知の広がりとしてここで取り上げるのは、同志社女子大学が海外の協定大学を通じて行っているさまざまな国際交流活動、国内の諸大学を連携させ学生の多様な学びの機会を提供する大学コンソーシアム京都や単位互換制度、情報システムと広報活動の活性化である。本学におけるこれらの発展経過は、1980年代、1990年代日本の教育界のテーマであった国際化、情報化、そして大学設置基準の大綱化がもたらした大学間のボーダレス化にも呼応するものであった。


国際交流活動──1980年から1999年までのプログラム

同志社女子大学の国際交流の原点は、創始者、新島襄の海外渡航にさかのぼるが、第1章でふれたように、ウーマンズ・ボードの日本伝道によりアメリカの女性や子供たちによって寄贈された校舎によって開学が可能となった女学校は設立当初から国際性をもっていた。さらにその国際性は、アメリカン・ボードやその他の団体から送られてくる宣教師や教師、そしてアメリカに留学し帰国後教壇に立つ卒業生が他の教職員や学生と交わるなかで、さらに培われていった。その間には、戦中・戦後の国際情勢を超えた次元での純粋な人間同士の交流の基本が存在した。しかしながら、在学生が本格的に短期・長期の留学プログラムを通じて交流を始めるにあたってはさらに長い年月を必要とした。
同志社女子大学全学生を対象とした海外夏期研修は1980年の夏に始まり、過去20年の間に同志社女子大学の国際交流は質量ともに飛躍的な発展を遂げた。1999年では、アメリカ合衆国6大学、カナダ1大学、イギリス3大学、ニュージーランド1大学、オーストラリア1大学、中国1大学、韓国1大学、合計14大学と交流協定を結び、これまでに、141名の長期留学生(1年間の留学)を、また累計62の夏期研修プログラムを通じて二千人近い学生を海外に送り出してきた。
協定内容の種類は、学生交流、教員交流、学術情報交流を包括する学術交流協定や、学生派遣のみの協定、教員交流のみの協定等がある。ここでは、本学の国際交流の要である学生交流の歴史を中心に振り返ってみることにする。
冒頭で述べた本学最初の海外夏期研修が本格的に検討されだしたのは1979年からである。本学の学生を送るにふさわしい女子大学として、スミス・カレッジ(Smith College)やメアリー・ボールドウィン・カレッジ(Mary Baldwin College/MBC)をはじめとする5大学が候補にのぼり、現地調査と交渉の結果、ヴァージニア州にある1842年設立の由緒あるリベラルアーツの女子大学メアリー・ボールドウィン・カレッジが選ばれた。1980年から始まったこの夏期研修では恵まれた環境と良好な治安状態のもとで言語と文化の授業を中心に受け、アメリカ文化体験を目的としている。1984年からこのプログラムは単位認定されている。また協定大学間相互の交流をはかるためメアリー・ボールドウィン・カレッジの学生のためのMBC京都プログラムが1983年より隔年に1989年まで4回実施された。本学としては初めての交換留学生受け入れとなった1983年のMBC京都プログラムは、6名と小規模であったが、講義、見学、小旅行などが行われ同窓会や保護者からも協力を得て無事終了し、のちのジャパニーズ・スタディーズ・プログラム(Japanese Studies Program/JSP)へと発展する実績づくりの第一歩となった。
同志社女子大学短期大学部が設立された翌年の1987年に短期大学部生対象の夏期研修プログラムがイギリス、ケンブリッジのウルフソン・カレッジ(Wolfson College)においてベル・スクール主催で始まった。1989年度からは、研修先をイギリス、コヴェントリー市にあるウォーリック大学(University of Warwick)に変更した。
また1987年には、海外長期留学制度が新設された。この制度により四年制学部の場合は留学中に取得した単位の認定も受け学費を二重に納めることなく休学せずに留学することが可能となった。1988年5月、スミス・カレッジへ2名、メアリー・ボールドウィン・カレッジへは3名、さらに同志社女子大学短期大学部の第1期卒業生5名がメアリー・ボールドウィン・カレッジへ3年編入した。
1989年を皮切りに、とくに1990年代の半ばに留学先の各大学と協定を結び交流の充実が図られた。最初の協定大学は本学ともっとも交流の歴史が長いアメリカのメアリー・ボールドウイン・カレッジで、学生交流、交換教授、学術情報交流を包む国際学術交流協定が1989年に締結された。

研修プログラムの内容を音楽学科の学生を対象にしたものとして、ヨーロッパ各地の音楽にゆかりのある場所を訪問する音楽プログラムが1990年に始まった。毎回研修テーマを設定して旅程を組むこのプログラムは、西洋音楽が培われたヨーロッパの歴史や風土にふれ本場での名演奏に接して音体験をする充実したプログラムとなっている。2年に1回の割合でこれまでに5回実施されている。
1992年には、国際交流の高まりを受けて、学内において各プログラムを統括する国際交流センター(竹村憲一所長)が発足した。また学生の要望に応えるため研修先の拡大が図られた。それまで学芸学部、家政学部対象の研修先はアメリカだけであったが、アメリカ、フェアフィールド大学(Fairfield University)およびイギリス、ランカスター大学(Lancaster University)の2大学で行われるようになった。また、短期大学部学生対象の研修先は、イギリス、ウォーリック大学だけでなく、アメリカ、メアリー・ボールドウィン・カレッジも加えられた。その後1998年度まで毎年米国と英国だけに限っていえば4種類の夏期研修プログラムが実施された。
国際交流センターが発足した1992年、協定大学と同志社女子大学相互の交流を促進するために、ジャパニーズ・スタディーズ・プログラムが設けられた。このプログラムでは、各協定大学から学生が来日し、本学において約3か月間日本文化と日本語の授業を受けている。日本文化の授業にも日本語の授業にも本学の学生がクラスメイトあるいはティーチング・アシスタントとして参加し、両国の学生同士が刺激しあいながら異文化理解を深めるよう配慮されている。JSPは1989年まで続けられたMBC京都プログラムの後身である。1999年までの参加者の累計は約60名で、参加国はアメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアである。
国際交流協定締結に関してはとくに1990年代半ばに集中したと前述したが、具体的には下記のように進められた。1993年にアメリカのスウィート・ブライアー・カレッジ(Sweet Briar College)と学生交流を促進するための国際交流協定を結んだ。 スウィート・ブライアー・カレッジはヴァージニア州に位置し、1901年に創立されたリベラルアーツの女子大学である。同年に、その4年前から短期大学部学生の夏期研修派遣先となっていたイギリスのウォーリック大学と留学生特別プログラムを充実させるため、国際交流協定を締結した。また同じく1994年末にはアメリカのウェルズ・カレッジ(Wells College)と学生交流促進のための国際交流協定を結んだ。ウェルズ・カレッジは1868年に創立されたニューヨーク州北西部のリベラルアーツの女子大学である。
続いて1995年、カナダのヴィクトリア大学(University of Victoria)、ならびにその3年前より学芸学部、家政学部学生の夏期研修先となっていたイギリスのランカスター大学と、学生交流、交換教授、学術情報交流を包む国際学術交流協定が結ばれた。同年、アメリカのチャタム・カレッジ(Chatham College)と学生交流の充実をはかるため国際交流協定を結んだ。
女子大学創設の経緯からして、北米を中心とする英語圏に交流が片寄ることはやむを得なかったとしても、多極化する国際情勢の中で本学の交流先を多角化することは懸案となっていた。1995年は、従来の北米と英国だけでなく、アジア・オセアニア地域にも交流が広がった年であった。中国においては、短期大学部学生を対象とした夏期研修プログラムが北京大学で始まった。またニュージーランドにおいて、全学共通の夏期研修プログラムがクライストチャーチ・カレッジ(Christchurch College of English Language)でスタートした。1995年には国際交流協定締結先としてニュージーランドのワイカト大学(University of Waikato)とイギリス、ロンドン大学のロイヤル・ハロウェイ(Royal Holloway, University of London)が加わり、1997年にはオーストラリアのグリフィス大学(Griffith University)が追加された。
続いて1997年に中国の北京大学外国語学院日本語学部ならびに韓国のソウル女子大学と学術協定を結ぶことによって長年の夢であったアジア近隣諸国との交流が始まった。ソウル女子大学とは1998年より短期交換留学生プログラムを実施し、同年6月にソウル女子大学から第1回短期交換留学生を10名受け入れ、9月には本学よりソウル女子大学へ10名の学生が派遣された。
若干名ではあるが1990年度より私費外国人留学生のために別枠の入学試験制度を導入し、1999年度までに20名の私費外国人留学生が本学に在籍している。その他、最近の日本語教師志望者の増加に伴い、1996年より本学卒業生をオーストラリアのヴィクトリア州公立学校に日本語指導のアシスタントとして1年間派遣するプログラムを実施し、1999年までに計24名を派遣した。また1999年よりイギリスの協定校ロンドン大学ロイヤル・ハロウェイで日本語教師養成コースの受講およびキャンパス周辺の小学校における日本語教育実習プログラム参加への機会を与えている。

  • 第2回短期大学夏期研修 ケンブリッジ・ウルフソン・カレッジ(1988年)
    6-78 第2回短期大学夏期研修 ケンブリッジ・ウルフソン・カレッジ(1988年)
  • 本学と交流の歴史が最も長い協定校 メアリー・ボールドウィン・カレッジ(MBC)
    6-79 本学と交流の歴史が最も長い協定校
    メアリー・ボールドウィン・カレッジ(MBC)
  • 第1回夏期研修MBCにて(1980年)
    6-80 第1回夏期研修MBCにて(1980年)
  • フェアフィールド大学での夏期研修(1998年)
    6-81 フェアフィールド大学での夏期研修(1998年)
  • JSPのフィールド・トリップ(1992年)
    6-82 JSPのフィールド・トリップ(1992年)
  • JSP(1998年)
    6-83 JSP(1998年)
  • フェアフィールド大学のフェアウェルパーティー(1998年)
    6-84 フェアフィールド大学のフェアウェルパーティー(1998年)
  • JSPのパンフレット
    6-85 JSPのパンフレット
  • 国際交流プログラムのパンフレット
    6-86 国際交流プログラムのパンフレット
  • 海外夏期研修音楽プログラム 「バッハの足跡をたどる」(1996年)
    6-87 海外夏期研修音楽プログラム
    「バッハの足跡をたどる」(1996年)
  • ランカスター大学でのジャパンナイト(1997年)
    6-88 ランカスター大学でのジャパンナイト(1997年)
  • ウォーリック大学でのジャパンナイト
    6-89 ウォーリック大学でのジャパンナイト
  • ランカスター大学 夏期研修修了証を手にして(1998年)
    6-90 ランカスター大学 夏期研修修了証を手にして(1998年)
  • ホストファミリーとともに ウォーリック大学(1997年)
    6-91 ホストファミリーとともに ウォーリック大学(1997年)
  • ランカスター大学教室(1998年)
    6-92 ランカスター大学教室(1998年)
  • 北京大学外国語学院日本語学部との学術交流協定書調印式(1997年)
    6-93 北京大学外国語学院日本語学部との学術交流協定書調印式(1997年)
  • オーストラリア、ヴィクトリア州日本語教師アシスタント授業(1997年)
    6-94 オーストラリア、ヴィクトリア州日本語教師アシスタント授業(1997年)

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名誉学位の贈呈

国際社会、学問、芸術において顕著な貢献をした人物を顕彰するものとして、1997年7月、初の名誉学位贈呈式を行い、E. L. ヒバードと高凰京両氏にそれぞれ同志社女子大学名誉文化博士号を贈呈した。ヒバードは、女子大学初代学長として、高凰京(1928年女専英文科卒、1931年同志社大学法学部卒)はソウル女子大学初代学長として、女子教育に功績を残している。1999年4月には、本学協定校のチャタム大学の学長、エスター・バラゾーネ(Esther L. Barazzone)に名誉文化博士号を贈った。式典後、引き続き第25回新島講座において初めての女性講師として現代の女子教育について講演を行った。同年11月には、ガールスカウトの育成者であり世界メソジスト女性連盟名誉会長、「生と死を考える会」会長の金玉羅(1945年女専英文科卒)に名誉文化博士号を贈呈した。

  • 夏期研修ニュージーランド・プログラム(1996年)
    6-95 夏期研修ニュージーランド・プログラム(1996年)
  • 夏期研修中国プログラム 初のアジアプログラム(1995年)
    6-96 夏期研修中国プログラム 初のアジアプログラム(1995年)
  • 第1回ソウル女子大学短期交換留学生受け入れ(1998年)
    6-97 第1回ソウル女子大学短期交換留学生受け入れ(1998年)
  • 本学からソウル女子大学への派遣(1998年)
    6-98 本学からソウル女子大学への派遣(1998年)
  • 大橋寿美子 第10代学長(1998-2001)
    6-99 大橋寿美子 第10代学長
    (1998-2001)

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大学間の連携──ボーダレス化の流れのなかで

大学設置基準の大綱化により、科目区分の見直し、シラバスの作成、セメスター制の導入、単位認定の弾力化といった自由化、柔軟化へと制度や枠組の改訂が進んだ。大綱化によるこれらの改訂は学部学科間、大学間、昼夜開講による社会人と学生の間などさまざまなボーダレス化を引き起こした。
単位互換の制度に京都府下の大学で取り組んだのが、1994年に発足した「京都・大学センター」(のちに「大学コンソーシアム京都」に改称)である。本学も発足の年に大学コンソーシアム京都に加盟し、この年に初めて男子受講生を受け入れた。単位互換制度により、他大学の科目を他大学で履修することが可能になり、それが所属大学の単位として認定されるようになった。学生の幅広い興味と関心に応じて、文化、芸術、政治経済、自然科学などほぼ全学問分野にわたる科目が提供されている。1999年度では、京都地域を中心に37の大学・短期大学が単位互換制度に参加しており、開講科目209のうち本学からは8科目提供した。本学からの履修者は年々増え、1999年度は全加盟校からの履修者数6,101名のうち552名が本学からの履修者であった。
1997年には学芸学部・生活科学部の2年次生以上を対象に同志社大学との単位互換制度が開始された。修得した単位は、卒業に必要な単位に算入される。同志社間の単位互換は大学コンソーシアム京都に対してよりはるかに多くの科目数が提供されており、1999年度、同志社大学からは526科目、同志社女子大学からは107科目が提供された。同年度、同志社大学からは69名、本学からは541名の履修者があった。
1998年よりフェリス女学院大学との学生交流に関する協定を締結し、相互に学生の派遣および受け入れを始めた。フェリス女学院大学は横浜にあり1870年創立の日本最初の女学校である。文学部、国際交流学部、音楽学部をもつフェリス女学院大学へは本学より1年間学生を派遣し、98年度および99年度の2年間で4名を派遣した。フェリス女学院大学からは半年ずつ計8名が本学で学ぶ機会を得た。いわば国内留学ともいえるこの制度は海外留学のように、母校とは異なる環境、学科科目、学生気質、課外活動のあり方を通して、自己を見いだしたり、2大学にわたって大学生活を体験する貴重な機会を提供している。

  • 大学審議会答申の骨子 朝日新聞(1991年5月18日)
    6-100 大学審議会答申の骨子 朝日新聞(1991年5月18日)
  • 第1回名誉学位受賞者 同志社女子大学初代学長 エスター・ヒバード
    6-101 第1回名誉学位受賞者
    同志社女子大学初代学長
    エスター・ヒバード
  • 教育目的 1967年度大学入学案内
    6-102 第1回名誉学位受賞者
    ソウル女子大学初代学長高凰京
  • 代理受賞者のソウル女子大学尹学長から直接名誉学位を受け取る高凰京 ソウル女子大学にて(1997年)
    6-103 代理受賞者のソウル女子大学尹学長から直接名誉学位を受け取る高凰京
    ソウル女子大学にて(1997年)
  • チャタム大学学長、エスター・バラゾーネ 名誉学位贈呈式後、第25回新島講座で初の女性講演者となる(1999年)
    6-104 チャタム大学学長、エスター・バラゾーネ
    名誉学位贈呈式後、第25回新島講座で初の女性講演者となる(1999年)
  • 第3回名誉学位受賞者金玉羅 両隣はお祝いにかけつけた3人のご子息(1999年)
    6-105 第3回名誉学位受賞者金玉羅
    両隣はお祝いにかけつけた3人のご子息(1999年)

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情報化社会に向けて──ネットワークの拡大

これまで述べたような大学間の連携と、情報ネットワークの広がりに伴い、本学の図書・情報ネットワークもさまざまな発展を遂げている。1986年の田辺キャンパス開学と同時に、学内の情報・メディアを統括するAVセンターを開設した。これを契機に、AVライブラリーの設備充実をはかり、ベータ、VHSおよびLD対応のビデオブース24基、語学反復学習用のオーディオブース21基、さらに音楽鑑賞用のブース8基が設置された。翌年には、さらに多様な視聴覚ソフトが活用できるよう増設改善が試みられた。1988年度には、田辺学舎の2期工事の完成の一環として語学学習用の設備としてAV教室3教室が設置され、当時の視聴覚教育設備としては最先端の機能を備えていた。また、1987年に開設された今出川キャンパスの情報処理室に加え、田辺キャンパスでは、学生の自習室を含む四つの情報処理室の整備が順次すすんだ。1999年度両キャンパスには情報処理室が7室設けられている。
また田辺図書館が1990年に、その2年後にはAVセンターが新たに図書・情報センターとして設立され、資料サービスの提供や情報化社会に対応するための企画がなされた。その一環として94年度、図書館システムのコンピュータ化と情報ネットワーク構築の検討が始まった。1995年、同志社大学と女子大学間に情報ネットワーク用光ケーブルを敷設し、同志社大学学術情報ネットワークを経由する本学の情報ネットワークが構築された。1996年10月からネットワークの運用が始まり、利用希望者は多数にのぼり翌年6月の時点で2,945名にユーザーIDを交付した。1999年10月現在では学生の約85パーセントにのぼる4,457人がユーザー登録をしている。1998年には、情報処理教室機器すべてにインターネット・ブラウザソフトが搭載された。1999年度は、学術情報ネットワーク・アクセスの性能改善をはかるため、今出川、田辺両キャンパスに、プロキシーサーバーを設置したほか、情報処理室のネットワークサーバー増強と教室内LAN通信機器の増強が行われた。学生のネットワーク利用の増大に伴い、今後さらに情報処理室を増設し、一般教室でのネットワーク利用、メールサーバー性能向上、ネットワーク・セキュリティーの向上、インターネットへの高速な回線確保等を盛り込んだ学内ネットワークの再構築が計画されている。
1996年には同志社女子大学のインターネット・ホームページが開設され、1997年からは図書館蔵書のオンライン目録検索が可能になった。このDOORSと呼ばれる検索システムによって、同志社大学と同志社女子大学の蔵書の検索がスピーディーにできるようになった。両大学図書館の相互協力をさらに推進するものとして、1998年10月から従来の図書貸借に加えて、館内閲覧ができる相互利用が始まった。また1993年からはライブラリーニュースCarillon (『かりよん』)を発行し年4回図書関係の情報普及につとめる一方、99年3月には、図書館ホームページを開設しCarillon (『かりよん』)の記事や会館日程等を見ることができる。入試・広報課では1996年から年4回卒業生に向けて母校の情報提供機能をもつ総合情報誌としてVine (『ヴァイン』)(同志社女子大学通信)を発行している。

  • 大学入学案内
    6-106 知徳館AVセンタースタジオ(1990年)
  • ジェームズ館前芝生 (1941年夏)
    6-107 Carillon (『かりよん』)第1号(上)と第23号(下)
  • 教育目的 1967年度大学入学案内
    6-108 知徳館AVセンター調整室(1991年)
  • 情報処理室授業(1995年)
    6-109 情報処理室授業(1995年)
  • AVライブラリー
    6-110 AVライブラリー
  • 1996年 Vine (『ヴァイン』)創刊
    6-111 1996年 Vine (『ヴァイン』)創刊
  • 同志社女子大学エンブレム 1999年11月20日制定 EGO SUM VITIS VERA (わたしはまことのぶどうの木)
    同志社女子大学エンブレム 1999年11月20日制定 EGO SUM VITIS VERA (わたしはまことのぶどうの木)
  • 新島記念講堂ロビー「牧者」
    新島記念講堂ロビー「牧者」


記念写真誌 同志社女子大学125年