和泉式部と「鰯」あるいは紫式部と「鰯」

2017/12/07

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

鰯(いわし)は昔から庶民の食べる安価な魚で、平安朝の貴族が口にするのは卑しいとされていました。ところが紫式部は大の鰯好きで、夫宣孝に見つからないようにこっそりと隠れて食べていたとのことです。実はこの話、もとは紫式部ではなく、和泉式部の鰯好きとして語られていました。それは『猿源氏草子』という御伽草子に出ています。和泉式部は鰯が大好物で、夫保昌の留守中にこっそりあぶって食べていました。

ある日のこと、夫が出かけたので、いつものように鰯を焼いて食べていたところ、突然夫が戻ってきました。慌てて隠しましたが、帰宅した夫は部屋中に焼いた鰯の匂いがしていたことから、和泉式部がこっそり鰯を食べたことを見抜きます。そして、卑しい魚がお好きですねと冷やかしました。すると和泉式部は即座に、

        日のもとにはやらせたまふ石清水まいらぬものはあらじとぞ思ふ

と歌で反撃しました。

この歌は『八幡愚童訓』にある、

        日の本にいははれたまふ石清水まいらぬ人はあらじとぞ思ふ

を再利用したもので、決して和泉式部の自作ではありません。しかしながら「石清水八幡」に「鰯」を掛け、さらに「参る」に参拝する意味と食べる意味を掛け、それを食べるのは当然だと切り替えしている点、見事としか言いようがありません。

これにはさすがに夫もたじたじとなり、歌を返すこともできません。そこで和泉式部の肌が潤ってきれいなのは、鰯を食べているからだとお世辞をいいます。この一件以後、和泉式部は堂々と鰯を食べることができるようになったということです。

今でこそ鰯は栄養豊富で、しかも肌にいいDHAやEPAなどの不飽和脂肪酸が含まれていることがわかっていますが、なんと和泉式部はそれを千年前に食べることで、つるつるのお肌を保っていたというのです(若さを保つ妙薬!)。美人で歌の上手な和泉式部ならではの逸話ですね。

この話がいつの頃か、同じ「式部」つながりで紫式部と入れ替わりました。広く流通している百人一首版本の頭書に、

        紫式部は、一条院の后妃上東門院につかへし宮女にして、和歌の道くらからず。或時、夫の宣孝外へ出でたる隙に、
        鰯と云魚を喰けるを、宣孝内へ帰り、是を見て、卑しき物を喰給ふよし笑ひける。式部とりあへず、

                 日の本にはやらせ給ふ岩清水まいらぬ人はあらじとぞおもふ

        かく詠じければ、夫結句ことばを恥られけるとなり。

とあります。内容的にはほとんど変わりません。これが何故和泉式部から紫式部になったのかわかりませんが、おそらく鰯の別称が「むらさき」だからではないでしょうか。

ご承知のように鰯は、宮中の女房言葉で「むらさき」とか「おむら」と称されています。要するに鰯がなぜ「むらさき」と称されるようになったのかという起源譚として、和泉式部よりも紫式部の好物だったからという方がふさわしかったわけです。ただし紫式部は美人ではなかったようですし、肌がつるつるだったという話も聞いたことがありません。

 

※所属・役職は掲載時のものです。