「桃の節句」の話

2016/03/02

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

3月3日は何の日と聞かれたら、「雛祭り」か「桃の節句」と答える人が多いですよね。でもその答えが江戸時代以降のものだということをご存知ですか。いつものことながら、年中行事の起源は中国にあります。古くは「上巳(じょうし)の祓い」を行う日でした。「上巳」というのは3月最初の「巳」の日のことです。ですから必ずしも3日に決まっていたわけではありませんでした。中国ではこの日、川に入って身を清めていたのです。

それが遣唐使によって日本にもたらされ、宮中における禊ぎの神事となりました。もともと3月は季節の変わり目ですから、邪気払いとして行われていたようです。人形の紙で体を撫でたり、人形に息を吹きかけたりした後、それを身代わりとして川に流すのです。その「上巳の祓い」が3月3日の元なのです。ですから古くは「流し雛」の行事だったのですが、いつしか人形を川に流さなくなりました。江戸時代になって、ようやく3月3日は「桃の節句」に制定されました。その頃ちょうど桃の花の咲く時期だったからです。5月5日の端午の節句が男の子の節句になり、3月3日が女の子の節句になったことで、現在のような「雛祭り」が醸成されたのです。

もちろん「桃」にしても中国原産でした。陶淵明の『桃花源記』は「桃源郷」を描いたものとして有名です。また『詩経』の「桃夭(とうよう)」という漢詩もよく知られています。日本にはかなり早い時期に伝来したらしく、『古事記』のいざなぎ・いざなみの神話にも登場しています。『万葉集』には7首しか詠まれていませんが、大伴家持の「春の苑紅匂ふ桃の花下照る道に出で立つ乙女」(4139番)は有名ですね。

古来、「桃」には不思議な生命力が宿っていると信じられていました。だからこそ桃太郎は鬼退治ができたのです。また桃の実や花を食べると不老長寿になれると信じられていました。もちろん春に桃の実がなるはずもありません。そこで桃の花を飾ることで、その力にあやかって女の子の無病息災を祝ったのです(感染呪術)。それだけではありません。昔は桃の花を酒に浮かした「桃花酒」を飲んでいました。それが女の子の節句になったことで、いつのまにか「白酒」に変わっているのです。最近はアルコール度数の低い「甘酒」で代用されているようです。

ついでに桃太郎の絵本を見て下さい。そこに描かれている桃は、果物屋さんの店頭に並んでいる桃とは違っていますね。そう、絵本の桃は先がとがっています。これは中国の「天津桃」という品種とされていますが、甘くてみずみずしい「水蜜桃」に押されて、さっさと果物屋さんの店頭から姿を消してしまいました。それにもかかわらず、絵本の中でだけとがった桃が今日まで生き続けているのです。

ところでみなさんは「あかりをつけましょぼんぼりに」で始まる「うれしいひなまつり」という歌はご存じですよね。これはサトウハチローが昭和10年に娘のために作詞した曲です。その歌詞の2番は「お内裏様とおひな様」と始まっていますが、何か変だと思いませんか。実は「お内裏様」というのは男雛のことではなく、天皇と后の一対(2体)の人形を指します。また「おひな様」にしても女雛ではなく、男雛女雛一対の人形のことです。ですからこの歌詞は日本語としておかしいのです(4体あることになります)。

サトウハチローの過ちはそれに留まりません。3番の「赤いお顔の右大臣」は筋が通りません。間違いの一つは左右が逆転していることです。通常、赤い顔をしているのは向って右の人形ですから、本来ならば「左大臣」でなければなりません。これは男雛をどちらに置くかとも関わっています。昔の日本では左が上位でしたから、天皇は向って右でした(関西方式)。ところが大正天皇の御成婚に際して、西洋風に天皇が向って左に立たれたのです。それ以来、男雛を向って左に置くようになったということです(関東方式)。ややこしいですね。

まだあります。これが身分の高い大臣だったら、内裏雛のすぐ下でなければならないのに、この人形は三人官女の下に配されています。そうなるとこれは大臣ではなく「随人」ということになります。この誤解は現在も継承されているようです。

もう一つ、2番の「お嫁にいらした」は非常にやっかいです。「いらした」は敬語ですが、お嫁さんは外から嫁いで来たのでしょうか、それともお嫁に行ったのでしょうか。行くも来るもどちらも可能なので、解釈が定まりません。みなさんはどっちだと思っていましたか。

 

※所属・役職は掲載時のものです。