7月2日は「半夏生(はんげしょう)」

2021/06/25

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

「夏至」(6月21日)については、既に『古典歳時記』(角川選書)に書いておきました。その「夏至」から数えて11日目を何というか知っていますか。その日は72候の1つで、「半夏生」とされています。太陽の黄経がちょうど100度になった日ということで、だいたい7月1日か2日になります。昨年(2020年)は1日でしたが、今年は2日が「半夏生」の日です。

せっかくなので「半夏生」について調べてみたところ、やっかいな問題があることがわかりました。というのも、「半夏生」という名の由来になっている植物が、なんと2つもあったからです。おそらくみなさんがよく知っているのは、「半夏生」という名のドクダミ科の植物ではないでしょうか。

ちょうど7月頃に、目立たない白い花穂が出て地味な花を咲かせます。もっとも目立つのは、花ではなく葉っぱの方です。なんとその時期だけ緑だった葉が白色に変化するからです。これは葉緑素が抜けて白くなるのだそうです。そのため「三白草(さんぱくそう)」とか「片白草(かたしろくさ)」とも称されています。ただし白くなるのは茎の先端近くの葉三枚程度で、すべての葉が白くなるわけではありません。何故白くなるのかというと、虫媒に必要な虫を誘うために、目立たない花の代わりに葉を白くして目立たせているそうです。虫ならぬ人間も、その白さに目を奪われるというわけです。

これで決まりのようにも思えますが、これとは別に「カラスビシャク(烏柄杓)」という植物があります。むしろこちらの方が有力なのです。ただし「カラスビシャク」は葉が白くならないので、ほとんど視覚的には注目されていません。「カラスビシャク」の花も目立たないものです。その形が柄杓に似ているところから、役に立たない柄杓という意味で「カラスビシャク」と命名されたそうです。

このサトイモ科の「カラスビシャク」の球茎は、漢方薬として古来有名でした。既に平安時代の資料に、まさに「半夏」という名でしばしば登場しています。たとえば『本草和名』(918年頃成立)には「半夏、和名保曾久美(ほそくみ)」とあるし、『色葉字類抄』(1180年頃)にも「半夏ハンケホソクミ」と出ています。おそらくは中国原産で、漢方薬(生薬)として日本に持ち込まれ、それが全国に広がったのでしょう(外来植物)。

また「半夏」は、「夏至」の後に開花する習性が、農耕の目印ともされてきました。というか、「半夏」が咲く前に田植えを済ませる合図として活用されたのです。「半夏」は薬草としてだけでなく、農耕にも有用だったのです。それに対してドクダミ科の「半夏生」の方は、江戸時代以降の用例しか見当たりません。ただし「かたしろぐさ」という古名であれば、やはり『本草和名』に「三白草和名加多之呂久佐」と出ていました。

要するに平安時代に「半夏」と称されていたのは、間違いなく「カラスビシャク」の方だったのです。もともと「半夏生」の起源は、夏の半ばに「半夏」が「生じる」(半夏生ず)ですから、由来からしても「カラスビシャク」の方が72候の「半夏生」にはふさわしいといえそうです。

ところがたまたま同じ時期に開花する「半夏生」の方が見栄えがよく、葉が白くなったところが半分化粧しているように見えることで、「半化粧」とも称されるようになりました。「化粧」は「けさう・けそう」とも発音します。そのため「半夏草」と呼ばれるようになったことで、いつしか地味な「カラスビシャク」を駆逐し、「半夏生」としての地位を奪い取っていったのではないでしょうか(現代では生け花にも用いられているようです)。

それに対して「カラスビシャク」は、今では薬草というより雑草に分類されています。「セイタカアワダチソウ」とともに、逞しく根がはびこって駆除に苦労するやっかいものとされているのです。そのため「百姓泣かせ」とも称されて、農家では嫌われているようです。ということで、「半夏生」をめぐる混乱は今でも続いており、解説などでも取り違えているものが少なくありません。「半夏生」にはこんな秘話があったのです。

※所属・役職は掲載時のものです。