6月2日は「カレー記念日」

2020/05/22

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

最近は何にでも記念日があるようです。今回は日本人が大好きな「カレー記念日」について調べてみました。すると早速やっかいな問題が浮上してきたのです。それは何かというと、記念日が二つもあることでした。

一つは1月22日のカレーライスの日で、これは全国学校栄養士協議会が制定したものです。その理由は、1982年1月22日の給食に全国の小中学校で一斉にカレーが出されたことによるそうです。かなり新しい記念日ということになります。ただし必ずしもその日のメニューがカレーに統一されているわけではないとのことなので、この日の効力は案外低いようです。

もう一つは横浜カレーミュージアムが、6月2日をカレー記念日に制定しています。これは1859年の6月2日に横浜港が開港したことによります。必ずしもその日にカレーが日本にもたらされたわけではないのですが、開港記念日に便乗することで、こちらの方が広く知られています。みなさんはどちらを支持しますか。

ところで昔から繰り返し議論されているのは、カレーライスとライスカレーはどちらが正しい名称なのかということでした。これは年配者と若者で意見が違うともいわれています。というのも、昔は普通にライスカレーといっていました。それが徐々にカレーライスに変わっていったからです(間違いということではありません)。

そこで呼び名の違いに意味の違いが要請されました。私が教わったのは、ご飯の上にカレーがかかっているのがライスカレーで、ライスとカレーが別々になっているのがカレーライスという説明でした(カレー・アンド・ライス)。この場合、一皿に収まっているライスカレーの方が一般的というか庶民的で、別々になっている方がリッチというか高級感があるように感じています。

そのことは近代文学をひもといても確認できます。夏目漱石の『三四郎』や『明暗』にはライスカレーとして出ています。田山花袋の『丘の上の家抄』も同様にライスカレーでした。太宰治の『食通』や『正義と微笑』もそうですし、薄田泣菫の『茶話』もライスカレーでした。近代文学のほとんどはライスカレーのようです。探してみてください。

そもそもカレーのルーツはインドでした。タミール語で汁のことを「カリー」と称するそうです。それが日本にやってきて「カレー」になったというわけです。これはご飯に汁を掛けた料理(丼もの)の一種ですから、日本人にも受け入れられやすかったのでしょう。カレーをかけたライスということでは、カレードライスとも称されています。

では誰によって日本にもたらされたのでしょうか。残念ながらはっきりしたことはわかっていません。「少年よ大志を抱け」で有名な札幌農学校のクラーク博士が、寮則の中に「らいすかれい」と記しています。それよりもっと早く、明治6年の陸軍幼年生徒隊の食堂のメニューにライスカレーとあったともいわれています。

どうもカレーは軍隊と深くかかわっているようです。横浜開港説というのも、イギリス海軍の船員たちが食べていたカレーが日本に紹介されたといわれています。もしそうなら、インド料理が西洋料理(イギリス料理)となっているのも頷けますね。またそれが海軍カレーの原点としても通用しそうですね。

現在のところカレーという言葉の初出は、福沢諭吉の『増訂華英通語』(1860年刊)とされています。ただし発音は「コルリ」なので、これを見てもなかなかカレーは想像しにくいようです。その後、明治5年刊の『西洋料理指南』や『西洋料理通』の中に、はっきりカレーの作り方が記されており、これによってカレーのレシピが日本に紹介されたことになります。その本によると、当時は単純にカレー粉と小麦粉(とろみ)で作っていたようです。

もっとも今日のカレーはかなり改良が加えられてきました。笑い話にもなっているのですが、インドの人が日本でカレーを食べて、これおいしいね、何という料理ですかと尋ねたそうです。要するに本場のインドカレーとは似ても似つかぬ料理に変容しているのです。既にインドでジャパニーズ・カレーライスとして食べられているそうです。その意味では、今日のカレーはインド料理でも西洋料理でもなく、独自の日本料理(国民食)になっているといえます。

 

 

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