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※所属・役職は掲載時のものです。

「あじさい」の季節になりました

2017/06/09

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

鬱陶しい梅雨のシーズンが到来しました。こんな季節には「あじさい」が一服の清涼剤になります。その「あじさい」は花の色が変わることで有名ですね。それで「七変化」とも称されています(花言葉は「移り気」です)。では何故そういわれているのでしょうか。

一つには土壌のph濃度、つまり酸性か弱アルカリ性かで色が分かれることです。酸性であれば、アルミニウムイオンが溶けてアントシアニン色素と結合するので、花は青くなります。それが中性か弱アルカリ性であれば、アルミニウムイオンが溶けないので、花は赤いままです。昔は「あじさい」の根元に一円玉を埋めると花が青くなると信じられていましたが、それはどうやら眉唾のようです。もう一つ、土壌とは関係なく「あじさい」は咲き始めから咲き終わりまでの間に、淡緑色→白→藍(青紫)→淡紅色と自ら色を変えていきます。その日々の変化を追いかけるのも楽しみの一つです。

ところでみなさん、「あじさい」を漢字でどう書きますか。はい「紫陽花」ですね。ただしこれにはいささか問題があります。もともとこの漢字表記は、唐の白楽天が最初に漢詩(紫陽花詩)に用いたとされています。それを平安時代の源順が『和名類聚抄』(和名抄)という辞書の中で、「白氏文集律詩云紫陽花和名安豆佐為」と書いたのが最初だとされています。これによって「あじさい」に「紫陽花」という漢字があてられるようになったのです。

ところが、白楽天の見た「紫陽花」はいい香りのする花だったらしく、今のライラック(リラ)ではないかとされています。ですから中国で「あじさい」のことを「紫陽花」と表記していたわけではなかったのです。要するに源順が勘違いしてあてた漢字が日本で定着してしまい、今日までそのまま用いられていることになったようです。よくぞ勘違いしてくれたものです。

もちろん日本にはもっと前から「あじさい」がありました。古く『万葉集』に、

こと問はぬ木すら味狭藍もろとらがねりのむらとにあざむかえけり(大伴家持)

安治佐為の八重咲くごとくやしろにをいませ我が背子見つつ偲はむ(橘諸兄)

というあじさいの歌が二首載せられているのがそれです。なおこれは「がくあじさい」(日本原産)のこととされています。

平安時代、「あじさい」は辞書類には記載されていますが、『枕草子』や『源氏物語』などの女流文学には一切登場していません。『古今集』以下の勅撰八代集にも見えないので、どうやら平安時代において「あじさい」は貴族が称讃するような美しい花ではなかったようです(野生の植物)。かろうじて『古今六帖』に、

茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな

が出ているくらいです。この歌にある「よひら」とは、萼(がく)が変化した花弁が四枚あることです。ここから「あじさい」の別称として「よひらの花」と呼ばれるようになりました。

それ以降も文学では「あじさい」の不人気が長く続きます。その「あじさい」が話題になるのは、下って幕末明治期でした。日本(出島)にやってきたドイツ人のシーボルト医師が、日本女性の楠本滝と恋仲になり、なんと「あじさい」の学名を「おたくさ(お滝さん)」(ハイドレンジア・オタクサ)にしようとしたとされています。結局それは認められなかったのですが、何故か植物学者の牧野富太郎がそれを真に受けて、学術雑誌の中で、

シーボルトはアヂサイの和名を私に変更して我が閨で目じりを下げた女郎のお滝の名を之に用いて
大いに其花の神聖を涜(けが)した。

と本気で非難しています。しかしこれでかえってこの話は有名になり、真実味を増してしまいました。長崎で生れ育った私は、今もこの起源説(ロマンス)を信じています(長崎市の花はもちろん「あじさい」です)。

なお「あじさい」の花や葉には酸性の毒があり、食べると食中毒を起こしますから、くれぐれも口にしないようにしてください。今回は「あじさい」について少しだけ薀蓄(うんちく)を傾けてみました。