2月14日は「バレンタインデー」

2021/02/04

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

キリスト教の行事が日本へ入ってきて、内容が大きく変容した例がいくつかあります。その一つが、前に紹介した「クリスマス」です。今回は「バレンタインデー」について考えてみましょう。

日本の「バレンタインデー」は、最初から宗教色など一切帯びていませんでした。節分の恵方巻とか土用の丑のうなぎと同様、チョコレート会社の仕掛けた売り上げ倍増計画に、若者がまんまとはまってしまった感があります。では宗教的な本来の「バレンタインデー」とは、一体どんなものだったのでしょうか。

その起源は、ローマ帝国の時代まで遡るとされています。もともと2月14日は女神ユーノーの祝日でした。また15日は、豊年祈願のルベルカリア祭の初日でした。当時、若い男女は別々に生活していましたが、祭の前日つまり14日だけは男女の出会いが容認されていたのです。これは日本における江戸時代の盆踊りの習俗と似たようなものです。

それとは別に、ローマ帝国の皇帝クラウディス2世は、兵士の士気が下がるという理由で、兵士の結婚を禁止していました。その折、バレンティヌス司祭は、内緒で兵士の結婚式を行っていたそうです。それが皇帝の知るところとなり、バレンティヌスは2月14日に処刑されました。そこでローマ教会は、殉教したバレンティヌスを記念して、その日を恋人たちの日(バレンタインデー)と定めたというわけです。だいたいこの2説が、起源としてあげられています。

これが日本に上陸したのは、ずっと遅れた第二次世界大戦後でした。もっとも神戸にあるモロゾフによれば、昭和11年の外国人向け英字新聞に、「あなたのバレンタイン(愛しい人)にチョコレートを贈りましょう」という宣伝広告を掲載したとのことです。これはあくまで外国人用ですが、それによってモロゾフは、日本におけるバレンタインチョコの考案者とされました。必然的に神戸こそは日本における「バレンタインデー」発祥の地と認定されています。

次に昭和30年代の森永製菓の広告を見ると、「チョコレートを添えて手紙を贈る日」と記されています。最初はチョコレートが本命ではなく、愛の言葉の方が主体だったのです。当然、対象は夫婦や婚約者であり、10代の未婚の女性は想定外でした。その殻が破られたのは、オイルショック以後だとされています。しかもそこでチョコレートに飛びついたのは、なんと小学校高学年から高校生までの若い生徒層でした。

これによって女子生徒が好きな男子に愛を告白する「本命チョコ」が爆発的に流行しました(ハート型のチョコ)。そこからさらに学校や職場で、「義理チョコ」までもが流行したのです。昔は大学も14日は授業をやっていたので、単位くださいというメッセージつきの義理チョコが飛び交っていました。私もたくさんもらった記憶があります。むしろこちらの方が、チョコレートの売り上げには貢献したのではないでしょうか。

調子に乗ったお菓子業界は、今度はそのお返しとして、1ヵ月後の3月14日を「マシュマロデー」とか「ホワイトデー」と銘打ち、今度は男性をダーゲットとした新企画を展開しています。こちらはクッキー・キャンデー・マシュマロ業界が、「バレンタインデー」の人気に便乗して仕掛けたものでした。

もちろんキリスト教起源ですから、日本だけでなく世界中で「バレンタインデー」は祝われています。ところが日本とは大きく異なる点が3つありました。1つは、日本では女性から男性へ愛の告白として贈られていますが、外国では贈るのが女性に限られてはいません。誰でもお世話になった人や恋人に贈っていいのです。2つ目は、日本ではほぼチョコレートに限定されていますが、外国ではクッキーやケーキや品物など、なんでも好きなものを贈ってよかったのです。

これが日本型「バレンターンデー」と称される所以でしょう。チョコレートメーカーに踊らされているという意味がおわかりになりましたか。そして3つ目は、当然「ホワイトデー」が日本だけのものだということです。外国にそんな習慣はありません。もっとも最近は愛の形が複雑になり、同性間の贈答も増加しているとのことです。またお菓子以外に、お酒やフラワーバレンタインも仕掛けられていますが、当分はチョコレート業界の一人勝ちが続きそうです。

 

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