「仰げば尊し」の顛末

2018/01/26

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

卒業式の定番だった「仰げば尊し」が歌われなくなったのは、平成になってからでしょうか。敬遠された理由はいくつかあげられます。第一に、歌詞があまりに古文調であり、到底小学生や中学生には理解されないことでしょう。

確かに一番の「はやいくとせ」は意味が掴みにくく、「早い」のか「行く」のか迷ってしまいます。ここはまず「いくとせ」が「幾年」であることを理解しましょう。そうすると「はや」は「早くも」となります。

続く「思えばいととし」の「いととし」にしても、大学生でも解釈できそうもありません。特に「とし」はお手上げのようです。中には「いとおし」と勝手に勘違いしている人もいるようです。これは漢字をあてれば「疾し」で、意味は「早い」ことです。つまり歳月が早く過ぎさったことを述懐しているのです。また二番に二回出てくる「やよ忘るな」・「やよ励めよ」の「やよ」も難解ですよね。これは呼びかけの言葉で意味はありません。だから「忘れるな!」・「励め!」(「よ」も強調です)でいいんです。

繰り返される「今こそ別れめ」(今まさに別れよう)の「め」も誤解されているようですね。多くは「節目」「境目」の「目」と誤解して「別れ目」と思い込んでいるのではないでしょうか。これは古典文法の係り結びです。係助詞の「こそ」に対応して「別れむ」が已然形の「別れめ」になっているのです(三番の「忘るる間ぞなき」も同様です)。これで歌のだいたいの意味はわかりましたね。

二番の歌詞には別の問題があります。「身を立て名をあげ」というのは、中国の『孝経』を踏まえて立身出世を奨励しているということで、戦後の民主主義にそぐわないと判断され、二番も歌われないことが多かったようです。私などは『二十四の瞳』の映画で歌われているのを聞き、いい歌だなと思ったのが最初の印象でした。幸いこの曲は「日本の歌百選」に選ばれています。

そもそもこの曲は誰が作ったのでしょうか。文部省唱歌の大半は、外国の曲を元にしているようなので、この曲もその可能性が高いのですが、長いこと原曲がわかりませんでした。英米の民謡を研究されている桜井雅人氏が、執念で原曲を探し当てたのは、なんと平成二十三年のことです。

一八七一年(明治四年)にアメリカで出版された『The Song Echo』(ヘンリー・パーキンス編)という本の中にあった「Song for the Close of School」という曲がそれです。曲名も「卒業の歌」ですからピッタリですね。作詞はT・H・ブロスナンで、作曲はH・N・Dとありますがどんな人かは不明です。おそらくこの本を文部省音楽取調掛の伊沢修二が入手し、明治十七年に刊行された『小学唱歌集三編』に収めたのでしょう。日本語の歌詞は、同じく音楽取調掛の大槻文彦・里美義・加部厳大の三人の合議でまとめられたようです。

原曲の歌詞は友達との別れが主題になっています。ところが日本語の歌詞は、原曲を参考にしつつも、当時の社会を反映してか先生(師)と生徒(教え子)の別れに作り替えられています。「教えの庭」(校庭ではなく庭訓(教育)のこと)と「学びの窓」という対もその象徴です。意図的に卒業する生徒が恩師に感謝するというストーリーにされたことで、教師に従属を強いているという反発を招いたのでしょう。もはや先生は尊敬される対象ではなくなっているようです。

※所属・役職は掲載時のものです。