「薬」という漢字について

2024/03/04

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)
                               


日本漢字能力検定協会が毎年発表している漢字、2023年度は「税」が選出されましたね。
この「今年の漢字」は1995年から始められています。しかも12月12日は語呂で「いい字一字」(一二・一二)となるので、この日を「漢字の日」に制定した上で、当日「今年の漢字」が発表されることになっています。

実はこの「税」という漢字は、かつて消費税が引き上げられた2014年にも選定されたことがあるので、今回で二度目となります。同じ漢字が重複して認定されても構わないのです。最多は「金」で、なんとこれまでに四回も選ばれています。その気持ちはわからないでもないですね。

ところで「今年の漢字」に「薬」が選ばれたことはまだありません。ただ2009年に「新」が選定された時、第二位に「薬」があがっていました。この年に「薬」が浮上したのは、残念ながらその年に難病に効く新薬(特効薬)が開発されたからではありません。それどころか芸能人による覚醒剤の乱用や、大学生による大麻事件などの薬物事件が世間を騒がせたからでした。

「薬」の英語としては、ドラッグ(Drug)とメディスン(Medicine)があります。その違いはというと、最近日本でもドラッグストアがあちこちで見られるようになりました。ということで、メディスンは病気の治療に使われるいわゆる狭義の「治療薬」を指しています。それに対してドラッグは広い意味での「薬」全般のこととされています。ですからドラッグの中にメディスンも含まれます。必ずしもドラッグに悪い意味があるわけではないのでしょうが、ドラッグは麻薬などの違法薬物を指すことも少なくありません。といってもドラッグストアで麻薬は販売されていませんが。

もともと麻薬のような体に悪いものも「薬」の一種には違いないのです(毒薬もあります)。これでは「今年の漢字」の第二位に選ばれたといっても、逆に不名誉なことですから、素直に喜ぶことはできません。「薬」という言葉には善悪二つの意味があったのです。それだけでなく、薬は必ず副作用を伴います。良い薬だからといって、決して安全というわけではないのです。うまく使うことが大事だということです。

ここで「薬」という漢字をよく見てください。草冠に「楽しい」とありますね。これは一体どういう意味なのでしょうか。もともと「薬」は中国の漢方薬が日本にもたらされたものなので、ほとんどの「薬」は薬草から作られていました。草冠は草に関わるもの(草・根・木・皮)のことですから、それを服用した効能によって心身が楽になる、あるいは病気や苦痛が緩和・軽減されるということなのでしょう。一説には、「樂」という旧漢字は「癒す」意味があるとしています。

次に「薬」の語源を調べてみたところ、大きく二つの説がありました。一つは「奇(くす)し」から転化したという説です。「薬」には人智を超えた効能があることで、霊薬ともいわれています。ですから「奇し」には神秘的・霊妙という意味が含まれているのです。これも捨てがたいですね。もう一つは「草煎り(くさいり)」が訛ったものという説です。これは薬草を煎じたもの(煎じ薬)ですから、まさに漢方薬にピッタリの名前です。こちらの説の方がより具体的ですね。

そういえば家庭で使っている「やかん」、漢字でどう書くかご存じですよね。ちょっと難しいのですが「薬缶・薬罐、薬鑵」などと書きます。今は単に湯を沸かすものですが、昔は薬を煎じるために用いられた道具だったのです。ということで、漢方薬の約八割は煎じ薬として服用されているそうです。

みなさんご存じの葛根湯や中将湯など、「湯」という字がついているものは煎じ薬の仲間だと思って間違いありません。よく使われることわざというか孔子の言葉に、「良薬は口に苦けれども病に利あり」(『孔子家語』)とありますね。これは必ずしも煎じ薬のことではありませんが、煎じ薬も苦くて飲みにくいイメージがあります。かつて青汁のコマーシャルで、「苦い。もう一杯」といっていたのも印象に残っています。

なお「藥」の字には、原始的な意味としてシャーマンが鈴を振って病人を治している様子を表しているとか、松明を焚いている様子だともいわれています。そもそも「松」は中国では薬草の起源とされているものでした。いずれにしても「薬」は人間の生活とは切っても切り離せない必需品ですよね。

その意味で、最近はいろいろな新薬の誕生が待ち望まれています。いずれ新薬が人々の暮らしに大きく貢献する日もそう遠くはないはずです。「薬」本来のプラス評価によって、「薬」の漢字が「今年の漢字」の第一位に選ばれることを心から願っています。
 

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