唱歌「ふるさと」について

2017/05/22

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

東日本大震災の後、「ふるさと」が涙ながらに合唱される光景をよく見かけるようになりました。そこには住み慣れた我が家へ一刻も早く帰りたいという被災した方々の願いが込められているようです。

この歌は今から百年前、大正3年の尋常小学校唱歌六年用として発表されたものです。もともと唱歌の作詞作曲は共同作業だったようですが、最近は高野辰之作詞・岡野貞一作曲とされています(このゴールデンコンビで「朧月夜」・「もみじ」・「春の小川」・「春が来た」・「日の丸の旗」などを作ったとされています)。

一番の歌詞を見ると、これが海辺ではなく山村の風景であることが察せられます。高野辰之は長野県出身ですから、「かの山」・「かの川」は信州の原風景という風に考えられています。ですから必ずしも日本人の典型的な「ふるさと」というわけではありません。しかも作られてから既に百年が経過していることもあり、現代人には意味のわからない古風な言葉も多々あるようです。

まず出だしの「うさぎ追いし」ですが、これを耳にすると「うさぎ美味しい」と聞えるようで、うさぎを食べた歌という誤解も生じています。折衷案として、集団でうさぎを追いかけて捕まえて食べるという解釈も出ています。もはやどんな田舎でも、うさぎを追うような生活はなくなっているので、死語化しているのでしょう。これと対照的なのが、「赤とんぼ」(三木露風作詞)という歌の「負われて見たのはいつの日か」です。これは子守の姉やの背中に背負われて見たという意味なのですが、主語が曖昧なために赤とんぼが追いかけられたと勘違いしている人も少なくありません。

二番の「いかにいます父母」の「います」は「いる」の丁寧語(いらっしゃる)と受け取られているようですが、「おはす」と類似した尊敬語(古語)です。「故郷の空」(スコットランド民謡)という歌に出ている「ああわが父母いかにおはす」とよく似ています。これはただ存在するかどうかではなく、無事で暮らしているかどうかという意味が込められています。

次の「つつがなしや」に至っては、ゆとり教育を受けた現代人にとっては、理解しがたい言葉のようです。これに関して、昔は「ツツガムシ」というダニの一種に刺されて病気にならないことが「つつがなし」(平穏無事)だとされていました。しかしながら「ツツガムシ」が発見されたのは明治になってからで、それよりずっと前(聖徳太子の書に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」とあります)から病気の意味で「つつが」が使われていたということで、現在ではこの語源説は否定されています。続く「ともがき」は、友人との交わりを垣根に喩えた古風な表現ですが、これも若い人の語彙にはなさそうですね。

三番の歌詞には、故郷を離れた目的が明確に表明されています。当時は多くの若者が立身出世を夢見て田舎から都会へ出ていきました。そして功成り名遂げたら故郷に帰るという大望を持っていたのです。上手い具合に高野辰之も長野から東京へ出て東京音楽学校の教師となり、後に故郷に錦を飾っています。そうなるとここに歌われている「ふるさと」は、成功者が回帰すべきところということになります。もちろん志を果たせず、ふるさとに帰れなかった人も少なくありませんでした。それが「いつの日にか帰らん」(帰りたい、帰れない)に込められています。だからこそ、この歌は長く歌い続けられてきたのでしょう。

これからどんどん復興が進んで、「ふるさと」を歌わなくてもいいようになる日が一刻も早く訪れることを祈ります。

 

※所属・役職は掲載時のものです。