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※所属・役職は掲載時のものです。

朝顔やつるべ取られてもらひ水(加賀千代女)

2015/09/14

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

タイトルの句を見て「あれ変だな」と思った方は、俳句に造詣が深い人か、それなりに教養のある人です。何も思わなかった人は金沢出身の人か、俳句に関心のない人です。さて、あなたはどちらでしょうか。

これはよく知られている俳句の一つですから、知っていて当然です。ただし一般には、「朝顔つるべ取られてもらひ水」という形で流布しています。ところが千代女の直筆に「朝顔や」と書かれているものがあることから、本場の金沢では「や」の方を奨励しているのです(「に」から「や」に推敲)。だから金沢出身云々と言ったのです。

では「に」と「や」ではどのような違いがあるのでしょうか。なんだか古文の問題のようで申し訳ありません。文法的にはどちらも間違っていません。それならどっちがいいのでしょうか。わかりやすいのは断然「に」の方ですね。朝早く起きて井戸まで水を汲みに行くと、朝顔のつるが釣瓶(の綱?)に巻きついていました。そこで擬人法的にこう詠んだと解釈できるからです。わざわざ「もらひ水」をした理由がはっきりしていますね。

それが「や」だと少々複雑になります。俳句の「や」はいわゆる「切れ字」ですから、一度そこで文が切れます。そのため朝顔と「つるべ取られて」以下が直接結びつきません。ですから即座に誰に取られたのかが判断できないのです。そのかわり「朝顔や」とすることで、何より朝顔の花の美しさに感動していることが感じられます。一方「朝顔に」では、朝顔の花の美しさが伝わりにくいのではないでしょうか。それぞれ一長一短があるのです。

もちろんつるが巻きついているだけですから、それをほどいてあるいはちぎって、水を汲むことも可能です。そうしないで近所で水をもらうところが千代女の優しさというか、この句の見所ではないでしょうか。鈴木大拙など「彼女がいかに深く、いかに徹底して、この世のものならぬ花の美しさに打たれたかは、彼女が手桶から蔓をはずそうとしなかった事実によってうなずかれる」(『禅』所収)と絶賛しています。

それとは別に俳句の近代化をはかる正岡子規は、この句を「人口に膾炙する句なれど俗気多くして俳句といふべからず」(新聞日本)とバッサリ切り捨てています。というのも、「もらひ水」という趣向が写生から離れて「俗極まりて蛇足」だからというのです。「もらひ水」を秀句とするのか蛇足とするのか、芸術の評価というのは難しいものですね。

ここで少し古典の勉強をしましょう。千代女の詠んだ「朝顔」はどんな植物だと思いますか。というのも古典に出てくる「朝顔」はなんと普通名詞であり、朝咲く花ならどれも朝顔と称される可能性があるからです。そのため「朝顔」という名の植物には大きな変遷があります。古く万葉の時代、「朝顔」は現在の桔梗のことでした。ですから秋の七草の「朝顔の花」は桔梗のこととされています。

その後、外来種の槿(むくげ)が「朝顔」の座を奪います。さらに同じく外来種の牽牛子(けんごし)も「朝顔」と称されています。それが江戸時代になって淘汰され、最終的に牽牛子の固有名詞として「朝顔」が定着し、今日に至っているのです。ということで、時代的に千代女の「朝顔」は牽牛子(今の朝顔)で良さそうです。ただし江戸時代にかなり品種の改良が行われていますから、サイズや色や形などは原種とは大きく異なっているかもしれません。

もう一つ、朝顔の季節はいつでしょうか。小学生の頃、夏休みの宿題に朝顔の観察日記を付けた記憶のある人は、ためらわずに「夏!」と答えるかもしれません。でも俳句の季語では「秋」になっています。身近な「朝顔」にも、旧暦と新暦のずれが影響を及ぼしていたのです。古典って面白いですね。