隠れているマザーグースを求めて

2017/09/20

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

みなさん英米文学はお好きですか。英語が母国語でない日本人には、聖書・シェークスピア・マザーグースの基礎教養が欠落しているので、それが英米文学を研究する人にとって最大の欠点となっているとのことです。

それは研究に従事しない人にとっても同様でしょう。例えばルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』は、小さい頃に読んだ人が多いかと思います。でもそこに登場しているハンプティー・ダンプティーが、マザーグースからの引用だと知っている人は少ないのではないでしょうか。

もう1つ例をあげると、岩波少年文庫から出されている『ドリトル先生ものがたり』を読んでいて、カブトムシを放す際に「レディバード、レディバード、フライアウエィホーム」と口にしても、何の呪文かわかりませんよね。またいきなり「リンガリンガローズィーズだ」とあっても、その意味さえもわからないのではないでしょうか。もちろん知らなくても十分楽しめますが、もしそれがマザーグースの引用だとわかったら、もっと深いもっと楽しい読み方ができるはずです。

大人になって、アガサ・クリスティの推理小説や映画のファンになった人は少なくないでしょうが、果たしてマザーグースの重要性にどれだけ気付いているでしょうか。そういう人は是非、矢野文雄著『アガサ・クリスティはマザー・グースがお好き』を読んでみてください。『そして誰もいなくなった』以下、タイトルそのものがマザーグースに関連していること、推理のヒントというか核心にマザーグースが大きく関わっていることがわかるはずです。

その他、『風と共に去りぬ』から『メリー・ポピンズ』『ピータ・ラビット』『赤毛のアン』『秘密の花園』『大草原の小さな家』に至るまで、実に多くの西洋文学にマザーグースが引用されています。あなたはどれだけそれに気付いていますか。ひょっとすると翻訳者さえ、それと気付かずに訳しているかもしれません。

これは何も英米文学の翻訳だけの問題ではありません。みなさんが大好きな宮沢賢治にしても、『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などにマザーグースが鏤(ちりば)められています。「『銀河鉄道の夜』の中のマザー・グース」という論文まで書かれているくらいです。そのことに気付いていなければ、本当の宮沢賢治ファンとは言えないかもしれません。

日本におけるマザーグースの広がりは、その程度では済みそうもありません。私が子供の頃に放映されていたNHKテレビ「ひょっこりひょうたん島」で、「キ印キッド」の歌が繰り返し歌われていました。「バビロンまでは何センチ」というものですが、随分後になってそれが「ハウメニイマイルズツウバビロン」というマザーグースの翻案だということを知りました。

魔夜峰央のマンガ「パタリロ」のエンディングに歌われた「クックロビン音頭」にしても、「フーキルドクックロビン」という有名なマザーグースでしたね。しかもそれは、萩尾望都の『ポーの一族』中の「小鳥の巣」から引用したものとされています。マンガの中にもマザーグースが密かに忍び込んでいるのです。みんなで隠れているマザーグースを探してみませんか。

ところで最初に日本に上陸したマザーグースは、一体何だったと思いますか。それは「キラキラ星」だとされています。英語の教科書『ウヰルソン氏第二リイドル直訳』(明治14年)や讃美歌にも載せられているものですから、やはりマザーグースだと気付かないで享受されているようです。それ以外にもマザーグースとは知らないで、「ABCの歌」(曲は「きらきら星」と同じ)や「メリーさんの羊」「ロンドン橋落ちた」「10人のインディアン」など、実にたくさん歌われています。

なお日本ではマザーグースという名で知られていますが、西欧では「ナーサリーライムズ」の方が一般的かもしれません。またフランスのシャルル・ペローの童話集の英語版『マザーグースの物語』は、「シンデレラ」や「赤ずきん」「長靴をはいた猫」などを含むまったく別の作品ですので、くれぐれも間違えないでください。

 

※所属・役職は掲載時のものです。