同志社女子大学研究所の設立

女子大学発足時からの課題であった研究所は、1965年(昭和40)4月1日に設置され、「学術の研究を促進する」という目的のもと、本学における研究活動をいっそう組織化、総合化、集大成して、今まで以上に教員に研究の機会と助成が与えられるようになった。すでに女子大学発足2年目から機関誌『同志社女子大学学術研究年報』(1950年創刊)を毎年刊行しており、1958年には助成金による個人研究と内地留学制度が設けられ、1963年には海外への留学と研修が制度化されていた。研究所が設置された年の12月には研究活動の記述や書評、随想を掲載した『研究所だより』を発行し、学生にも配布した。
1981(昭和56)年には、研究所名を同志社女子大学総合文化研究所と改称し、分野の異なる研究者による共同研究を重視し、特定の専門研究所ではなく、総合研究所としての性格が明確化された。同時に専任職員の配属や施設の拡充なども行われ、名実ともに充実した研究活動が開始された。また、この年から各教員が研究課題を提供し、懇談する「集談会」を開催し、『研究所だより』を16号で最終号として新たに改編の上、年度末に『総合文化研究所報告』第1号を発行し、研究所員の研究活動内容を従来よりも詳細に紹介した。1984年3月31日には、『同志社女子大学学術研究年報』に加えて『同志社女子大学総合文化研究所紀要』が創刊され、学際的な個人研究や「研究プロジェクト」の研究成果などが掲載された。
本研究所の意義について、当時の大橋寿美子研究所長は「『文化を学際的に研究する』というこの困難な道こそ、過度に専門化し個別化する現代にあってリベラルアーツを標榜する本学にふさわしく、広い視野と豊かな稔りを期待できる道ではなかろうか」(『しばぐさ』26)と述べている。

  • 総合文化研究所ニュース第1号 (1984年7月2日発行)
    5-48 総合文化研究所ニュース第1号
    (1984年7月2日発行)

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英文学会・家政学会の設立

1967(昭和42)年1月1日に同志社女子大学英文学会、同年3月1日に同志社女子大学家政学会が相ついで発足した。いずれも各学部に所属する専任教員、在学生、大学院生、卒業生が正会員となっている。
英文学会の岡野久二初代会長は、「学会設立によって教員、卒業生、在学生が共に英語・英文学の研究を行い、英文学科の未来への前進態勢を整えたことになる」とその設立の意図について述べている(Halcyon 9)。
英文学会では主目的である「英語・英米文学の研究と会員相互の交流、親睦」を達成するため、大会、英語・英文学夏期公開講座(英文学科と共催)、在学生および卒業生対象セミナー、講演会の開催、機関誌や名簿の発行、奨学金の給付、Talking in Englishなどの活動を行っている。
学術研究誌であるAsphodel は、英文学会発足年度の1968年3月15日に創刊した。Asphodel は越智文雄教授の命名で、古来,文学で水仙を意味し、楽園の野に咲き乱れる「不凋花」として詩人たちにうたわれてきたことに由来する。
会報Halcyon は、1963年1月に英文学研究室から第1号が発行され、「英語・英文学研究に関する啓蒙的エッセイを掲載し、学生の向学心を高め、ひいては教師、学生間の関係を親密にしたい」(児玉実英「創刊の言葉」)との願いから発行され、1967年に第10号から英文学会に引き継がれた。Halcyon も越智文雄教授の命名で、ギリシャ神話の中の鳥アルキュオーネ(かわせみの一種)のギリシャ名を訛って英語でHalcyon と呼び、爾来「平和」「女性」「創造」「生命の育成」などの象徴としてヨーロッパの多くの詩歌にうたわれ、「平和と育成の鳥」の意味で用いられた。
一方、家政学会の設立の趣旨は「家政学部学生、卒業生、教職員が一体となってお互いの連絡を密にし、家政学に関する研究ならびに知識の向上に努め、併せて親睦をはかる」(家政学会初代会長別所秀子「趣意書」)というものであった。活動は機関誌の発行、大会、講演会、研究会、見学会の開催、名簿の発行、奨学金の給付などが行われている。機関誌としては、1968年9月12日に会報『家政学だより』の見本号、同年11月16日に第1号が刊行された。いずれもザラ紙に手書きの謄写版刷りで、第8号から洋紙になり、1977年第11号からは活版印刷となった。また、同年6月から『家政学だより』のほかに卒業生に向けて送った『家政学通信』ハガキ版(第1号)を経て、現在の『生活科学通信』に引き継がれている。
会報には大会や講演会・研究会・見学会の予告や記録などが掲載され、会員への諸事業の周知徹底をはかるとともに、会員を結ぶ重要なメディアとして機能した。当初の『家政学だより』の編集は主として学生委員があたっており、手づくりの会報からは学会発足に関わった人びとの学会育成にかける当時の熱意が伝わってくる。
また、家政学会発足年度から学術研究誌として『同志社家政』を刊行し、大会講演要旨や学会員の研究成果、さらに早い時期には随筆などを掲載した。その後は純然たる学術研究誌として研究活動の推進を目指すものとなった。1998(平成10)年度には、家政学部から生活科学部への学部名称変更に伴って、学会名を同志社女子大学生活科学会に改称し、第32号から誌名を『同志社女子大学生活科学』に変更した。

  • 総合文化研究所集談会の案内 (同研究所ニュース臨時号 1992年2月18日発行)
    5-49 総合文化研究所集談会の案内 (同研究所ニュース臨時号 1992年2月18日発行)
  • 1989年度特別講演会案内
    5-50 1989年度特別講演会案内
  • 研究所フォーラム・公開講演会・文化講演会案内 (同研究所ニュース第31号 1988年11月2日発行)
    5-51 研究所フォーラム・公開講演会・文化講演会案内 (同研究所ニュース第31号 1988年11月2日発行)
  • 研究所発行の出版物
    5-52 研究所発行の出版物
  • 家政学会第1回大会受付 1967年7月9日(楽真館)
    5-53 家政学会第1回大会受付 1967年7月9日(楽真館)
  • 家政学会第1回大会学術講演 米田雅彦博士(武田薬品工業株式会社)。当日、永井秀夫教授の講演も行われた
    5-54 家政学会第1回大会学術講演 米田雅彦博士(武田薬品工業株式会社)。当日、永井秀夫教授の講演も行われた
  • 英文学会第1回大会学術講演 尾崎寔講師 栄光館(1967年11月11日)
    5-55 英文学会第1回大会学術講演 尾崎寔講師 栄光館(1967年11月11日)
  • 英文学会第1回大会学術講演 瀧山徳三名誉教授
    5-56 英文学会第1回大会学術講演 瀧山徳三名誉教授

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音楽学科頌啓会の発足

1973(昭和48)年、中瀬古和教授の追悼演奏会を行うにあたり、当時の越智文雄学長から「音楽学科の卒業生の会をつくり、今後音楽学科の学生、教員と共同して活動しては」との発案を受け、翌年の1974年3月31日に頌啓会が発会した。その7年前に音楽学科の頌啓館が建てられたこともあり、記念すべき「頌啓」の名称が同窓会の名前として選ばれた。女子大学第1回の卒業生が巣立って20年を経ての同窓会誕生であった。
活動内容は、新人の紹介、研究、会員名簿の発行、会員の演奏活動の援助として常に大学と連絡をとり、会員が音楽の研究を生涯続けられるようにすることである。頌啓会第1回演奏会は、1975年6月28日に同志社創立百周年記念として音楽学科卒業生により栄光館で開かれた。また、会員の演奏会の案内、研究会を告示した『頌啓会だより』を1982年に創刊し、その後第17号にて終刊し、『音楽学会《頌啓会》だより』に継承された。

  • 頌啓会第1回演奏会プログラム  1975年6月28日 栄光館
    5-57 頌啓会第1回演奏会プログラム
    1975年6月28日 栄光館
  • 演奏曲目 同プログラム
    5-58 演奏曲目 同プログラム
  • 各学会の会報 生活科学会通信、家政学だより、Halcyon 、頌啓会だより、日本語日本文学会會報
    5-59 各学会の会報 生活科学会通信、家政学だより、Halcyon 、頌啓会だより、日本語日本文学会會報
  • 各学会発行の学術研究誌 同志社家政、同志社女子大学生活科学、同志社女子大学日本語日本文学、ASPHODEL
    5-60 各学会発行の学術研究誌 同志社家政、同志社女子大学生活科学、同志社女子大学日本語日本文学、ASPHODEL



記念写真誌 同志社女子大学125年