「ぼたもち」と「おはぎ」

2017/09/29

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

突然ですが、「ちごのそら寝」という話を御存じですか。『宇治拾遺物語』に出ている有名な説話ですが、高校1年生の古文の授業で習った人も少なくないはずです。ではそこに出ていた「かいもち」という食べものは、何のことだったか覚えていますか。

かつては当たり前のように「ぼたもちやおはぎのこと」と説明されていました。ところが調理時間の短さや、他の「かいもち」の例が保存食を意味していることなどから、最近は「そばがき」のことではないかという説が有力になっています。ですから何のことだかはっきりしていない、というのが正解のようです。その上で次の質問です。「ぼたもち」と「おはぎ」はどう違うか説明できますか。

これは昔からよく話題にされてきたことですが、今回は少し違った視線から考えてみましょう。そもそも「ぼたもち」や「おはぎ」は、いつごろから日本にあったのでしょうか。原料である米や小豆は太古の昔からありました。でも砂糖は輸入品でかなり貴重かつ高価だったので、一般庶民の手の届くものではありませんでした。すると昔の「ぼたもち」や「おはぎ」は、今のような甘いものではなく、塩あんだったかもしれません。

ついでながら、「萩」は『万葉集』から和歌にたくさん詠まれています。それに対して牡丹は、中国の植物ということで漢詩には詠まれていますが、古い和歌には認められません。そうなると「ぼたもち」と「おはぎ」は同時成立ではなさそうに思えます。またそんなに古いものでもなかったようです。

そこで古語辞典などを調べてみると、「おはぎ」は『四河入海』という蘇東坡の漢詩集の注釈書(室町時代)に、「萩の花といふ餅類を喫する」と出ていました。「おはぎ」は「萩の花」あるいは「萩が花」「萩の餅」と称されていことがわかります。

それに対して「ぼたもち」の古い例が見つかりません。用例的には「おはぎ」が早くて、「ぼたもち」が遅いことになります。おそらく両者が揃って出てくるのは、江戸時代になってからでしょう。その他、餅のように搗かないことから「夜船(着き知らず)」・「北窓」(月知らず)あるいは「隣知らず」・「半殺し」とも称されています(金沢では今も「かいもち」で通用するとのことです)。

こうして二つの名が出揃ったことで、両者の使い分けが行われることになりました。幸い牡丹は春に咲く花で萩は秋の花だったので、春の彼岸用が「ぼたもち」で、秋の彼岸用が「おはぎ」ときれいに使い分けることができました。もちろん季節だけではありません。『和漢三才図会』に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と説明されているように、「ぼたもち」は牡丹の花に似せ、「おはぎ」は萩の花に似せているとも言われています。

それ以外にもこしあんと粒あんの違いだとか、あんときな粉の違いだとか、もち米とうるち米の違いだとか、米の搗き方の違い(皆殺しか半殺しか)だとか、はたまた「ぼたもち」は大きくて「おはぎ」は小さいだとか、様々に後付けられていますが、どうも当初はそんな違いは意識されていなかったようです。

実のところ「ぼたもち」は決して美しい言葉ではなく、疱瘡にかかった人のあばた面のことも意味していました。俳句の「萩の花ぼたもちの名ぞ見苦し野」は、それを踏まえて詠まれたものです。それを払拭するために、「牡丹餅」という当て字が要請されたのかもしれません。

また『町人嚢(ぶくろ)』(教訓書)に「今のぼたもちと号するものは禁中がたにては萩の花といひて」とあることから、「萩の花」(「おはぎ」は女房詞)は上流階級の言葉で、「ぼたもち」は庶民の言葉だったことがわかります。だからこそ「棚からぼたもち」という庶民のことわざもできたのでしょう。江戸時代における身分的な使い分け、これも立派な両者の違いではないでしょうか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。