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The Roots 志の章 美しき伝統の余韻 Vol.6

新島夫妻を夫婦の鑑として(横井)海老名みや(よこい)えみなみや 1862年~1952年

襄の最期のケアを行い、
生涯を看護活動に
捧げた女性

北里ユウは、1864年(元治元年)4月15日、北里義正の長女として熊本で誕生した。元治元年というのは、新島襄が国禁を犯して函館から脱国した年でもある。破傷風菌の純粋培養・免疫体の発見などで業績をあげた北里柴三郎(1853年~1931年/嘉永6年~昭和6年)は彼女の従兄にあたる。夫の不破唯次郎(1857年~1919年/安政4年~大正8年)は熊本洋学校在学中にジェーンズ校長から洗礼を受け、洋学校廃校後の1876年(明治9年)に創立間もない同志社英学校に転校してきた、いわゆる熊本バンドの一人であった。1879年(明治12年)6月12日の同志社英学校最初の卒業式では「伝道師ハ学術アルヲ要ス」と題する卒業スピーチをおこなった。その内容は不明であるが、卒業後は、福岡・前橋・京都で伝道一筋の生涯をおくった。前橋では前橋英知女学校(現在の共愛学園)の初代校長を務めた人物でもある。最初の妻であったきよは、神戸英和女学校(現在の神戸女学院)の第1回卒業生で、熊本バンドの一人である金森通倫の夫人と同級であった。彼女は前橋英和女学校の教員としても唯次郎に協力したが、1889年(明治22年)1月に夭折した。二人の子どもを抱えて難渋していた唯次郎の妻となったのがユウであった。新島襄が紹介したのである。結婚式は京都で執り行われ、新島が司式した。

日本画家の久保田米僊が描いた「新島襄先生臨終図」★
 

1889年(明治22年)10月12日、新島が、病の身でありながら同志社大学設立募金運動のために関東へと出張し、11月28日に群馬県の前橋で倒れ、翌年の1月23日に神奈川県大磯で46年と11か月11日の生涯を閉じたことはよく知られていることであるが、新島のターミナルケアをしたのが不破ユウだったのである。彼女は1889年(明治22年)6月に新島が創設した京都看病婦学校の第2回卒業生であった。妻の八重宛ての書簡(1889年/明治22年12月9日)には「幸いなる事には、不破の奥さま、日々、看護に御越し下され、食べ物一切の御世話致し下され候ゆえ、何も不都合はなく、内にてもこれまでと申し居り候次第。また、室内に気を付け、昼夜共、火をたき、暖かになしおり候間、手当にも何も落ち度はこれなく候」としたためられている。

1887年(明治20年)11月15日に同志社病院・京都看病婦学校の開院・開校式が行われた。同志社病院の院長はアメリカン・ボードから派遣された医療宣教師のJ・C・ベリーであった。不破ユウは、ベリー校長からは医学を、そしてベリーの要請に応じてボストンからやってきた日米看護婦の母であるL・リチャーズから看護学を学んだのである。ユウは、「『受くるより与うるは幸なり』聖語をその儘体験された先生の感化は、……どれだけ私を励まして頂いたことでしょう」(「ベリー先生の人格の力」『日本に於けるベリー翁』1929年)と、ベリーから受けた感化が、彼女の看護活動の力となっていることに対する感謝の言葉を綴っている。

新島亡きあと、経営難から京都看病婦学校と同志社病院の廃止、売却を検討していた同志社当局(社長は下村孝太郎)に対して、1905年(明治38年)10月、その存続を訴える嘆願書が同窓生一同を代表する者たちによって提出された。その筆頭者が不破ユウであった。 当時、彼女は京都看病婦学校同窓会長でもあり、現在の京都大学医学部附属病院の初代看護婦長(現・看護部長)でもあった。同嘆願書には設立当初の精神にかえり、開設に協力した多くの有志者のおもいを想起して、仮に同志社のもとでの学校・病院の継続が不可能であるとしても、独立の機関として存続する方途を探ってほしい、と切々と訴えている。結果として経営は同志社の手から離れたが佐伯理一郎によって継承された。

京都看病婦学校(1886年~1907年)は、現在の烏丸上長者町南角にあった。★

不破唯次郎・ユウ夫妻の終焉の地は京都であった。1891年(明治24年)に唯次郎は前橋から京都に移り、平安教会の牧師に就任したが、視力を失うことになり、7年後には引退し、余生を京都教会員として過ごすことになった。 妻のユウは、母校の教壇に立ち、同窓会長を務め、京都大学医学部附属病院初代看護婦長(1899年~1915年/明治32年~大正4年)にも就任し、京都教会の執事も務めた。夫妻は、若王子山の頂にある同志社墓地で新島夫妻の墓に向き合って眠っている。

(大島 中正)

写真提供
京都大学医学部附属病院看護部
同志社女子大学史料室
同志社大学 同志社社史資料センター(★印)

2016年4月28日更新

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