あの日あの時

同志社女子大学の歴史の中で起こったさまざまな出来事をとりあげ、紹介するとともに、その意味や、現在に及ぼしている影響について考察していきます。

第7回 1949年4月1日 新制同志社女子大学開学

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1947年の学制改革により、戦前の高等教育機関が四年制の新制大学として再編成された。この時点で同志社女子専門学校の選択は他の女子専門学校ほど容易ではなかった。なぜなら、同じ学園同志社の中には、時代に先駆けて女子の入学を認めていた同志社大学があり、それが総合大学として共学制を採用することは当然のことであったからである。結局、同志社女子専門学校は同志社大学とは違った特徴を持つ女子大学として存続する道を選択した。E. L. ヒバード(Esther Lowell Hibbard, 1903-1999  のち初代学長)を中心に「女子大学設置準備委員会」が構成され,特色ある女子大学のさまざまな可能性が探された。幸い、当時の湯浅八郎総長は、長い間アメリカ生活を経験し、アメリカにおける女子大学の存在理由およびアメリカ人の心情に通暁した人物であったので、この構想に最大限の理解をよせ、支持した。 1949年2月17日制定の『同志社女子大学学則』第3条(本学の性格)に、「本学の性格は、リベラル・アーツ(Liberal Arts)の大学として規定する」とうたう同志社女子大学(学芸学部)は、こうして1949(昭和24)年4月開校された。

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