地の塩、世の光として

生田 香緒里(日本語日本文学科卒業生、同志社女子中学校・高等学校聖書科教諭)

どのような人生を歩むか?

みなさんはどのような人生を歩みたいと思いますか?学生のみなさんは将来どうするかを考えている最中でしょうし、教職員の方々も生き方を見直す機会があると思います。

私はこの同志社女子大学の卒業生ですが、学生時代は友人や先生方と交流し、勉強もし、バイトもし、日学のフレッシュマンキャンプリーダーをしたり、宗教部の活動にも参加したりして、充実した毎日を送っていました。将来は国語の教員になりたいという希望を持ち、実際に母校で国語科の教員をしていたこともあります。その後、いろんなことがあって、今は同志社女子中学校・高等学校で聖書科の教員として、また日本基督教団の牧師として働いています。

同志社女子中高で聖書科の専任教員として採用されたときに、「あなたは同志社全体で初めての聖書科の女性専任教員になるんですよ」と言われました。それまで、聖書科の女性講師はいたけれど、専任の女性教員はいなかったとのことでした。私はそれを聞いてびっくりしたと同時に、身が引き締まる思いになりました。しっかりと仕事をしていかねばというプレッシャーがありました。今は、少し余裕ができてきましたが、それでもまだまだだなあと思うことがたくさんあります。

女子部のリーダー

さて、同志社女子大学と女子中高はもともと、同志社女学校が起源で、同志社女子部とも呼ばれたりします。今日は女子部創設以来、初めての女性校長として、のちに女専および高等女学部の兼任校長として活躍した松田道についてお話をします。

松田道は1868年に京丹後で生まれました。時の京都府知事は槇村正直で学業を奨励していたので、松田道の両親はそれに倣って、子どもたちを学校に通わせました。

松田道は小学校時代には、習字を習いに自宅を訪ねても面倒がらずに面白い話をしてくれた高木先生と、積雪の日など背負って自宅まで送り届けてくれた柴崎先生のことを、晩年まで忘れることはありませんでした。後に自らも教師になった時に、その先生方の師弟に対する慈愛を胸に刻んで人の世の明るさを感じていたといわれています。小学校卒業後は、京都府立第一女学校の前身である女紅場に入学しました。鴨川沿いの寄宿舎での生活は、行燈をいくつも灯して読書や習字に親しみ、比叡山を眺めて川辺を散策するなど楽しく過ごしていたようです。寄宿舎の先生から、「君が名の道ひとすじに学び得て松の操と人に知られよ」という和歌を短冊にしたためて贈られたことがとても嬉しかったといいます。在学中に洗礼を受け、クリスチャンになりました。

女紅場普通学科卒業後は、同志社女学校に入学し、途中、フェリス和英女学校に転学して英語を学び卒業。再び同志社女学校専門科文学科に入学しました。津田梅子の提唱した米国留学生候補者募集の学力試験に合格して、渡米奨学金を得てミス・スティーブンス学校、ブリンマー大学に留学もしました。

アメリカから帰国し、神戸女学院に赴任しましたが、その後、同志社女子部の教員となります。そして女子部創設以来、はじめての女性校長となったのです。専門学部と高等女学部がそれぞれ分離独立する中で、松田道は専門学部の生徒を教授会に列席させることを提案し、実現させています。クラスの委員長・副委員長と週番の、出席と発言を自由にさせていたことが職員会誌に記されています。実際には傍聴に近く、すべての議事に参加したわけではなかったようですが、教授会での松田のきびきびした発言は、生徒に深い印象を与えるものでした。高い学識に裏づけられた厳しさと包容力によって生徒を惹きつけていたようです。松田道は明治期から昭和前期まで高等教育の分野で活躍しましたが、武士的風格と高潔な精神は、全女子部に深い感化を及ぼしました。

現代、私たちの社会では、昔に比べると女性が活躍する機会は増えたと思います。しかし、組織の上に立つリーダーとなる女性はまだまだ少ない状況です。松田道は大正・昭和の時代に女性校長として活躍しました。男性社会であったと思われる中で、リーダーとして働くということは並大抵ではなかったと思います。それでも、松田道が校長として活躍できたのは、松田自身の努力や才能もありますが、ゆるぎない神への信仰も、彼女を支えたのだと思います。

地の塩・世の光として

今日読んでいただいた聖書の「地の塩」「世の光」の話は、イエスが弟子たちに対して語られたもので、「あなたはかけがえのない存在で、社会の中で活躍していくことのできる賜物・才能を持っているので、それを充分に使っていくように」ということを示したものです。塩は、食事に塩味をつけたり、素材のうま味を引き出したり、腐敗を防いだり、清める役割を果たします。しかも、人の体には塩分が必要で、摂取しなければ生きられません。私たちが「地の塩」だとされるのは、目立たないながらも人のため社会のために働き、この社会の中で生きる意味を与え、社会の腐敗を防ぎ、汚れを清めていく働きをなす、ということを示していると言えます。光は、誘導燈・燈台のともし火のように、人を行くべき場所へと導いたり、明るさや暖かさを与えます。殺菌のために使われたり、植物などの成長に必要だったり、栄養を与えたりもします。そのように、人の目に明らかになるような行いで、希望の光として、励ましと力、エネルギーを周囲に発していくことが「世の光」となる人材といえます。

私たちは、神様の恵みによって「塩」であり「光」とされている、かけがえのない存在として、力を発揮していくことができるのです。それは自分自身のためではなく、自分を取り巻く周りの人々のためのものです。塩や光が役立つのは、それが周囲に浸透するからであって、固まっていては役に立ちません。また、塩も光もその周囲とは異質な存在であるからこそ、意味を持つのです。そして、そのどちらも、わずかであっても周囲の状況を変えることができるのです。

今を生きる私たちも、松田道のように、神さまや素晴らしい人生の先輩に出会い、豊かな知識を持ち、いろんなことを受け止め、品格を保ちながら自分らしく過ごせたらと思います。そして、自信をもって、様々な場所で、周りの人のために働くものでありたいと思います。

145年を語りつぐ