宝塚歌劇と百人一首

2016/01/27

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

 1914年に第1回公演を行った宝塚歌劇は、一昨年100周年を迎えました。その宝塚と百人一首には深い関係があります。既にご存じの方も多いかと思いますが、かつての宝塚少女歌劇団の芸名は、すべて百人一首の歌から付けられていました。名付け親は小林一三(いちぞう)氏とされています。

 小林氏が何故百人一首から名付けたのかは謎ですが、なんと1期生(大正2年)から11期生(大正11年)までの約160名は、百パーセント「百人一首名」でした。それ以降、18期生(昭和5年)までは、団員名の中に容易に「百人一首名」を見出すことができます。総計すると200名を超える団員が百人一首に因む名前だったのです。

 一口に「百人一首名」と言っても、いくつかの命名法があります。一番わかりやすいのは、歌の一節をそのまま切り取って末尾に「子」を付けたものでしょう。例えば「天野香具子」(2番「天の香具山」)、「住江岸子」(18番「住の江の岸」)、「有明月子」(31番「有明の月」)、さらには歌そのままの「瀬尾はやみ」(77番「瀬を早み」)、「霧立のぼる」(87番「霧たちのぼる」)などがそうです。

 続いて飛び飛びに歌詞をつなぎ合わせたものがあげられます。例えば「大江文子」(60番「大江山―文も」)、「小倉みゆき」(26番「小倉山―御幸」)、「筑波峰子」(13番「筑波ねの峰」)、「滝川末子」(77番「滝川の―末に」)、「天津乙女」(12番「天津風―乙女の」)、「雲井浪子」(76番「雲居―白波」)などです。こういったものは比較的容易に元歌の見当が付きますね。

 次に歌詞の順序を逆転させたケースもあります。「若菜君子」(15番「君がため―若菜」)、「関守須磨子」(78番「須磨の関守」)、「篠原浅茅」(39番「浅茅生の―篠原」)、「九重京子」(61番「けふ九重」)、「浦野まつほ」(97番「松帆の浦の」)などですが、これも百人一首に馴染みがあればそう難しくはないはずです。

 それとは別に、言語遊戯的なこじつけを含むものもあります。「人見八重子」(47番「八重葎―人こそ見えね」)、「初瀬音羽子」(74番「人を初瀬の―激しかれとは」)、「美山小夜子」(94番「吉野のの―小夜更て」)、「伊吹かく子」(51番「かくとだに―伊吹の」)、「秋葉しげる」(47番「茂れる宿の―秋は」)などです。ここまでくると難解で、咄嗟(とっさ)に元歌が思い付かない場合もあります。

 さらに判じ物的な命名もあります。「桂よしこ」(25番「実―来るよしも」)、「滋賀立子」(41番「立ちにけり―初めしか」)、「若沼月香」(57番「分かぬ間に―月かな」)、「夏木てふ子」(2番「夏来にけらし―衣干すてふ」)、「甲斐珠子」(67番「手枕に甲斐なく」)などです。ここまでくると、ちょっとやそっとでは元歌が浮かびませんよね。よくもまあこんな芸名を案出したものだと感心してしまいます。

 それでは見方を変えて、「百人一首名」の中で最も芸名になりやすいのはどの歌でしょうか。200余名の「百人一首名」を有する団員の中から人気ベストスリーを調べてみたところ、

①78番「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ寝覚めぬ須磨の関守」歌 ―10回
(関守須磨子・関守千鳥・淡島千鳥・須磨幾夜・関陽子・淡路島子・千鳥守・島幾夜・淡路幾夜・千鳥関子)

②18番「住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」歌 ―9回
(住江岸子・岸小枝子・岸浪子・住野加代子・夢路すみ子・江岸みな子・榎木浪路・住野さへ子・夢野みち子)

③34番「田子の浦に打出でてみれば白妙のふじの高嶺に雪は降りつつ」歌―8回
(高峰妙子・雪野富士子・富士野高子・高嶺浦子・田子宇羅子・浦妙子・高根雪子・富士野高嶺)

という結果になりました。何故か海に因む歌に人気が集まっているようです。

 こうしてみると、百人一首からはまだたくさんの「百人一首名」が発掘できそうです。宝塚の芸名に再び登場することを楽しみにしています。

 

※所属・役職は掲載時のものです。