「梅雨」に思うこと

2016/06/08

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

明日は遠足という時、軒下にてるてる坊主をつるした経験はありませんか。そこには、楽しみにしている遠足が雨天中止にならないように、「明日天気にしておくれ」という願いが込められていたはずです。「てるてる坊主」という童謡では、もし願いが叶わなかったら「そなたの首をちょんと切るぞ」という脅し文句まで添えられていました。

そもそも「雨」は空から降ってくるものです。それは到底人知の及ばない神のなせるわざと考えられていました。ですから「雨」の語源は同音の「天」とされています。そう考えると、「てるてる坊主」は神の依りしろ(分身)であり、実際は神にお祈りしていたことになります。

人間というのはわがままな生き物で、雨が降ってほしくない時もあれば、逆に雨が降ってほしい時もあります。農業を営む人にとって、旱魃(かんばつ)が続くと農作物に被害が出るからです。そのため日照りが続く時には「雨乞い」が行われました。

有名な話として、小野小町が神泉苑で「ことわりや日の本ならば照りもせめさりとてはまた天(雨)が下とは」という歌を詠んで雨を降らせたといわれています。ここでは「日本」だから日が照るのはあたりまえだが、「天の下」ともいうから「雨」もつきもののはず、と掛詞を用いて理知的に詠じています。この歌に龍神が感応して雨を降らせたというわけです。

人間の生活に雨は深くかかわっており、そのため雨にまつわる言葉(雨語?)も少なくありません。みなさんはいくつぐらいあげられますか。季節との結びつきということでは、春雨・秋雨はよく耳にします。「春雨じゃ、濡れてまいろう」という月形半平太のセリフはあまりにも有名ですね。反面、夏雨・冬雨はあまり聞いたことがありません。夏は夕立、冬は氷雨がよく使われるようです。芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」も有名ですね。

一番長く降り続く雨が「長雨」でしょう。これは「梅雨」と呼ばれています。その反対にすぐ止む雨もあります。こちらは多彩で、「俄か雨」「天気雨」「通り雨」「時雨」などと呼ばれています。なお「時雨」は晩秋から初頭にかけて降る冷たい雨のことですが、季節にかかわらずに用いられることもあるようです。

意味ありげな「狐の嫁入り」という文学的表現もありますね。今出川通りを歩いていると、日が照っているのに雨が降ってくるとか、通りをはさんで天気が変わるという異常な体験をすることがあります。これは日照り雨(「そばえ」ともいいます)と称されるものです。夜になって、月が見えているのに雨が降っているという体験もしました。

「雨模様」は、本来はいかにも降りそうだという意味でしたが、最近では雨の降っている様子という意味でも使っているようです。なんとなく心に残るのが「小糠雨(「来ぬか」の掛詞?)」「小夜時雨」「やらずの雨」「篠つく雨」などです。歌謡曲や演歌の歌詞にも「雨語」がよく使われていますね。「雨宿り」がきっかけで始まる恋愛もあれば、「どしゃ降り」の中での悲しい別れもあるのでしょう。『源氏物語』には有名な「雨夜の品定め」があり、また俄か雨の別称として「肘笠雨」が用いられています。今でも新聞・雑誌やカバンを頭に載せて、降り出した雨の中を走っている人を見かけますね。

平安時代の貴族は、そういった雨を単なる気象から昇華させ、人間の心の悲しみを雨に託すことを考えました。それが「情景一致」の手法です。ですからストレートに悲しくて泣いているとは書かずに、ふと外を見ると雨が降っていると書きます。読者はそれを登場人物の心の表出と読まなければならないのです。

その他、「晴耕雨読」を理想とする生活もあるし、宮沢賢治のように「雨ニモ負ケズ」頑張る人もいます。雨をきっかけとして、いろいろな人生模様が見えてきます。梅雨入りした今、雨にまつわる表現を考えてみませんか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。