3月27日は「桜の日」
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
みなさんは「日本さくらの会」を知っていますか。その会で「桜の日」を制定することになりました。当然、桜が美しく咲いている時期ということで、3月下旬が候補日になります。もっと詳しくいうと、24節季の「春分」を3分割した72候の次候に、「桜始開」があるので、この期間が第一候補になります。令和2年は3月25日から29日までです。
その5日間のどの日がふさわしいのでしょうか。そこでいつもの言語遊戯のお出ましになります。「さくら」の有力な語源説として、ずばり「咲く」ものとされています。そこで「さく」を数字の3と9に置き換え、それを掛けると27になりますね。こうして平成4年(1992年)に3月27日が「桜の日」に決定したのです。ずいぶん単純ですよね。
ところが最近の異常気象(暖冬)により、桜の開花時期がかなり早まっています。令和2年も例年より早く、東京など14日に開花宣言が出ました。ということで、肝心の「桜の日」には、とっくに満開を過ぎているという季節感のずれが生じています。
もっとも日本は縦長なので、南と北では開花時期が1ヶ月以上も違っています。東北・北海道の見頃は5月ですよね。また桜自体に早咲きと遅咲きの品種があって、河津桜など1月下旬から咲きはじめています。これでは早すぎます。最近は、イギリスから逆輸入されたオカメ桜も人気です。反対に八重桜は遅咲きで、伊勢大輔によって、
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな(詞花集29番)
と詠まれた奈良八重桜など、ゴールデンウィークが見頃となります。
なお気象庁の開花宣言に使われているのは、ソメイヨシノの標本木ですよね。何しろ明治維新の波に乗って、全国各地の城跡や河川の土手に植えられたことで、全国の桜の八割がソメイヨシノだといわれているほどです。だから気象庁も公平性を考慮して、ソメイヨシノの開花を基準にしたのでしょう。そのためにソメイヨシノの知名度はますます高くなり、桜の代表のような地位を獲得しています。しかしながらソメイヨシノは新しい品種であって、古典文学つまり江戸時代以前には出てきません。ですから『源氏物語』に描かれている桜を、ソメイヨシノで考えてもらっては困るのです。
古典では山桜が主流でした。そのことは本居宣長の名歌、
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
でわかります。その他、桜を詠んだ名歌としてまず、
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集56番素性法師)
があげられます。のどかな春の光景が思い浮かびますね。
それに対して紀友則の、
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(古今集84番)
など、花を愛でるというより落花を惜しむ心が主題になっています。さらに在原業平の詠んだ、
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(古今集53番)
では、いっそのことこの世に桜がなければと、反実仮想を駆使する手法をとっています。
もはや単純に桜を褒めるだけでは飽き足らないようで、小野小町は、
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに(古今集113番)
と、容色の衰えを落花に喩えています。さらに藤原公経になると、
花誘ふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり(新勅撰集1052番)
と、「降る」に「古る」が掛けられることで、嘆老の歌にまでなっています。桜は単なる春の花ではなく、人間の人生にも喩えられる存在になっているのです。
せっかくですから、ただ桜を鑑賞するだけでなく、自分の人生を振り返るいい機会にしてみませんか。それでこそ「桜の日」を制定した意義があると思います。
※所属・役職は掲載時のものです。