ミス・デントンの贈り物

水野 いずみ (嘱託講師・フランス語)

讃美歌「うるわしの白百合」

NHKの連続テレビ小説『エール』の中で、薬師丸ひろ子が演じる、関内光子が、空襲で焼け跡となった家で、焼け残った讃美歌を手に取り、この歌を歌う場面が話題になりました。薬師丸ひろ子は、母校の玉川大学の礼拝を通じて、玉川学園の創立者の妻の愛唱歌であったこの讃美歌に慣れ親しんでいたことから、この歌を独唱することを提案されました。戦争の悲惨な廃墟の中で、かつての幸せな日々を思い起こし、絶望の中から希望を持って歩んで行こうとする願いがこの歌には込められていました。この讃美歌のテーマである白百合の花はキリストの死と復活を表していますが、ドラマのこの場面では、戦争の死の苦しみと悲しみに、平和、命、希望をもたらす歌として、多くの人に感動を与えました。(註1)

(註1)金城学院、讃美歌「うるわしの白百合」に寄せて, With Dignity, 2021, vol.36.

同志社女子部の設立を覚えて感謝する日

今日は、同志社女子部の創立145周年を記念して、終戦直後の同志社女子専門学校の学生生活の様子についてお話をさせていただきます。

同志社女子部の起源は1876年にディビス邸に開設された女子塾(京都ホーム)にあります。アメリカ人宣教師のアリス・J・スタークウェザーの書簡の中に「10月24日から正規の授業を始めました」という記述があることから、この日を同志社女子部の創立の歴史を思い起こす記念日としています。その後、半世紀以上にわたって、同志社女学校はキリスト教に基づく女子教育を担ってきましたが、1930年に同志社女子専門学校と改称され、1949年には同志社女子大学が設立されました。(註2)

(註2)本井康博、「同女の母」スタークウェザー:同志社女学校の始まり、2021、同胞舎新社.スタークウェザーの没後100周年を記念して、同志社女子大学史料センターでは、「スタークウェザーと山本覚馬─創設期における新島襄の同志たち─」という企画展が開催された。

終戦直後の同志社女子専門学校での学校生活・寮生活

私の夫の母が同志社女子専門学校の家政科に入学した頃は、戦後も続く食料難と物不足のために調理実習や被服実習をするための材料などまったく手に入らず、授業は座学中心だったということです。寮の共同生活では、朝夕の食事としてご飯とお味噌汁が出されていました。当時の食料難の状況から考えると寮生に食事を提供するための食材の調達も容易ではなかったことでしょう。終戦後の厳しい生活の中で、寮生たちが寮生活を通じて、温かい親交を育んでいた様子を当時の写真に見ることができます。

ミス・デントンの思い出

寮に住む学生は、時々、ミス・デントンのお住まいであるデントン・ハウスに招かれました。メリー・フローレンス・デントンは1888年にアメリカン・ボードの宣教師として来日されました。以後、60年間にわたって女子部構内のデントン・ハウスに居住し、太平洋戦争中も帰国されませんでした。大切な家族とわかれて遠い国から船に乗ってやってきて、戦争のあいだもその国で暮らし続けるということは並大抵のことではなかったでしょう。戦時中は特高警察の監視を受けながら日々を過ごされました。アメリカと日本が戦火を交えた大戦中、どのような思いで過ごされていたのでしょうか。

彼女の信条をあらわす表現として「世界で一番よい国は日本、日本で一番よいところは京都、京都で一番よい学校は同志社、同志社の中で一番よいところは女子部」という言葉が知られています。

ミス・デントンの靴下

ミス・デントンの生活ぶりを後世に伝えるエピソードとして、つぎはぎの靴下の逸話があります。ミス・デントンは生地が見えなくなるくらいまで靴下を糸で繕って履いていらっしゃったということです。靴下ばかりか、お召し物も繕って大切にお召しになっていました。このように目に見えるところだけでなく、見えないところでご自分のためには節約して生活しておられたということです。

ミス・デントンはご自分のためには質素な生活を送りつつ、資金集めのために国の内外の方を自宅に招き、手料理でおもてなしをされました。ミス・デントンが集めた寄付金から建築された建物として「デントン・ハウス」「ジェームズ館」「栄光館」などが知られています。

デントン・ハウスでの茶話会

寮生たちがデントン・ハウスに招かれた頃、ミス・デントンは人生の最晩年を迎えておられました。長かった戦争もようやく終わりを告げ、日本各地から京都の地にやってきて学ぶ寮生の姿をミス・デントンはどのようにご覧になったでしょうか。かなりのご高齢であり、お茶の準備などはお付きの方がなさいましたが、美味しいお茶とお菓子をいただいたあとには、寮生一人一人に小さなプレゼントが渡されました。それはハンカチや靴下などの小さなプレゼントでした。それはミス・デントンの故郷のアメリカから送られてきた贈り物だったのかもしれません。ミス・デントンは若々しい学生たちが貴重な思い出の品を大切に持ち帰るのをきっとうれしくご覧になったことでしょう。「同志社の宝」「同志社女子部の母」と称されるミス・デントンの思い出は私たちが日々過ごすキャンパスの中に今も息づいています。

野の花の自然な美しさ

今日の聖書の言葉の中にもあるように、たとえ、野の花、野の草であっても神様は美しく装ってくださいます。同志社女子大学に集う私たちも、白百合の花のように、野の花のように、自然の美しさに輝くような存在でありたいと願います。今日歌った讃美歌の歌詞にあるように、毎年、変わらず美しく咲く花を見るたびに、はるか昔のことをしのぶことができます。今日の私たちの学校生活の礎となった145年の伝統は、明治から昭和の時代に戦火を越えてこの学校のために人生を捧げ、教育の灯をともし続けてくださった方々の尊い献身によるものであることを覚えて感謝します。学生生活の中で、友達との出会い、先生との出会いを大切にして人生を豊かなものにしてくださることを祈ります。

 

145年を語りつぐ