京都の「あがる」「さがる」

2018/03/27

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

京都の住所表記を見て、いやに長ったらしいと感じたことはありませんか。古くから京都に住んでいる人はともかく、新しく転居してきた人はまず住所表記を見て驚くはずです。私も同志社女子大学の住所を見てびっくりしました。それは「京都市上京区今出川通寺町西入る玄武町6021」です。

まず何で町名が二つもあるのかと不思議でしたが、上の「寺町」は町名ではなく通り名のことでした。今出川通りと寺町通りの交差したところという意味です。「西入る」はそこからから西に入ったところの玄武町ということです。「東入る」もあります。もともと「玄武」というのは御所の北側という意味です。後で知ったことですが、玄武町には同志社以外にはたった一軒しか家がありません。その一軒とはあの有名な冷泉家でした。

京都は町並みが碁盤の目のようになっていますから、東西だけでは済みません。もう一つ、南北を表す「上る」「下る」もあります。北に行くのが「あがる」で、南に行くのが「さがる」です。では類似している「のぼる」「くだる」とは何が違うのでしょうか。「のぼる」「くだる」は身分差を表すもので、天皇のいらっしゃる内裏に向かうことが「のぼる」あるいは「まいる」で、内裏から退出するのが「さがる」あるいは「まかる」です。たまたま内裏が北にあって、天皇が南を向いていらっしゃったことで、「あがる」と「のぼる」が混同されたのでしょう。

電車の「のぼり」「くだり」にしても、皇居のある東京へ向かうのが「のぼり」で、東京から地方へ向かうのが「くだり」です。すごろくの「あがり」は特別で、江戸時代の東海道五十三次双六は京都(三条大橋)が「あがり」でしたが、明治になると「あがり」が東京(日本橋)になっています。これは都が京都から東京に遷ったからです。

ついでながら右京区・左京区についてはわかりますか。地図の向かって左側が右京区で、右側が左京区になっています。左右が反対なのです。これは古典の教養があれば大丈夫です。右か左かを決めるのは天皇ということで、南面されている天皇から見て右が右京区、左が左京区になるわけです。これは京都ならではの視点ですね。

ところで京都が盆地だということは常識ですよね、東・西・北の三方が小高い山に囲まれていて、南だけが空いています。歴史を太古まで遡らせると、昔は湖だったそうです。その最後の名残が小椋池ですが、それも干拓されてしまいました。ただし京都の冬が寒いのは、「冷気湖」特有の気象現象と分析されています。

ついでながら、京都の東西には北から南に二つの川が流れています。東の川が鴨川で、西の川が桂川です。川は高い方から低い方へ流れますから、これで北が高くて南が低いことがわかります。その高低差が半端ではないのです。

かつて東寺の五重塔のてっぺんは、北大路通りと同じ高さだといわれていました。五重の塔の高さは五十五メートルですから、東寺から北大路通りまでに五十五メートルも上っていることになります。数字を聞いて、本当にそんなに上っているのかと疑問に思いませんか。

そこで標高を調べてみると、東寺はなんと海抜二十三メートルの低さでした。かつて京都が湖の底だったことが納得されます。それに対して北大路堀川は海抜七十七メートルですから、その高低差は五十四メートルになります。これだとほぼ五重塔の高さと等しいですね。京都は南から北に向かってこんなに上っていたのです。

それが自然に京都特有の「あがる」「さがる」を生み出したのではないでしょうか。あまり歩かない現代人にはほとんど感じられませんが、昔の人は京都における南北の標高差を、住所表記に見事に盛り込んでいたのです。

 

※所属・役職は掲載時のものです。