5月14日は「けん玉」の日!

2018/05/11

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

みなさんは「けん玉」で遊んだことがありますか。従来、けん玉に対する世間の関心は低く、たかがけん玉という一語で片付けられてきました。そのため遊び方はもちろんのこと、その起源・歴史などはほとんど調査されていませんでした。わずかばかりの説明も、けん玉のできない人によって書かれているため、平気で頓珍漢なことが掲載されていたりしました。

特に辞書の説明は孫引きがはなはだしく、天下の『日本国語大辞典』でさえそうなのには悲しくなってしまいました。そこで私なりに資料を集めてけん玉の歴史を調べてみたところ、案外裾野が広いことがわかりました(吉海「けん玉の始原と現在」ふう足1・昭和56年12月)。というのも、世界中にいわゆる「原始的けん玉」が存在していたからです。

カイヨワの『遊びと人間』には、エスキモー(イヌイット)のけん玉(アジャコック)について、演技をしながら、

彼女はまたナイフを持ち、海豹(あざらし)を断ち割り、皮を剥ぎ、内臓を取り、胸を開き、肋骨を抜き、背骨を抜き、骨盤を取り、脚を切り、首を切り、脂肪を取り去り、皮を二つに折り、小便に浸し、陽で乾かす。
 

云々と、獲物解体の手順を物語るとあります。これなど単なる遊びではなく、豊作を祈る儀礼ではないでしょうか。

アメリカインディアンには、リングアンドピンという遊びがあるそうです。またメキシコにはバレロという原始的けん玉がありますが、これはコルテスが征服した後に、スペイン人によって持ち込まれたものかもしれません。そこでヨーロッパを調べると、フランスのビルボケが見つかりました。フレデリック・グランフェルドの『世界のゲーム』によれば、フランス国王アンリー三世が好んで遊んでいたとあります。

ほぼ同様のものが、イギリスではカップアンドボールという名で遊ばれていました。有名なオックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリーには、

柄の先端がカップ状になっている玩具。その柄には、糸によってボールが付けられている。それはボールを投げ上げ、カップ又はもう一方の先端の尖った部分で受けるためである。ゲームもこのようにして行なう。
 

と説明してあります。

日本には文化6年(1809年)刊義浪編『拳会角力図会(けんさらえすまいずえ)』下巻にある「匕玉拳(すくいたまけん)」項に「木酒器玉(こっぶだま)」(ワイングラス風)が図入りで掲載され、

かたき木にてコッフを造り、本に長き紐を付、そのはしに同木にて造りたる玉を結び付、右の木酒器へ彼の玉を五遍のうちに一遍すくひ入るか、又三べんの中に一ぺんすくひ入れるか、いづれにても最初のきはめによりて玉をすくひ込み、勝まけをあらそふ。此拳双方かはるがはるにする事なり。是も酒席に興ありてはなはだ面白き拳なり。
 

と説明されています。また文政13年(1830年)刊喜多村信節(のぶよ)作『喜遊笑覧』巻十上「飲食」には、

安永六、七年の頃、拳玉と云もの出来たり。猪口の形して柄あるものなり。それに糸を付て先に玉を結たり。鹿角にて造る。其玉を投て、猪口の如きものの凹(くぼ)みにうけ、さかしまに返して細きかたにとどむるなり。若(もし)うけ得ざる者に酒を飲しむ。
 

と出ています。これが「拳玉」という言葉の初出例のようです。ただしこれは遊郭における酒席の座興ですから、「狐拳・虫拳」などの仲間でしょう(じゃんけんの一種)。幕末期の柳亭種彦作『明鴉墨画廼裲襠(あけがらすすみえのうちかけ)』第十三編上下の表紙には、拳玉をしている女性の絵が描かれています。

なお江戸時代の日本は鎖国をしていたので、どちらかというとプロテスタント系であるイギリスのカップアンドボールの方が伝来したと考えられます。「木酒器玉」はその直訳と見てよさそうです。

もちろんこれらはすべて原始的けん玉であって、現在のものとは明らかに違います。細長い剣状の棒に鼓状の大皿・小皿が合体して、初めて近代的なけん玉となるからです。それがいつなのか長らくわかりませんでしたが、ついに広島在住の江草濱次さんが「日月ボール」という名称で実用新案として登録されていることが判明しました。その日が大正8年5月14日ということで、5月14日がけん玉の日に認定されたのです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。