冬の「千鳥」

2017/11/16

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

日本の四季を鳥で表すとすれば、春は鶯・夏はほととぎす・秋は雁・冬は千鳥でしょうか。ただし『万葉集』の千鳥は必ずしも冬に限定されてはいませんでした。むしろ千鳥の由来に因んで、家持が「朝猟(かり)に五百つ鳥立て夕猟に千鳥踏み立て」(4011番)と詠じているように、多くの鳥という意味も担っていました。ですから千鳥は単独ではなく、群れをなして鳴く鳥としてとらえられていたようです。当然聴覚重視なので、昼間より夜の千鳥がたくさん詠まれています。

それは『古今集』でも同様でした。『拾遺集』になって紀貫之の、

        思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風寒み千鳥鳴くなり(224番)

が採られたのが勅撰集における「冬の千鳥」の早い例です。千鳥が冬の景物と認定されたのは、下って『堀河百首』で冬部に「千鳥」題が設けられた時でしょう。その後『千載集』冬部に千鳥詠が5首撰入され、さらに『新古今集』ではそれが11首に増加したことで、ようやく冬の千鳥が定着したことがわかります(『玉葉集』では18首も入集)。

なお『万葉集』でも有名な人麻呂の、

        近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古へ思ほゆ(266番)

歌以来、千鳥はずっと川辺(吉野川・佐保川)の鳥として歌に詠まれてきました。
それがやはり『拾遺集』で、

        かくてのみありその浦の浜千鳥よそに聞きつつ恋ひやわたらん(631番)

と詠まれて以来、海辺の「浜千鳥」としても詠まれるようになりました。もちろん平安京は海に面していないので、多くは心象風景ということになります。

そう考えると百人一首に採られている源兼昌の、

        淡路島通ふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守(金葉集270番)

は、冬の夜の海辺の千鳥を聴覚的に詠じた比較的早い例だったことがわかります。また千鳥と淡路島を組み合わせた最初の歌でもありました。しかもこの歌の背景には、須磨に流謫した光源氏が詠じた、

        友千鳥もろ声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼もし(須磨巻)

が踏まえられており、『源氏物語』世界まで投影していることになります。千鳥と『源氏物語』には接点があったのです。

ところでみなさんは「千鳥」から「浜千鳥」という唱歌を想起しませんか。これは鹿島鳴秋作詞・弘田龍太郎作曲の名曲(大正9年発表)です。その1番の歌詞は、

        青い月夜の浜辺には親をさがして鳴く鳥が

        波の国から生れ出る濡れた翼の銀のいろ

です。この歌では、浜千鳥の子が親を求めて月夜の浜辺で鳴いているという展開になっています。しかしながら古典和歌の中に、『源氏物語』のように友を求めたり恋人を求めたりしたものはありますが、親を尋ねて鳴くという発想の歌は認められません。どうやらここには、両親が離縁して祖父母に育てられたという作詞家・鳴秋の幼児体験が投影されているのではないでしょうか。

この歌が発表された1年後(大正10年)に、北原白秋が「ちんちん千鳥」という童謡を作っていますが、その3番に、

        ちんちん千鳥は親ないか親ないか夜風に吹かれて川の上川の上

とあって、やはり親のいない千鳥が歌われています。「ちんちん」は千鳥の鳴き声で、「ちいちい」とか「ちち」とか鳴くとされています。あるいはその鳴き声(掛詞)から、親を尋ねて「ちち(父)」と鳴くと考えられたのかもしれませんね。

 

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