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※所属・役職は掲載時のものです。

映画「シンデレラマン」の新しさと古さ

2005/10/01

福田 京一   (学芸学部教授)

アメリカにはボクシングが家族と貧困と尊厳の問題と合わせて作られる良質の映画がある。「ロッキー」(1976)をすぐ思いうかべる人は多いだろうが、この9月14日に亡くなった名匠ロバート・ワイズはこの種のすばらしいボクシング映画を2本残している。「罠」(1949)では峠を越した35歳のボクサーが仕組まれた八百長試合に納得できず、相手をノックアウトしたため、闇の組織に手を潰される。絶望する彼の側には、これでもう夫はリングに上がらずに済むと秘かに安堵している妻がいる。「傷だらけの栄光」(1956)では、ニューヨークの貧民街の不良少年が監獄で覚えたボクシングによって身を立て、後にミドル級世界チャンピオンになるロッキー・グラチアノの半生を描いた。彼の側にも人間の尊厳を賭けた不屈の戦いを支える妻がいる。

最近評判になった「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)では、娘に愛想つかされた老トレイナーは自分が何ものかであることを確かめたいと願う貧しい田舎娘を厳しく、しかし実の娘のように愛情込めて一人前のボクサーに育て上げる。そして、彼は彼女が戦い傷ついたあと、誇りある生命を美しく終えさせてやる。かつて「遙かなる大地」(1991)でアイルランド出身のトム・クルーズ扮する主人公に一時ボクシングをやらせたロン・ハワード監督もまた、今回本格的なボクシング映画「シンデレラマン」を作った。

ところで、最近のボクシング映画を90年代のアメリカを分裂させ、今なおアメリカ社会の主要な問題である多文化主義の言説を背景にしてみれば、明らかにその影響を受けて、人種と民族性の問題が物語のなかに刻み込まれているのが分かる。「アリ」(2001)は、1964年から74年までの人種問題やヴェトナム戦争によって激動するアメリカ社会でカシアス・クレイという黒人ボクサーがモハメッド・アリへと自己形成を遂げる物語である。また、かつて若い 頃マッチョの英雄を西部劇で幾度となく演じたクリント・イーストウッドがあたかも自らの過去を恥じ、反省するかのように「許されざる者」(1992)を作ったが、同じように「ミリオンダラー・ベイビー」ではアイルランドの民族的誇りをかけて、一人の女性ボクサーを育てることを通して己の罪 ― 黒人ボクサーを失明させたことと家族を顧みなかったこと ― を償おうとする男の物語を作った。「シンデレラマン」では、経済不況期にいた1,500万人の失業者の一人であるアイルランド系の元ボクサー、ジム・ブラドックが、フーバー政権(共和党)もルーズベルト政権(民主党)も信じられず、信仰さえ揺らいで、ただ家族が一日を無事に過ごせることだけを考え、行動する。30年代の不況期にあった中産階級より上の裕福な人々と路頭に迷う労働者(その多くは黒人、メキシコ系、アイルランド系、その他の民族的少数派)の格差は、現在の経済的格差の状況と重なり、それに有効な対策を講じないブッシュ共和党政権と民主党陣営への批判へと繋がっている。こうしたなかで民族の誇りと個人の尊厳を二つながら保つことの難しさは計り知れない。それでもその努力を続けることが少数派の精一杯の「アメリカ」への抵抗であるかのように描かれている。

ただ、気にかかる点は、多文化主義の重要な問題でもあるのだが、少数派同士がどうすれば互いの民族性を越えて理解し合い、協調できるのか、ということである。この映画では、幸運にもセカンド・チャンスを得たブラドックの相手、チャンピオンのマックス・ベアはメロドラマの規範通り、徹底して粗野で非情な悪役に仕立てられ、お馴染みの「アメリカの夢」物語の脇役におとしめられている。実際のベアは、試合で相手を強打し、死に至らしめたが、何年もそのことで悪夢に苦しめられたと彼の息子は後に語っている。マックスはユダヤ系ドイツ人の移民の息子であった。彼にも「アメリカ」に対して語りたい彼自身の物語があったはずである。この点では一昔前の「グレート・ホワイト・ホープ」(1970)や「レイジング・ブル」(1980)の方が人種・民族やジェンダー理解の難しさを正面から描いているといえよう。