ヒバード先生と民主主義教育

枝澤 康代(元本学教授)

はじめに

おはようございます。久しぶりに栄光館のこの瞑想室に上がってこれまして、大変感激しております。ここまで来ることは本当にないので、今日はこの場を与えていただきありがとうございます。145周年の記念の話をしてほしいと言われましたので、初代学長のヒバード先生を取り上げ、ヒバード先生の戦後のご経験を皆さんにお伝えして共に学びたいと思います。

ヒバード先生

皆さんもご存知だと思いますけれども、ヒバード先生は、東京でお生まれになりました。お父様が東京に派遣されたYMCAの主事でいらしたので、東京でお生まれになりました。先生は11歳まで日本で育ち、その後アメリカに行かれて教育を受けられたのですが、ヒバード先生にとっては、アメリカは「行った」という国です。だから、宣教師になって日本に戻られた時に、船が横浜に着いて、岸壁から「カランコロン」という下駄の音が聞こえた時に、とても懐かしく思われて「これこそ、私の国」と思ったと、自伝に書いておられます。

戦争が厳しくなり、1941年12月に真珠湾攻撃が始まりました。その半年前に同志社の要請で、デントン先生以外の宣教師の先生方はアメリカに帰国しておられました。ヒバード先生は、真珠湾攻撃にものすごい衝撃を受けられました。自分の愛する国に裏切られたという想いを持たれたと思います。実際、ヒバード先生は、しばらくの間、日本生まれということで、アメリカ人扱いをしてもらえなかったのです。銀行の預金が凍結されて、お金を出せなかったという経験をされているのです。

戦争が終わり、日本に戻るか大変悩まれました。ヒバード先生は、アメリカにいる間にミシガン大学の博士課程に進み、日本民話の研究で博士号を取得されました。その間に、陸軍の日本語学校がミシガン大学にあり、そこでも教えられましたから、ヒバード先生は日本語も日本文学や日本の民話・文化も教えることのできるとても貴重な人材となっておられました。ヒバード先生はアメリカの大学で就職口がありましたけれども、日本に帰ることを決心されました。なぜかということについて、ウィスコンシン州の地元の新聞社のインタビューに、「私は民主主義を伝えるために日本に戻る」というふうに答えておられます。

なぜ民主主義を伝えたいのか?それについて、直接的には書いておられませんが、先生は日本の戦前の軍部が強くなり、弾圧が厳しくなり、おかしいと思っても何も言えない状況、自由に話せない、一人ひとりの人権が守られない状況を体験しておられるのです。そうでない社会を作るには、今こそ民主主義を伝えるときだと友達への手紙に書いておられます。

ヒバード先生の決意

先生は日本に帰ってこられました。空襲の焼跡のすごい中、日本に帰ってこられ、日本人と同じように貧しい生活を送られました。食べ物はない、着るものも非常に少ない、燃料もない生活でした。アメリカ人だから、宣教師だからと言って、優遇されることはなかったのです。日本人と同じように配給制度でした。ヒバード先生はそれを覚悟の上で帰って来られたのですが、そこまでして、日本に民主主義を伝えたかったのは、あの不自由な生活、人々の人権が守られない生活を繰り返してはならないと思われたのだと思います。
ヒバード先生は、日本に帰る理由について、友達に次のように書いておられます。

どの国も一国で問題を解決できないのですから、私たちは互いの経験から分かち合うことがとても大切です。私はマッカーサー元帥が、宣教師達を、たとえ困難が降りかかっても、日本人とほとんど同じ配給制度のもとに置いたことは、私たちが持ち込んだ食料は例外扱いにしたとしても、懸命な決定であったと思います。日本人が何に耐えているかを、私たちが十分理解するには、その方法しかないのです。世界戦争を非キリスト者的方法で解決しようとしたこと(つまり、原爆を落としたことですが)、それを償うにはその方法しかないのです。贖いの愛の原則を実践するには、それ以外の方法では不可能なのです。

ヒバード先生にとって、アメリカが原爆を落としたということは、もう1つの非常に大きな心の痛みでした。それを償うには、共に苦労を分かち合うことしかない。その覚悟を持って日本に戻って来られました。

ヒバード先生と民主主義

苦しみを分かち合うというところに、お互いに理解し合い、憎しみを和らげ、そして手を繋ぎ合うことができるのだと思います。だから民主主義なのです。民主主義は、人間が守っていくものです。制度であるとしても、それを維持していくのは人間です。その人間を育てることがヒバード先生にとって、最も重要なことでした。だから、ヒバード先生は戦後、大変な苦労をされながら、民主主義について多くの講演をされました。隣の人が何を考え、何を求めているのかを知る人間を育てようとされたのです。それは実は、この大学の建学の精神であるリベラル・アーツ教育なのです。

ヒバード先生とリベラル・アーツ

ヒバード先生は、リベラル・アーツ教育をこの大学に導入してくださいました。もちろん、同志社は、特に同志社女学校は創設の時からリベラル・アーツ教育をしておりますけれども、建学の精神として掲げたのは戦後からです。それをヒバード先生が中心になって導入してくださいました。

皆さん、リベラル・アーツ教育は一般教育と思われていますが、どう思っておられますか?人文科学、社会科学、自然科学のそれぞれの分野から、様々なことを学ぶとは知っておられると思いますが、そこまでではないでしょうか。でもその先が大事なのです。その先は、学んだ知識をもとにして、何が大切なのか、何が必要なのか、何が不要なのかの価値判断をするのです。判断をし、さらにそれを伝えるのです。しかも「適切に伝える」と、新制同志社女子大学の学則には書いてあります。

私たちの言葉っていつも足りないと思いませんか?誤解の連続ですね。頷いている方がいらっしゃいますけども、誤解されても仕方がないような伝え方をしているのではないでしょうか。でもそれではダメなのです。リベラル・アーツ教育というのは、自分の思いを適切に伝えること、同時に、相手が語ることも適切に受け止めることができる能力を養う教育です。そういう能力を持つ人間が民主主義を守ることができるのです。そのような人物を育成する教育をヒバード先生は目指されました。

おわりに

今日の聖書の箇所は、目標を目指して、後ろを忘れ、前に向かってひたすらに走ることを勧めています。後ろを忘れるとは、今までに達成できなかったことを気にしないということです。私たちにはできないことが沢山あります。でもそれを気にせずに、できないことにとらわれずに、目標に向かって一歩一歩進むことが大切です。それぞれは達成したところに従って進むべきだと聖書は言っています。

今日はヒバード先生の戦後の決意を通して、リベラル・アーツと民主主義について、その一部を皆さんにお伝えしたいと思いました。言い足りないところ、時間の関係で省略した部分が多々ありましたが、ご清聴ありがとうございました。

145年を語りつぐ