芽生え育ちて、地の果てまで

近藤 十郎(本学名誉教授、学校法人梅花学園学園長)

Ⅰ.はじめに

ご紹介にあずかりました近藤と申します。今から40年も以前、学生の皆さんが生まれる前になりますが、私は1980年から2008年まで、専任の教員として、定年後5年間、2012年まで、同志社女子大学の教員として勤めさせていただきました。着任当初は、まだ京田辺キャンパスでの授業はなく、今出川キャンパスだけが同志社女子大学の拠点でした。栄光館3階のこの小礼拝堂での礼拝も、今の私には涙の出そうなほど懐かしくも愛着の湧くひとときです。今、同志社に学ぶ皆さんと、このような形で共に礼拝に預かることができること、感謝でいっぱいです。

2017年の4月から、縁あって、同女とは姉妹関係にある大阪の梅花学園の学園長として、幼稚園から中高、大学までの園児、生徒、学生たち、それに教員、職員の方々と触れ合いながら、日々を過ごしています。昨日の月曜日は、梅花女子大学でのクリスマス礼拝でした。聖歌隊の奉仕もあって、オンラインの形ではありましたが、心温まる礼拝の時を持つことができました。

同志社女子大学の創立は、1876年の10月24日、初代校長はアリス.J.スタークウェザー、梅花学園の創立は1878年の1月18日、創立者は沢山保羅という先生です。神戸女学院は一番のお姉さんで、1875年10月12日の創設と、歴史は記録しています。これらの3姉妹は、多少の年代の相違はあっても、同じ会衆派教会の流れを組む日本における高等女子教育の先駆けとして、キリスト教主義教育を基本理念とする人格教育の業に大きな貢献を果たしてきました。3校ともまもなく創立150周年を迎えようとしています。150年の歴史を、営々として築き上げてきた諸先輩たちの足跡をたどりながら、私たちの今と未来を、これらの無数の先輩方たちの祈りをどのように継承していくべきか、が問われていると思います。

Ⅱ.聖書のたとえ話から

先ほど拝読した聖書のテキストは、イエスが語ったと伝えられている二種類のたとえ話です。一つはからし種のたとえ、もう一つはパン種のたとえです。テキストの前後には、そのほかにも、種まきのたとえや毒麦のたとえ、天の国のたとえも収録されています。これらのたとえ話には、その意味の解きあかしが加えられているものもありますね。昔から、イエスはたとえ話の名人であった、と言われています。難しい言葉は何一つ使わず、どこにでもある、日常的な言葉で語られていることがわかります。種まきも、からし種も、パン種も同様です。からし種は、どんな種よりも小さいが、畑にまくと成長すればどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどになる。パン種も、ほんの少量でも、3サトンの粉を膨らませることができる、というわけです。いずれにしても、「天の国」、つまり天国、神の国で用いられる秤、度量衡は、人間の推し量る秤や物差し、メジャーでは決して計ることのできない、次元の異なった目盛りを持っている、ということでしょう。無限の可能性というべきでしょうか。人間の知恵を超えた世界が、天の国、神の国には備えられている、ということです。問題は、そのような人知を超えた領域に、人が自分の生き方の基準や照準を合わせることができるかどうか、ということだと思います。私たちの主イエスは、その可能性を弟子たちに示しながら、弟子たちがご自分の思いをしっかりと受け止めて、神の国で用いられる物差しによって、この世の論理に立ち向かい、様々な課題にチャレンジするように、と教えられたのです。

Ⅲ.讃美歌21-412番「昔 主イェスの」

先ほど皆さんと一緒に歌った讃美歌21-412番の1節目の意味を確認してみましょう。「昔 主イェスの蒔きたまいし/いとも小さきいのちの種。芽生え育ちて/地の果てまで、その枝を張る樹とはなりぬ。」と歌われています。歌詞は日本人の由木康によるものですから、親近感も湧いてきます。今日の聖書のテキストそのものです。どんな小さな種でも、ほんの一掴みのパン種であっても、神様の御心に叶いさえすれば、必ず豊かに実を結び、計算の世界を超えた実りが約束されている、というのです。

Ⅳ.中村哲先生の場合

先頃の新聞報道で、中村哲先生の働きについて、改めて紹介されていました。2019年の12月4日、アフガニスタンでの働きの最中に銃撃されて73歳のこの世での生涯を終えられた先生です。同女の宗教部でも中村先生をいつかお招きして、お話を聞く機会があれば、と何度かその機会を得ようと試みたこともあったのですが、残念ながら実現しないままに終わってしまいました。彼の働きについては、アフガニスタンの最近の混乱した情勢もあって、度々メディアが取り上げていますので、皆さんもよくご存じのことかと思います。過日のNHKのドキュメンタリーでも、『武器ではなく命の水を』と題する1時間番組が放映されていました。つい最近では、西日本新聞社から、『希望の一滴』というカラー写真入りの本も出版され、感動的な場面がふんだんに紹介されていました。1,600本に及ぶ井戸を掘り、65万人の命を支える用水路を建設、本業は医師でありながら、自らショベルカーや大型重機を運転して、砂漠化した荒れ野を緑の野に作り替え、地域の人々に再生の希望と可能性を実現されたのです。医師の白衣を脱ぎ捨て、汗と泥にまみれながら、地元の人々と共に働くお姿に、ひたすら感動させられました。遅ればせながら、私も資料を取り寄せ、ささやかな協力の証しとして賛助・維持会員となるべく手続きをしたところです。一体なぜ、このような崇高とも言うべき中村先生の命が、志半ばで、無残にも中断させられなければならなかったのでしょうか。政治的な駆け引きやテロリストたちの残忍な策略のせいなのか、と疑心暗鬼、心が暗くなってしまいます。しかし、「希望の一滴」は、初めはたとえほんの一滴、ひとしずくにしか過ぎなくても、その一滴がいつしか必ず一筋の小川となり、ついには大河ともなる、ということも、先生の働きから証しされています。

Ⅴ.一握りの小さな群れからの始まり

同志社も梅花も、神戸女学院も、その始まりは、ごくごく小さな一握りの人々の祈りから始まりました。それぞれの礎石を据えた人々は、アメリカからの宣教師であったり、これからの日本の未来を担うべき器としての若者たちの育成に命をかけた先人たちでした。肝心なことは、そのような有名無名の先人たちの祈りを、今ある私たちが、どれほど誠実に、また的確に受け継いでいくか、ということかと思います。ここに集められた若い方々には、同志社での学びの時が、単に卒業後の生活設計のための準備期間に終わってしまうのでなく、これからの人生の歩みの基礎を創るかけがえのない日々となるように、様々な出会いや触れ合いの時を積極的に体験していただきたいと思います。学問との出会い、人との真実の出会いは、必ずや私たちに無限の可能性を提供してくれると信じるからです。

145年を語りつぐ