものだと痛感しています。
30余年前、私がまだ学生だった頃は音楽学科・家政学科・英文学科の3学科だけしかなく、全員が今出川キャンパスで学んでいました。しかし学生数増加に伴いキャンパスが狭くなったため京田辺の校地の利用が考えられるようになり、やがて1986年に田辺校地に短期大学部が新設されて音楽学科、そして英文学科が移転。その後、短期大学部が惜しまれつつも廃止され、現代社会学部が出来、その後も新しい学部・学科が創られて・・・と、この30年ほどの間に我々を取り巻く環境はかなりのスピードで大きく変化しました。その中で、昔ながらの伝統を保持してゆくのは簡単ではありません。
例えばこのチャペル・アワー一つとってみても、存続が危ぶまれる状況に陥ったこともありました。そういう時、従来のやり方が無理ならばチャペルの時間はなくしてしまわざるを得ないと、早急に結論を出すのではなく、現状を認識した上でそれでも何とかならないか、と知恵を持ち寄って考えようとする教職員の方々が何人もおられました。そのお陰で色々工夫して今もこの時間帯に、今出川・京田辺の両キャンパスでチャペル・アワーを守り続けているのです。伝統と現状の軋轢が生じるたびに「今まで続いてきたことを止めてしまうのは簡単だが、一旦手放したものを取り戻すのは非常に難しい。否、おそらく不可能だろう。だから今まで続けてきたことを中断させないよう工夫しなければならないのだ」という言葉を何度も耳にしました。困難が生じたときには、現実を冷静に見据えた上で、簡単に諦めてしまわずに知恵を絞って辛抱強く対処する・・・この方法で多くの方々が毎日の一つ一つの事柄を支えて来られたのだと思います。
キリスト教教育
女子大の伝統について云々するのならば、やはりその「キリスト教教育」にも触れなければならないと思います。私は高校までは普通の、宗教色のない環境で学んできましたので、この大学に入って初めて接する聖書の時間やチャペル・アワーはとても新鮮でした。私が学んだ高校もとても良い学校で、先生方は熱心に教えて下さり、今も感謝しています。しかしそこでは、無理からぬこととは言え、どうしても大学受験に成功することが最大の人生目標になってしまっており、その枠を取り払ってもっと広く大きく人生について思いを巡らすというような機会はありませんでした。(もっとも、あったとしても「受験」で頭が一杯の高校生には受け入れられなかったでしょうけれど。)一応「受験」の重荷からは解放され、晴れて大学生となって気持ちにゆとりができたこの時期、卒業必要単位数であるとか、すぐに役立つ何かの資格であるとか、目先の事柄だけを気にするのではなく、もう少しゆったりとしたスパンで人生や人間関係を考えてみることも大切です。この大学ではその機会を居ながらにして与えられていると私は思います。年を経て大きな試練に遭った時、学生時代にいい加減に聞いていた聖書の話が思い出されて、苦悩の中で大いに慰められ支えられた、という話を卒業生からよく聞きます。聖書の授業やチャペルに出ていたからすぐにどうこうと言うことはないのですが、年月の経過と共に、そこで聞いたことや考えたことが心の中で次第に熟して大きな実を結び、人生の困難に対処できる根源的な力となるように思われます。
さいごに
教育実習見学や出張授業で訪れる中学校や高校の中には、創立されてまだ10年、20年という新しい学校もあります。そういう所へ行きますと先生方が、短いながらその学校の歴史をとても大事にされており、それが更にもっと長く続いて欲しいと願っておられるのがよく解ります。そして皆さんが口を揃えて「130年もの長い歴史のある同志社女子大学さんが羨ましい」と仰るのですが、そういう言葉を聞く度に、学校を存続させ、発展させることは並大抵のことではないのだと改めて思わされます。京都の地に女子のための学校を作り、厳しい状況下で苦労された新島襄先生はじめ初期の教職員の方々の気持ちというのは正に、この新設高校の先生方と同じだった筈です。切実な思いで一年を次の一年に繋いで歴史を築いて来られたのだと思います。
大きく発展したこの女子大学が、硬い岩の上にしっかりと建てられた、大風にも大雨にもびくともしない堅固な大学としてこれから先も存続し、発展し続けてほしいと願っています。131年、132年と、ずっと続いて行くこれからの女子大学の歴史。その一番新しい部分を担うのは、若い学生の皆さんです。このことを心に留めて、この大学での生活を意味あるものとして下さい。今出川の史料室の展示室(ジェームズ館1階)で、この女子大学に学んだ学生に焦点を当てて130年の歴史を辿る、とても興味深い展示を行っています。皆さんの先輩たちの生き生きと学ぶ姿をぜひ一度見に行って頂きたいと思います。