「きりぎりす」と「こおろぎ」
吉海 直人(日本語日本文学科 教授)
みなさんは「虫のこゑ」という童謡を覚えていますか。ではその2番の歌詞「きりきりきりきりきりぎりす」が途中で「きりきりきりきりこおろぎや」に変更されたことはご存じでしょうか。
明治43年の尋常小学読本唱歌では、確かに「きりぎりす」でした。これだと「き」という韻を踏んでいることになります。それが昭和10年の新訂尋常小学唱歌において、「こおろぎや」に改訂されたのです。その理由ははっきりしています。①「きりぎりす」は夏の虫で、秋の虫の中にあるのはおかしいこと。②「きりぎりす」は「きりきり」とは鳴かないこと。③古語の「きりぎりす」は今の「こおろぎ」を意味していたこと。この3つが改訂の決め手だったようです。しかし、それによって韻を踏まなくなりました。また「きりぎりす」という5音が4音の「こおろぎ」になったので、無理に「や」を補って語調を整えています。
そういった改変は、古文の授業で昔の「きりぎりす」は今の「こおろぎ」と教わっていることと無関係ではなさそうです。ついでに今の「きりぎりす」についても、昔は「はたおり」のことと教わったかもしれません。はたして本当にそうでしょうか。
ここで『万葉集』の用例を見てみましょう。ご承知のように『万葉集』は漢字で表記されています。問題は「蟋蟀」(全7例)をどう読むかでした。例えば、
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀鳴くも(1552番)
は、もとは「きりぎりす」と読まれていましたが、江戸時代に賀茂真淵の説によって「こおろぎ」と読まれるようになりました。その方が字数としては収まりがいいようです。そうなると、「きりぎりす」と「こおろぎ」は入れ替え可能だったことになります。
もともと「こおろぎ」も「きりぎりす」も鳴く虫の総称でした。ですから異名同物だったのです。その上で、歌に読む時は「きりぎりす」、俗語としては「こおろぎ」という説明も可能でした。ですから『万葉集』の「蟋蟀」にしても、「きりぎりす」と読む方が都合がいいのです。というのも『古今集』以降、歌では「きりぎりす」と読まれ続けているからです(「こおろぎ」との交替はありません)。よく例にあがるのが、
秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く(1020番)
でしょうか。「袴がほころびているので綴って縫え」という意味です。また『平家物語』「福原落」に、「千草にすだく蟋蟀(しっしゅつ)のきりぎりす」とあるのも参考になります。
要するに文学的には歌語のみならず全般的に「きりぎりす」で統一されており、逆に「こおろぎ」は歌に登場すらしていないのです。それが真淵の説によって、『万葉集』の「蟋蟀」が「こおろぎ」と読まれるようになったことで、付随的に『万葉集』と『古今集』の間で「こおろぎ」と「きりぎりす」が入れ替るという事態が発生したのです。真淵はそこまで考慮していたのでしょうか。
もちろん当時の人が混乱していたわけではありません。混乱は真淵以降に生じたのです。その好例の一つが前述の「虫のこゑ」というわけです。その童謡とほぼ同時代の作品、例えば芥川龍之介の『羅生門』の冒頭にも、「蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまつてゐる」とあります。これなどそのまま今の「きりぎりす」でもよさそうです。それとも芥川は、わざと古語を使っているのでしょうか。その他、太宰治も『きりぎりす』を書いているし、室生犀星にも「螽蟖(きりぎりす)の記」があるので、この問題は近代文学とも無縁ではなさそうです。
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