「一月一日」の雑学
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
早いものでもうすぐ新年を迎えるところまできましたね。
そこで早速みなさんに質問です。
一月のことを「正月」ともいいますね。では一月と正月にはどんな違いがあるのでしょうか。単なる別称であって違いはないと思っている人もいるかと思いますが、実は重なる部分と重ならない部分があるようなのです。
一月は一年の最初のひと月ですよね。それに対して正月は新年に年神様をお迎えしてお祝いするための行事を行う期間です。普通一日から三日までが三が日、七日まで(関西は十五日まで)が松の内となっています。こういった元日からの期間を「大正月」とも称しています。それに対して十五日を「小正月」といって、正月の行事を締めくくる日にしています。中には二十日に「小正月」を行っているところもありますが、要するに「小正月」までが正月であって、それが過ぎたらもはや正月とはいいいません。つまり正月は、前半は一月と重なっていますが期間は一か月ではなかったのです。
次に正月ならではの特別な表記について考えてみましょう。みなさんは年賀状に「元日」とか「元旦」と書いていますよね、では「元日」と「元旦」では意味がどう違うのでしょうか。これも正月の用法に似ています。問題は「日」と「旦」という漢字の違いです。となると「日」は「いちにち」のことでいいとして、問題は「旦」の方になります。この「旦」という漢字は、お分かりのように水平線から太陽が出ているところです。読みとしては「あした・あさ・あけがた」になります。ということは日の出の時刻、つまり朝を含む午前中に限定されそうです。要するに「旦」は「日」より短い時間だったのです。おわかりになりましたか。
ところでみなさんは年賀状に「一月一日元旦」とか「一月一日元日」などと書いていませんか。もともと「元日」も「元旦」も一月一日に限定される言葉なので、両方書いたら重複というか蛇足になりかねません。どちらか一つで十分なのです。それよりも「元日」とか「元旦」は一月一日に限定された用語なので、一日以外には使いません。正月ならいつでもいいというわけにはいかないのです。ですから一日に着かないことがわかっている場合、つまり二日以降に届くのであれば年賀状に「元日」や「元旦」とは書かない方がいいともいわれています。おわかりでしたか。
ではあらためて次の質問です。
「一月一日」と書いてなんと読みますか。一番多いのは「いちがつついたち」ですよね。でもよく考えると、音読みと訓読みがごっちゃになっていませんか。古典の読みとしては「むつきついたち」ですね。これならすっきりします。また明治26年に発表された小学唱歌、みなさんも歌ったことのある、
年の始めのためしとて終りなき世のめでたさを
松竹たてて門ごとに祝う今日こそ楽しけれ
は、千家尊福作詞・上真行(うえさねみち)作曲ですが、その曲名がまさに「一月一日」でした。これは漢文調に「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」と読んでいます。あまり一般的な読み方ではないように思えますが、辞書にはちゃんと掲載されています。
ついでに「ついたち」の意味はお分かりですか。かつて旧暦だった頃は月の満ち欠けが暦の基準でした。「ついたち」というのは月が立つ つまり新しい月が始まるということで、月の初日を意味しています。もともとは「望」(満月)の反対語で新月(月が見えない)のことでした。ただし新月は「ついたち」だけでなく「つごもり(晦)」も含みます。わかりやすくいうと、「つごもり」は月が籠って隠れるということで、「ついたち」は月がわずかに見え始めるということです。
なお「一日」にはもう一つの意味もあります。古典でこれを「ひとひ」と読むと、特定の日付ではなく、ある日あるいは終日(一日中)という意味になるので注意してくださいね。
最後に祝日についてお話します。昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が定められました。その時の祝日は年間で九日だったのですが、現在は十六日にまで増加しています。その最初の祝日が元日というわけです。その起源は。元日に諸臣が大極殿に参上して天皇に新年のよろこびを奏上するという重要な宮廷儀式でした。記録では孝徳天皇の大化二年(646年)から始まったとされています。当時は国民の行事ではなく、宮廷行事だったのですが、それが徐々に大衆化して今日に至ったというわけです。
一月一日の雑学、お役に立ちましたか。
※所属・役職は掲載時のものです。