今は昔

大島 中正(日本語学入門)

ちいさなリユニオン

数年前の事になりますが、小学校時代の同級生がつどうリユニオンを計画しました。実際にあつまったのは、わずか4人です。その中の1人がインターネットでわたくしの名前を検索して連絡をくれたことがきっかけで開催することになった超ミニリユニオンでした。他の2人とも30年余の歳月をへての再会でした。1人がもってきてくれた1葉の写真。それは、小学校入学直後の集合写真だったのですが、その写真から話に花がさきました。半世紀前の学校周辺の街並みをはじめ、騒音や悪臭までもがリアルによみがえってくる。そんな体験を期せずして共有することになりました。

齢をかさねると、「さまざまの事おもいだす桜かな」、「降る雪や明治は遠くなりにけり」といった句のよみ手の心境がいたいほどわかります。思い出話に花がさいたり、たとえ短時間であっても、すぎさった日々のことを想起したりする。それには、どういう意味があるのでしょうか。

「今は昔」とはどういう意味か

みなさんは、「今は昔」ときくと何を連想されますか。説話文学の『今昔物語集』におさめられた説話は、たとえば「今は昔、天文博士安倍晴明といふ陰陽師ありけり。」というセンテンスでかたりだされます。『竹取物語』も「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」とかたりだされます。ところで、この「今は昔」は現代語にどう翻訳できるでしょうか。「今となっては昔のことだが」と訳されることがおおいかとおもいますが、どうでしょうか。近年は、そうではないという学説が有力になっているようです。それは、語り手が物語の現場にいきなり身をおいてその時を「今=この話・この時間」ととらえた表現である、歴史的現在であるという学説です。この学説をしったとき、わたくしはいたく感動しました。思い出話もある意味では説話とおなじことではないかとおもうからです。

人がすぎさった日々をおもいだすということはどういうことなのでしょうか。それは、かたる者、かたりあう者が、思い出話という物語の現場に身をおくということではないのかとわたくしには、おもえます。

同志社女子大学史料センター第25回企画展

同志社女子大学・同志社女子中高のルーツというべき京都ホームがスタートして145年。同志社女子大学史料センターでは第25回企画展「スタークウェザーと山本覚馬―創設期における新島襄の同志たち―」を11月19日から開催しています。わたくしも企画展担当者の一員として資料をさがしたり、展示物を選択したり、展示目録の分担執筆をしたりしました。わたくしは、20年ちかく史料センターの仕事にかかわってきました。この仕事にたずさわっていると、いつも時間のたつのをわすれてしまいます。さまざまな史料を通じて大先輩たちとつながることのできる、まさに至福の時間です。そして、いつもおもいます。創設期の人たちもこの山紫水明の京都にあって、朝に夕に、四季折々に、比叡の山や賀茂の流れを、どんな思いでみていたのだろう。きっと、それぞれに日々さまざまな喜怒哀楽を胸に春の桜や秋の紅葉をみていたにちがいないと想像します。今回は、『創設期の同志社』という卒業生の回想を収録した文献の一部分を展示しています。同志社女学校、同志社英学校にまなんだ日々のことを回想し証言する人たちも、きっと「今は昔」を実感していたにちがいないとおもいます。

「今は昔」のパワー

わたくしは、すぎさった日々にもどりたいとはおもいません。しかし、「今は昔」モードにはいるという体験は大切にしたいとおもいます。「今は昔」はある種のパワーをくれます。そのパワーとはどのようなものでしょうか。過去を想起するということは、自分自身に昔をかたりきかせることだとおもうのです。すぎさった日々の体験を素材とする物語をかたりきかせることだとおもうのです。

くる日もくる日も、「さむいな、あついな、しんどいな、いそがしいな」とおもいながらも、「大丈夫だ。あきらめなければ。何とかなる。道はきっとひらける。」と、自分にいいきかせることが、齢をかさねるにつれておおくなってきました。「今は昔」。それは、今のわたくしにとっては、活力の源といっても過言ではありません。人知を超越したおおいなる存在を信じるパワーでもあるのだとおもいます。

145年を語りつぐ